蘇我入鹿のお墓?!【菖蒲池古墳】2つ並んだ家形石棺に感動!【古墳巡り~橿原市】

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古墳と古代史が好きなみくるです。

前回は蘇我稲目のお墓と言われている「都塚古墳」をご紹介しました。

今回は2023年の2月に行った「菖蒲池古墳(しょうぶいけこふん)」をご紹介します。

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菖蒲池古墳は一辺約30m二段築成の方墳

菖蒲池古墳は橿原市の南東部、明日香村との境界線付近に位置しています。
道路を挟んで東側は明日香村です。

菖蒲池古墳入口

2010年の発掘調査により一辺約30m、二段築成の方墳であることが明らかになりました。

菖蒲池古墳入口2
菖蒲池古墳石碑
菖蒲池古墳説明版

石室は建屋の下にシートで覆われていますが、ガラス戸を開けて自由に見学できます。

菖蒲池古墳石室建屋

蘇我入鹿のお墓とする説が有力です。

2つの家形石棺が縦に並んでいる様子が確認できて感動しました。

菖蒲池古墳石室内
菖蒲池古墳石室拡大

蘇我蝦夷のお墓と考えられている「小山田古墳」の石棺をこちらに移したとのではと言われています。
小山田古墳は乙巳の変ののちに徹底的に破壊された為、近年まで存在が明らかになっていませんでした。

破壊はしたものの、死者はきちんと弔いたいと思ったのでしょうか?
蝦夷の石棺を入鹿の石棺の隣に移したようです。

小山田古墳は養護学校の敷地内にあるため見学はできません。

墳丘からの眺めです。
写真左手に小山田古墳のある養護学校があります。

菖蒲池古墳墳丘からの眺め

近年の発掘調査の成果が発表されました。

飛鳥時代の権力者、蘇我蝦夷(えみし)らの墓とされる小山田古墳(7世紀中頃、奈良県明日香村)について、東西約300メートル規模の墓域(ぼいき)が存在し、墳丘規模は想定よりも大きい約90メートル四方に及んだとする新説が、先月出版された論文集「古墳と国家形成期の諸問題」(白石太一郎先生傘寿記念論文集編集委員会編、山川出版社)で発表された。

小山田古墳は想定より巨大か 奈良芸術短大教授が新説 – 産経ニュース (sankei.com)

今回発表された説によると、小山田古墳は飛鳥時代最大の方墳で、墳丘規模は想定よりも大きい約90メートル四方に及んだと考えられるそうです。


家形石棺が収まっていた石室は石舞台古墳のそれより大きかったのかもしれません。

こちらが石舞台古墳です。
古墳時代後期(7世紀初め頃)に作られた、巨大な石室をもつ方墳または上円下方墳です。
蘇我馬子の墓とする説が有力です。

石舞台古墳

石舞台古墳は墳丘の盛り土(封土)が全く残っておらず、石室が露出した状態になっています。
実際に見るとその大きさに驚くのですが、小山田古墳が石舞台古墳よりも大規模ならば、とてつもない大きさだろうと思います。

今回の発見で、都塚古墳石舞台古墳、菖蒲池古墳、小山田古墳が蘇我氏のお墓であることがほぼ確定したのではないでしょうか?
時代は蘇我氏から、中大兄皇子と中臣鎌足、そして藤原氏へ。
権力者の変遷にしみじみします。

菖蒲池古墳へのアクセス

奈良県橿原市菖蒲町4丁目43-2

駐車場はありません。
最寄り駅の近鉄岡寺駅より徒歩約9分です。

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