【万葉歌碑巡り】 淡路島のパワースポット「大和島」名付け親は柿本人麻呂~明石海峡の景観と共に

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里中満智子さんの『天上の虹』がきっかけで『万葉集』に興味を持ったみくるです。万葉歌人の中で特に好きな柿本人麻呂の歌碑を見つけると嬉しくなります。

今回は、大和の地から遠く離れた淡路島で出会った柿本人麻呂の歌と、歌碑が建つ大和島についてご紹介します。

岩屋の大和島(遠景)
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大和島の名前は柿本人麻呂の歌から

岩屋の大和島

大和島やまとじまは兵庫県淡路市岩屋の岩屋海水浴場の北端にあります。

岩屋の大和島(近景)

淡路島の北東、絵島の南に位置し、砂岩と礫岩からなる陸続きの小島です。各所に小型の海食痕がみられるとともに、頂上には明石海峡から吹く海風により特異な風衝形になった「大和島のイブキ群落」があります。

県指定文化財 大和島のイブキ群落
指定年月日 昭和48年3月9日
所有者・管理者 淡路市

 大和島は東西、南北ともに約20メートル、高さも約20メートルあり、面積約0.5ヘクタールを占め、島の中腹以上に植物群落があり、主としてイブキが優先する。
 この島は砂岩や礫岩からなり、地味がわるく、そのうえ島の周囲が波浪で削られたことから、植物は頂上付近に見られ、いわゆる岩上植生となっている。
 イブキは数百年をへたものも少なくないが、幹は曲がり、樹高は低い。数百年の風雪、波浪にも耐えて生き残ったこのイブキ群落は生態学上貴重である。

   平成7年2月   兵庫県教育委員会

大和島の説明板

「大和島のイブキ群落」は県の天然記念物に指定されています。

絵島や沼島と同様、イザナギとイザナミの国生み神話の「オノコロ島」であるという説もあります。名称に島とついていますが、海に浮かんでいるのではなく、岩屋海水浴場北端と陸続きになっています。

岩屋の大和島

長年の浸食が作る特異な形状をした姿は、国産み神話の舞台との説があることも納得の神秘的なものでした。

大和島の柿本人麻呂の歌碑

柿本人麻呂の歌碑は大和島の陸側(西側)に建っています。

大和島の柿本人麻呂の歌碑(遠景)
大和島の柿本人麻呂の歌碑
大和島の柿本人麻呂の歌碑(近景)

(原文)
天離 夷之長道従 戀来者
自明門 倭嶋所見  
一本云家門當見由

巻3-255 柿本人麻呂

(読み下し)
天離あまざかる ひな長道ながちゆ 恋ひ来れば
明石あかしより 大和島やまとしま見ゆ
一本あるほんには「家のあたり見ゆ」といふ

(現代語訳)
天離る鄙の長い道のりを、ひたすら都恋しさに上って来ると、明石の海峡から大和の山々が見える。

※「天離る(あまざかる)」はひなの枕詞です。鄙とは都を離れた土地、田舎のこと。天から離れているということから鄙にかかる枕詞となっています。

大和島の柿本人麻呂の歌碑の解説板

この歌は柿本人麿が詠んだ八首の旅の歌のうちのひとつです。

歌碑の解説板に「明石の高地に居を定め、海峡より朝夕この島を眺めることを唯一の楽しみとしていた」とありますが、人麻呂が明石の高地に居を定めていたことを示す文献は見つかりませんでした。

歌に詠まれている「大和島」は歌碑が建つ「岩屋の大和島」のことではなく、大和盆地西縁の山脈(生駒、葛城山脈)のことです。明石の海峡から大和盆地のほうを見ると、妻の居る懐かしい大和の山脈が遠くに見えたのでしょう。

淡路サービスエリアからの景観です。人麻呂もこのような景色を見たのかもしれません。

淡路サービスエリアから見る明石海峡

長旅の末に妻のいる大和の地に帰って来た、人麻呂の喜びが伝わります。

岩屋の大和島は柿本人麻呂の歌から

柿本人麻呂の歌に詠まれている「大和島」が岩屋の大和島ではなく、大和の山々を指すのなら、どうして歌碑が岩屋の大和島に建っているのか、ここが「大和島」と呼ばれるようになったのはどうしてか気になりました。

