【橿原の万葉歌碑めぐり】天香具山を詠んだ持統天皇の歌~大和三山の眺めと共に〈藤原宮跡〉

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橿原市観光政策課が作成されたパンフレット『橿原の万葉歌碑めぐり~万葉人の心、千年を越えて 日本最初の歌集・ 万葉集~』を片手に万葉歌碑めぐりをしています。

橿原の万葉歌碑めぐりのパンフレット

今回は醍醐池のほとりに建っている8番の持統天皇の歌碑と、醍醐池から望む大和三山(耳成山・畝傍山・天香具山)の景観をご紹介します。

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持統天皇も眺めた大和三山と藤原宮跡

春過ぎて夏来るらし白妙の

歌碑は奈良県橿原市醍醐町の醍醐池の南東のほとりに建っています。

醍醐池のほとりの持統天皇の歌碑

(題詞)
藤原宮御宇天皇代[高天原廣野姫天皇 元年丁亥十一年譲位軽太子 <尊>号曰太上天皇] / 天皇御製歌

(原文)
春過而 夏来良之 白妙能
衣乾有 天之香来山

巻1-28 持統天皇

揮毫:犬養孝

(読み下し)
はるぎて なつきたるらし 白妙しろたへ
ころもしたり あま
香久山かぐやま

(現代語訳)
春も終わり夏がやってきたようですね。天の香具山に純白の衣が乾されているのが見えますよ。

明日香村の「犬養万葉記念館」に揮毫の犬養孝先生の書が展示されていました。

万葉歌碑巡り【犬養万葉記念館】高市皇子の歌と犬養先生の思い【明日香村】

醍醐池から眺める大和三山

醍醐池は藤原宮跡にあるため池です。池のほとりから大和三山が眺められます。

大和三山は、橿原・飛鳥地方にある三つの山の総称です。大和三山に囲まれた平野部には藤原宮が造営されました。
こちらの記事では模型などから藤原京の概要を学べる「橿原市藤原京資料室」をご紹介しています。
橿原市の史跡を巡る【橿原市藤原京資料室】圧巻の巨大模型で藤原京を学ぶ~藤原宮跡周辺を歩く

⇩醍醐池と天香具山

醍醐池と天香具山

天香具山は「あまの」と付くように、かつて天から降りてきた山ともいわれ、大和の山の中でも特別の神の山として崇められていました。

⇩醍醐池から眺める畝傍山

醍醐池から眺める畝傍山

畝傍山の麓には、橿原神宮や神武天皇陵などがあります。

⇩醍醐池から眺める耳成山

醍醐池から眺める耳成山

畝傍山と耳成山は、瀬戸内火山帯に属する独立した火山でしたが、浸食されて現在のような形になったとみられています。耳成山は円錐形をしているのに対し、畝傍山は裾部が広がっています。

池に映る耳成山の美しい姿が見られる「耳成山公園」にも万葉歌碑が建っています。

耳成山公園の池に映る耳成山

【橿原の万葉歌碑めぐり】縵児を亡くした悲しみを詠んだ歌(耳成山公園)耳成山の景観と共に

「ますらをぶり」と「たをやめぶり」

持統天皇が天香具山を詠んだ歌は『百人一首』に選定されていることで、よく知られていいます。

百人一首では

春過ぎて 夏来にけらし 白妙の
衣ほすてふ 天の香具山

となっていて、「ほしたり」が「ほすてふ」に変わっています。これは、は平安時代の好みに合わせて語句を詠み変えられたためです。

『万葉集』とは「ますらをぶり(益荒男振り)」の歌集であると江戸中期の国学者・賀茂真淵が提唱しました。
「ますらをぶり」とは、「男らしく」「日本男児らしく」という意味で、「男性的で大らかな歌風」のことをいいます。

これに対して『古今和歌集』以後の歌風を「たをやめぶり(手弱女振り)」(女性的で優雅な歌風)といいました。

『万葉集』と『百人一首』の言葉の違いから、「ますらをぶり」と「たをやめぶり」の違いがよく分かります。

『百人一首』の方は優雅な感じがしますが、『万葉集』の力強く言い切る感じの方が、新しい都で迎える次の季節への期待感が表れているように思います。藤原京での治世が良いものになるようにとの願いを込めた歌であるように思うのです。

『百人一首』の持統天皇の歌はこちらの記事でご紹介しています。
ガラスペンでなぞる【なぞりがき百人一首】2番/持統天皇【藤原宮跡から見る大和三山】

醍醐池へのアクセス

奈良県橿原市醍醐町

橿原市藤原京資料室前の駐車場を利用されると便利です。

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