万葉歌碑巡り【犬養万葉記念館】高市皇子の挽歌三首~十市皇女の死を悼んで

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明日香と万葉集が好きなみくるです。

犬養万葉記念館で頂いた「明日香村の万葉歌碑を歩く」を片手に万葉歌碑巡り、40基全て見て歩こうと思っています。

明日香村の万葉歌碑を歩く

今回は「明日香村の万葉歌碑を歩く」24番の高市皇子の歌をご紹介します。

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山吹の立ちよそいたる山清水汲みに行かめど道の知らなく

歌碑は「犬養万葉記念館」の中庭にあります。

犬養万葉記念館の中庭

「犬養万葉記念館」は歴史と万葉のふるさとである飛鳥を愛し、その保存に尽力した犬養孝先生の業績を顕彰する記念館です。

こちらの記事で詳しくご紹介しています。

犬養万葉記念館の高市皇子の歌碑

(原文)
山振之 立儀足 山清水
酌尒雖行 道之白鳴

巻2-158 高市皇子
揮毫 犬養孝/国文学者

(読み下し)
山吹の 立ちよそひたる 山清水
汲みに行かめど 道の知らなく

(現代語訳)
山吹が咲いている山の清水を汲みに行きたいが、そこへ行く道が分からない。

異母妹の十市皇女が亡くなった時に詠んだ挽歌です。
十市皇女は大友皇子の后でしたが、高市皇子は十市皇女を恋い慕っていたとされます。

高市皇子は天武天皇の長子で長屋王の父です。
壬申の乱では父を助けて活躍し、草壁皇子の死後は持統天皇より太政大臣に任命されるほど優秀でしたが、母は地方豪族出身の胸形尼子娘で、母の身分が低いことから皇位継承の候補からは外れていました。

犬養万葉記念館の歌碑の説明板

「山吹」の黄色と「山清水」の泉で「黄泉の国」を表す。
壬申の乱で活躍した高市皇子が、恋人といわれる十市皇女を思って読んだ挽歌。

あなたに会いに行きたいが、黄泉の国へ旅立たれたので、もうお会いできないというこの歌が、犬養先生を偲ぶ教え子の気持ちにピッタリのため、平成12年の記念館の開館時に、この歌碑を建て、山吹を植えました。

犬養万葉記念館の説明板より

十市皇女は天武天皇と額田王の娘です。
華やかで美しい女性だったのでしょう。
高市皇子が面影を重ねた山吹が咲く3~5月ごろにまた行ってみたいと思いました。

山吹の花

高市皇子の挽歌三首~十市皇女の死を悼んで

『万葉集』に収められている高市皇子の歌三首全てが、十市皇女が亡くなった時に詠まれた歌です。

(題詞)
十市皇女のこうぜし時に、高市皇子の作りませる御歌三首

(原文)
三諸之 神之神須疑 已具耳矣自
得見監乍共 不寝夜叙多
巻2-156 高市皇子

(読み下し)
三諸の 神の神杉 夢にだに
見むとすれども 寝ねぬ夜ぞ多き

※「已具耳矣自得見監乍共」の読みは確定されていませんが、ここでは「夢にだに見むとすれども」とする解釈を用いました。

(現代語訳)
三輪山の神の神杉のような愛しい人よ。(亡くなったあなたを)夢にばかり見て眠れない夜が多いのです。

大神神社の巳の神杉
大神神社の巳の神杉

(原文)
神山之 山邊真蘇木綿 短木綿
耳故尓 長等思伎

巻2-157 高市皇子

(読み下し)
三輪山の 山辺真麻木綿まそゆふ 短か木綿ゆふ
かくのみからに 長くと思ひき

(現代語訳)
三輪山の山辺に奉る麻の木綿は短くて、そんな短い木綿のようにあなたの命は短いものだったのに、(あなたの命は)もっともっと長いと思っていたのですよ、私は。

※「木綿ゆふ」は こうぞで作った布で、「真麻木綿まそゆふ」は麻の木綿ゆうです。
「木綿」は神事などで使われました。

山の辺の道から見る三輪山
山の辺の道から見る三輪山

三首目は、犬養万葉記念館の歌碑の歌です。

山吹の 立ちよそひたる 山清水
汲みに行かめど 道の知らなく

巻2-158 高市皇子

このように、三首全てが十市皇女が亡くなった時に詠まれた挽歌であることから、高市皇子にとって十市皇女は非常に大きな存在だったのだろうと思われます。

『日本書紀』に「十市皇女、卒然に病発して、宮中に薨せぬ」と記されています。
突然大切な人を亡くした高市皇子の悲しみがひしひしと伝わり胸を打ちます。

明日香村の万葉歌碑を歩く

「犬養万葉記念館」で頂いた『明日香村の万葉歌碑を歩く』に掲載されている万葉歌碑40基をまとめてご紹介しています。

犬養先生が揮毫された万葉歌碑は日本全国に141基あり、その内の15基が明日香村にあります。
犬養先生の足跡を辿るような気持ちで、万葉歌碑を見て歩いています。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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