【飛鳥時代の始まりの地】明日香村豊浦【古宮遺跡(古宮土壇)】

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明日香村と飛鳥時代が好きなみくるです。

今回は写真を撮られる方にも人気の古宮遺跡をご紹介します。

畝傍山と古宮遺跡
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「推古天皇の小墾田宮」と推定されていた【古宮遺跡】

古宮遺跡(ふるみやいせき)は奈良県明日香村豊浦(とようら)にある遺跡です。
現在は小宮土壇だけが残されています。

推古天皇の小墾田宮(おはりだのみや)と推定されてきました。

推古天皇の小墾田宮

日本書紀』・『続日本紀』によると小墾田宮は推古天皇にはじまり、離宮や武器庫として奈良時代まで存続していたことが分かっています。

日本書紀によると593年(崇峻5年)、豊浦宮(とゆらのみや)で即位した推古天皇は、603年(推古11年)に新宮として小墾田宮(おはりだのみや)を造営しここに居を移したといいます。

推古天皇が豊浦宮で即位した593年を飛鳥時代のはじまりとします。

小墾田宮の所在地については明日香村豊浦に「古宮」という小字名があることから、以前より有力地とされていました。

古宮遺跡の説明板と古宮土壇

昭和45年(1970年)に実施された発掘調査では、土壇の南側で7世紀前半の小池と石敷が見つかり、推古天皇の時代の庭園跡であることが判明しました。

豊浦駐車場

現在は駐車場になっている場所でも、7世紀前半から後半にかけての建物群がみつかり、広い範囲に遺跡が広がることも確認されました。

古宮遺跡の説明板

しかし、小墾田宮については、昭和62年(1987年)に、雷丘東方遺跡で、奈良時代の井戸から「小治田宮」と墨書きされ土器が多数出土したことから、少なくとも奈良~平安時代の小治田宮については、雷丘東方遺跡であることが判明しました。

これらの成果から、推古天皇の小墾田宮も雷丘周辺にあったと考えられるようになりました。

推古天皇の小墾田宮推定地【雷丘東方遺跡】についてはこちらの記事でご紹介しています。

蘇我氏の本拠地であった豊浦

宮殿跡は見つかりませんでしたが、7世紀初頭の掘立柱建物群、庭園・大溝などの遺構が見つかり、蘇我氏にかかわる庭園とする説が有力となっています。

古宮遺跡と向こうに耳成山

古宮土壇の榎(エノキ)と万葉歌

榎(エノキ)は「ヨノミ」とも呼ばれ、その実は食用にされていました。
『万葉集』には、エノキを詠んだ次の歌があります。

我が門の 榎の実もり食む 百千鳥
千鳥は来れど 君そ来まさぬ

巻16-3872 作者未詳

(現代語訳)
私の門口にあるエノキの実をついばむたくさんの鳥。
鳥は群がり来れど、あなたは私のもとに来てはくれない。

第1回「飛鳥・藤原まるごと博物館」検定(初級編)に、古宮遺跡に立つ木の名前を問う問題が出題されました。

63番の問題です。
橿原市和田町と明日香村豊浦の堺にある古宮土壇に立つ1本の樹木はどれか?
ア、イチョウ イ、エノキ ウ、サルスベリ エ、クスノキ

飛鳥・藤原地域の田畑・社寺・公園・橋詰などには、貴重なランドマークとなり、また周期の景観と一体となって、情緒やたたづまいを形成している名木が多く残されています。(中略)こうした名木は、人々に親しまれる存在であるとともに、自然と人々の営みが一体となった飛鳥・藤原地域の実良くをつくり出しています。

飛鳥・藤原まるごと博物館検定 公式テキストブック

公式テキストブックでは写真愛好家に特に人気の場所として、古宮土壇の榎が紹介されています。

第1回「飛鳥・藤原まるごと博物館」検定(初級編)についてはこちらの記事をご覧ください。
目指せ!飛鳥・藤原マスター【飛鳥・藤原まるごと博物館検定】受験を終えての感想と学習のポイント

蘇我馬子の石川の家があった【石川池(剣池)】周辺

橿原市石川町に古くは剣池と呼ばれていた石川池があります。

この辺りの地名を取って石川池と呼ばれるようになりました。

日本書紀の敏達13年(584年)に、

「蘇我馬子が石川の家に仏殿を作った」と記述があるのですが、その石川の家というのは、石川池の周辺にあったのではないかと考えられています。

さらに、皇極天皇3年(644年)に、

剣池の蓮に一本の茎に花が咲いていた。蝦夷は蘇我氏が栄える兆しだと考えて、金の墨で書いて、法興寺の仏に献上した」と記述があります。

石川池と孝元天皇陵

池の中に半島状に突き出た部分に、第8代孝元天皇の御陵に治定されている剣池島上陵(つるぎのいけしまのえのみささぎ)があります。

明日香村豊浦には蘇我馬子の息子の蝦夷の邸宅もあったと考えられています。

つまりこのあたりは、蘇我馬子から蝦夷にかけて、蘇我家の本拠地であった可能性が高い地域です。

推古天皇が豊浦に宮を置いた時を飛鳥時代のはじまりとします。

飛鳥時代は蘇我氏の本拠地からはじまったのでした。
この時代の蘇我氏の影響力がいかに強いかが分かります。

(参考)
甘樫丘には蘇我蝦夷と息子の入鹿の邸宅がありました。

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古宮遺跡(古宮土壇)へのアクセス

奈良県高市郡明日香村豊浦

近鉄線橿原神宮前駅から徒歩約19分

橿原神宮前駅から奈良交通バス(かめバス)「豊浦駐車場」下車すぐ

バス停「豊浦駐車場」

豊浦駐車場は有料(普通車500円)です。

豊浦駐車場の料金

【絵になる古宮遺跡】は写真愛好家に人気のスポット

畝傍山を背景にして、土壇に立つエノキ(榎)のシルエットを写真に収めようと多くの方が訪れられます。

特に田んぼに水を張った直後の6月と彼岸花の咲く9月には、畦道に沿って三脚が並ぶこともあるそうです。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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