みくるです。
彼岸花が満開になった明日香を散策して来ました。
秋晴れの空と黄金色に色付き始めた田と彼岸花の赤とのコントラストが綺麗でした。
![彼岸花の咲く明日香](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2023/09/image-23.jpg?resize=768%2C1024&ssl=1)
飛鳥寺からスタートです
今回は歩いたのは「飛鳥寺」~「弥勒石」~「槻の広場」~「飛鳥宮跡」~「万葉文化館」のルートです。
「槻の広場」と「飛鳥宮跡」については、それぞれ別の記事にします。
飛鳥寺の西門から出て南に向かって歩きました。
左手に見えるのが飛鳥寺です。
![飛鳥寺と彼岸花](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2023/09/image-28.jpg?resize=768%2C1024&ssl=1)
左手の屋根の下に「弥勒石」が祀られています。
奥に「甘樫丘」が見えます。
中央に「槻の広場」があります。
![彼岸花の咲く明日香](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2023/09/image-30.jpg?resize=768%2C1024&ssl=1)
飛鳥の弥勒石
弥勒石です。
![弥勒石](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2023/09/image-25.jpg?resize=768%2C1024&ssl=1)
穏やかで素朴なお顔をされています。
高さが2.5メートルもあるとても大きな石です。
わずかに目と口のようなくぼみがあるのですが、飛鳥川の堰として使われていたとの説があります。
飛鳥川に落水していたところを村人によって引き揚げられたそうです。
今も足の病気にご利益のある「ミロクさん」として大切にされているのが、その様子から伝わりました。
![弥勒石近く](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2023/09/image-26.jpg?resize=768%2C1024&ssl=1)
「弥勒石」Mirokuishi Stone
案内板より引用
この「弥勒石」は、真神原の西を流れる飛鳥川の右岸に位置する石柱状の巨石である。石には仏顔面もほとんどないが、わずかに目と口とみられる部分が加工されているだけである。
弥勒石を拝むと下半身の病気が治るといういい伝えがあり、今も地元や周辺の人々の信仰を集めるとともに、「ミロクさん」と呼ばれている。
毎年旧暦8月5日に飛鳥大字がお祭りを行なっています。
![弥勒石説明板](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2023/09/image-27.jpg?resize=800%2C600&ssl=1)
飛鳥寺の南に広がる一帯を「真神原(まかみがはら)といいます。
その真神原の西を流れる飛鳥川の右岸に弥勒石は佇んでいます。
この辺りにもずっと彼岸花が咲いていました。
まさしく「日本の原風景」といった景色に和みます。
![弥勒石遠く](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2023/09/image-29.jpg?resize=768%2C1024&ssl=1)
志貴皇子の明日香風の歌
明日香を詠んだ有名な歌があります。
「飛鳥宮跡」にその歌碑がありました。
![志貴皇子の歌碑](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2023/09/image-32.jpg?resize=800%2C600&ssl=1)
采女の 袖吹き返す 明日香風
都を遠み いたづらに吹く
万葉集巻1-51 志貴皇子
采女の袖を吹き返した明日香風は、都が遠のいたので、今はただむなしく吹いている。
この歌碑については「万葉歌碑巡り~飛鳥宮跡と志貴皇子の明日香風の歌」で詳しく書いています。
この後、「明日香民俗資料館」の展望広場で休憩していると、心地よい風が吹いて来ました。
眼前に広がる真神原に志貴皇子の歌を思い出しました。
![万葉文化館の展望台](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2023/09/image-33.jpg?resize=800%2C599&ssl=1)
こちらの展望広場にも犬養孝先生揮毫の万葉歌碑があります。
最後までお読みいただきありがとうございます。