明日香と古墳が好きなみくるです。
前回の万葉歌碑巡りの記事で、石舞台展望台からの眺めをご紹介したので、今回は石舞台古墳をご紹介します。
写真は2020年12月20に撮影しました。
日本一有名な古墳は最大級の方墳
石舞台古墳は国営飛鳥歴史公園石舞台地区の中央に位置するわが国最大級の方墳です。
墳丘の盛土が全く残っておらず、巨大な両袖式の横穴式石室が露呈しているという独特の形状です。
天井石の上面が広く平らで、まるで舞台のように見えるその形状から古くから「石舞台」と呼ばれています。
30数個の岩の総重量は約2300トン、特に天井石は約77トンとかなりの重量で、造られた当時の優れた土木・運搬技術の高さがうかがわれます。
この雄大なフォルムが大好きです。
巨石がもの凄いバランスで積まれています。
石室内部の様子です。
中央に溝が彫られていて、雨水を排出できるようになっています。
石は古墳のかたわらを流れる冬野川の上流約3キロメートルの多武峰のふもとから運ばれました。
こんなに大きな石を遠くから運んだなんてビックリ!
石室奥に設置されていたと思われる石棺は粉々に割られていましたが、石室内に落ちていた欠片をもとに復元された家形石棺が展示されていました。
写真を撮り忘れてしまったのですが、都塚古墳のものと似た形状だったと思われます。
↓(参考)都塚古墳の家形石棺
都塚古墳は、石舞台古墳の南南東約400メートルの尾根上に位置する大型方墳で、蘇我稲目(蘇我馬子の父)の墓とも言われています。
日本最大級の横穴式石室を備えた古墳として昭和10年に史跡に指定され、昭和27年には特別史跡に指定されました。
史跡のうち特に重要なものとみなされ、日本文化の象徴と評価されるものが特別史跡です。
63件の特別史跡のうち10件が奈良県内の史跡です。
石舞台展望台から見る石舞台古墳
石舞台展望台から見ると規模と形がよく分かります。
昭和8年(1933年)から実施された調査で、墳丘は1辺約55mの方墳又は上円下方墳で、周囲には周濠と外堤が巡らされていて、周濠と外堤の斜面には貼石が施されていることが明らかとなりました。
被葬者は明らかではありませんが、7世紀初頭の権力者で、大化の改新で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父でもある蘇我馬子の墓ではないかといわれています。
方墳又は上円下方墳とありますが、蘇我馬子の墓であるとするならば、二段又は三段築造の方墳とする見方が有力です。
蘇我馬子の父の蘇我稲目のお墓とされる都塚古墳も、蘇我入鹿の墓とされる菖蒲池古墳も方墳だからです。
石棺が粉々に砕かれ、盛土が失われているのは、乙巳の変で蘇我入鹿が暗殺されて蘇我宗家が滅び、時の権力者が中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)に移ったためと推測されます。
蘇我蝦夷のお墓と考えられている小山田古墳は乙巳の変ののちに徹底的に破壊された為、近年まで存在が明らかになっていませんでした。
美しい秋の石舞台古墳と芝生広場
12月20日と紅葉を楽しむのには少し遅い時期だったのですが、紅葉をフレームにした美しい写真が撮れました。
隣の芝生広場でも秋景色が楽しめました。
石舞台古墳へのアクセス
アクセス
奈良県高市郡明日香村島庄254
お車でお越しの場合は、「国営飛鳥歴史公園石舞台地区駐車場」を利用されると便利です。
石舞台古墳のご利用案内
入場時間:9:00~17:00(受付16:45まで)
入 場 料:一般 300円、高校生~小学生100円
詳しくは「国営飛鳥歴史公園」の石舞台古墳のページをご参照ください。
国営飛鳥歴史公園
こちらの記事では、国営飛鳥歴史公園の見どころをまとめてご紹介しています。魅力あふれる飛鳥の周遊にお役立て頂けたら幸いです。
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