卑弥呼のお墓?!【箸墓古墳】美しい墳丘を眺めながら古代に想いを馳せる【奈良県桜井市】

※当サイトではアフィリエイト広告を利用しています。

古墳の美しい形と、分からないことが多いからこそ感じられる古代ロマンに魅せられているみくるです。

今回は卑弥呼の墓とも言われる箸墓古墳をご紹介します。

アイキャッチ箸墓古墳
スポンサーリンク

最古の巨大前方後円墳「箸墓古墳」

箸墓古墳は奈良県桜井市箸中にある巨大な前方後円墳です。邪馬台国の女王卑弥呼の墓という説もある、わが国において最も有名な古墳の一つです。

箸墓古墳の拝所の遠望

倭迹迹日百襲姫命 大市墓 拝所

現在は、倭迹迹日百襲姫命やまとととひももそひめの大市墓として宮内庁で管理されています。 

倭迹迹日百襲姫命 大市墓の拝所

倭迹迹日百襲姫命は第7代孝霊天皇皇女で、大物主神(三輪山の神)との神婚譚や箸墓古墳伝承で知られる、巫女的な女性です。

倭迹迹日百襲姫命 大市墓の拝所

『日本書紀』崇神天皇10年9月の条に、百襲姫による三輪山伝説・箸墓伝説が記されています。

百襲姫は大物主神の妻となりましたが、大物主神は夜にしかやって来ず昼に姿を見せませんでした。百襲姫が明朝に姿を見たいと願うと、翌朝大物主神は櫛笥の中に小蛇の姿で現れましたが、百襲姫が驚き叫んだため大物主神は恥じて御諸山(三輪山)に登ってしまいました。百襲姫がこれを後悔して腰を落とした際、箸が陰部を突いたため百襲姫は死んでしまい、大市に葬られました。

時の人はこの墓を「箸墓」と呼び、昼は人が墓を作り、夜は神が作ったと伝え、また墓には大坂山(現・奈良県香芝市西部の丘陵)の石が築造のため運ばれたといいます。

この説話から、「箸墓古墳」と名付けられました。

倭迹迹日百襲姫命 大市墓の拝所

箸墓古墳の概要

箸墓古墳は3世紀始めごろに出現した当時国内最大の集落跡、纒向遺跡まきむくいせきにある全長約276mの前方後円墳で、我が国で最初に造られた巨大古墳です。

遊歩道から見る箸墓古墳

墳丘は前方部4段、後円部5段の段築で墳丘表面には葺石が積まれ、後円部墳頂やその付近から吉備地方と同型式の特殊壺形埴輪と特殊器台型埴輪が採集されています。

箸墓古墳の箸中大池

周濠については幅約10m程度の周濠と、その外側に基底幅15mを越える大きな外堤が巡っていた可能性あり、外堤の所々には渡り堤が築造当初からあったと考えられています。 

箸墓古墳の航空写真
箸墓古墳 – Wikipedia

前方部の先端がバチ状に広がる形状は前方後円墳の中でも古相を示すとされます。

近年、周辺の調査が進められていていて、徐々に古墳の詳細が明らかになりつつありますが、埋葬施設や副葬品につては全く知られていません。ただ、墳丘裾部分に板石が散見されることから、竪穴式石室の存在が予想されます。

『日本書紀』の歌碑

箸中大池の遊歩道に『日本書紀』の歌碑が建っています。

日本書紀の歌碑と箸墓古墳

大坂に 継ぎ登れる 石群を
手ごしに越さば 越しかてむかも

日本書記 崇神紀 作者不詳

歌の意味
大坂山に人々が並んで登って、たくさんの石を手渡していけば渡せるだろうかなあ。 

日本書紀の歌碑(箸墓古墳の遊歩道)

「大坂山」は現在の奈良県香芝市西部の丘陵のことです。こちらの歌は『日本書紀』に次のように記されています。

「墓は昼は人が作り、夜は神が作った。(昼は)大坂山の石を運んでつくった。山から墓に至るまで人々が列をなして並び手渡しをして運んだ。時の人は歌った。大坂に 継ぎ登れる 石むらを 手ごしに越さば 越しかてむかも」

『日本書紀』崇神天皇10年9月の条

箸墓古墳と卑弥呼

多くの研究者により、箸墓古墳の被葬者候補として卑弥呼の名が挙げられます。

卑弥呼は『三国志』の「魏志倭人伝」に「鬼道」によって人々を惑わせたと記される倭国の女王で、巫女的な性格や中国との積極的な外交姿勢がよく知られています。「魏志倭人伝」には卑弥呼の墓に関する記述もあり、「径百余歩」(径約150m)とされる墳丘の大きさが箸墓古墳の後円部の規模に近いことから、箸墓古墳の被葬者を卑弥呼とする説の根拠の一つとなっています。

築造年代を墳丘周辺の周壕から出土した土器に付着した炭化物による炭素14年代測定法により、卑弥呼の没年(248年頃)に近い3世紀中頃から後半(260年〜280年頃)とする説があることも、卑弥呼の墓とする説を後押ししています。

個人的には宮内庁の治定の通り倭迹迹日百襲姫命の陵墓ではないかと考えています。箸墓古墳は三輪山の傍近くにあります。

箸墓古墳と向こうに三輪山

三輪山は倭迹迹日百襲姫命を娶った大物主神おおものぬしのかみを神とします。

箸墓古墳と三輪山

倭迹迹日百襲姫命はその地位や巫女的性格から、『魏志倭人伝』に見える卑弥呼を百襲姫に、卑弥呼の男弟を崇神天皇にあてる説もあることを知り、やはり、箸墓古墳の被葬者は卑弥呼!?と考えたりもします。

このようにしてあれこれと想像できるのも古墳巡りの楽しいところです。

スポンサーリンク

歩いて実感する箸墓古墳の大きさ

墳丘の周りをぐるりと歩いて来ました。

箸墓古墳の遊歩道に建つ大池改修記念碑

大池改修記念碑が建っていました。箸墓古墳の周濠の一部である箸中大池は「ため池百選」の一つに選ばれています。

大池改修記念碑 改修概要

農林水産省が生活への役割と保全の必要性を国民に理解してもらうために選定した100の溜池が「ため池百選」です。

箸中大池内にある小島は「堂後古墳」とされていますが、未調査のため詳細は不明です。他にも箸墓古墳の周辺には古墳が点在しています。

箸墓古墳と堂後古墳

後円部から見る箸墓古墳。

後円部から見る箸墓古墳

あれこれと想像しながら歩くのは楽しい時間でした。30分ほどで一周できます。

箸墓古墳の周りを一周する道
スポンサーリンク

箸墓古墳へのアクセス

奈良県桜井市箸中

ひみこの庭さんの駐車場を利用させて頂きました。

ひみこの庭の駐車場

「ひみこの庭 古墳 P¥0」と表示されています。

ひみこの庭の駐車場の表示

「ひみこの庭」は箸墓古墳と大池を臨めるカフェです。勾玉磨き体験ができます。

ひみこの庭

詳しくは「ひみこの庭」さんの公式ページをご覧ください。

纏向古墳群

箸墓古墳のある纏向古墳群には箸墓古墳より古い5つの纒向型前方後円墳が点在します。

  • 纒向石塚古墳
  • 纒向矢塚古墳
  • 纒向勝山古墳
  • 東田大塚古墳
  • ホケノ山古墳
  • 箸墓古墳

こちらの記事でホケノ山古墳についてご紹介しています。

最後までお読み頂きありがとうございます。

スポンサーリンク