万葉学者の犬養孝先生が著書でそのことを記されていました。

ひと月もかかる瀬戸内海の長い道中を経て、大和恋しい、恋しいと思ってやって来ると、明石海峡から『大和島見ゆ』。別に大和島という島があるわけではありませんよ。大和の方が見えるということです。(中略)今、ここで大和島というのは、生駒山とか、葛城山だの、ああいう所を眺めて大和島と言ったのですね。そうしますと、今日、淡路島の岩屋というところに、大和島という島があるんです。それは、この歌から、後世につけたものなんです。(中略)さてこの歌『天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば』ここに軽い休止があります。そして『明石の門より大和島見ゆ』とつながるわけですが、『天離る鄙の長道ゆ恋ひ来れば』というのは、なんと倦怠感と焦燥感に満ち満ちているでしょう。長い船旅、もう疲れ切ったような感じがあるでしょう。(中略)明石海峡の所へ来たら、『明石の門』『大和島』という二つの地名を移動風景的にいうことによって、自分の感動を表わすんですね。これもまた、なんと激しい、動的な、ダイナミックな、心情の打ち出し方でしょう。

犬養孝『万葉の人びと』

「大和島」は人麻呂の歌から後世に付けられたものだったのですね。

私も遠く離れた淡路の地で、住まいのある大和に出会いました。

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柿本人麻呂が明石海峡の旅路を詠んだ歌3首

「天離る」の歌は「柿本人麻呂が詠んだ八首の旅の歌のひとつ」とご紹介しました。

8首の歌は一連の歌で、明石海峡を渡る時に詠んだ歌と思われます。ここでは8首のうち3首をご紹介します。

柿本朝臣人麻呂の羈旅たびの歌八首

(読み下し)
御津みつの崎 波をかしこみ こも
舟に公宣きみのる 美奴みぬの島へに

巻3-249 柿本人麻呂

(現代語訳)
御津の崎の波を恐れて入り江の舟で君は祈っています。美奴の島に。

※「御津の崎」は難波(大阪)の御津の崎こと。「美奴の島」については所在は不明です。
波を恐れて入り江の舟で航海の安全を祈っている人麿たち一行を詠んでいます。


(読み下し)
珠藻たまも刈る 敏馬みぬめを過ぎて 夏草の
野島のしまの崎に 舟近づきぬ

巻3-250 柿本人麻呂

(現代語訳)
美しい藻を刈る敏馬を離れて夏草の茂る野島の崎に舟は近づきました。

※「敏馬」は現在の兵庫県神戸市灘区岩屋町。「野島(のしま)」は淡路島の北端のこと。
船旅の不安を歌を詠むことで鎮めようとしたのでしょう。


(読み下し)
淡路の 野島の崎の 浜風に
いもが結びし 紐吹きかへす

巻3-251 柿本人麻呂

(現代語訳)
淡路の野島の崎の浜風にまかせてあなたの結んでくれた紐を吹きかえらせています。

巻3-255の歌と同じく、淡路島の北端である「野島」を詠っていることから、同じ旅路の連続した歌かと思われます。野島の浜に上陸した様子を詠った一首ですが、この歌も紐を結んでくれた妹(この場合はやはり妻でしょうか)を思い出すことで不安な気持ちを静めようとしています。

この時代の船旅は想像上に大変なもので、命を落とす危険もあったことでしょう。言葉の力を信じていた人麻呂は、歌を詠みつつ無事に大和に帰ったのでした。

日没を迎えた明石海峡

日没を迎えた明石海峡です。私もここで淡路を後にして大和へ帰りました。

日没を迎えた明石海峡
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大和島へのアクセス

兵庫県淡路市岩屋

岩屋漁港公園の駐車場を利用されると便利です。

岩屋漁港の駐車場

1時間以内は無料です。

岩屋漁港の駐車場の利用案内
岩屋漁港の駐車場(入口付近)
岩屋漁港の駐車場(遠景)

ここに車を停めて、大和島と同様、イザナギとイザナミの「オノコロ島」であるという説がある「絵島」にも行って来ました。

絵島

淡路島の景勝地【絵島】は記紀に登場する「オノコロ島」伝承地のパワースポット!

最後までお読み頂きありがとうございます。

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