明日香村

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万葉歌碑巡り

万葉人が最も愛した【萩の花】旧友と豊浦寺で宴げせる歌【丹比真人國人】

この記事では、向原寺(豊浦寺跡)の前に建っている万葉歌碑をご紹介しています。任地へ向かう際に故郷の飛鳥に戻り、旧友と豊浦寺で宴を開いた時に詠んだ歌です。丹比真人國人が散るのを惜しむ萩の花は、万葉人に最も愛された花で140首もの歌が詠まれています。
神社仏閣・史跡巡り

飛鳥時代はここから始まった!【推古天皇の豊浦宮】豊浦寺跡(向原寺)

この記事では、かつて豊浦宮が置かれた豊浦寺跡(向原寺)をご紹介しています。推古天皇は593に豊浦宮で即位されました。豊浦宮が置かれた593年を飛鳥時代の始まりとします。ここから飛鳥時代が始まり、以来100年間、飛鳥は政治の中心地でした。
万葉歌碑巡り

飛鳥川の清らかさを詠む【上古麻呂の歌碑】と守りたい【日本の心のふるさと飛鳥】

犬養万葉記念館で頂いた「明日香村の万葉歌碑を歩く」を片手に万葉歌碑巡り。今回はマップ6番の、飛鳥川の清らかさを詠んだ上古麻呂の歌をご紹介します。「明日香法」により守られている「日本の心のふるさと飛鳥」の景観もご紹介しています。
万葉歌碑巡り

万葉集に詠まれる【雷丘】は神話の舞台になった神聖な丘【柿本人麻呂】

この記事では、推古天皇の小墾田宮があったと考えられる雷丘周辺と、柿本人麻呂の万葉歌碑をご紹介しています。雷丘は古代の人にとっては神話の舞台になった聖なる丘でした。歌碑は犬養孝先生揮毫で、天皇が行幸された際に柿本人麻呂が詠んだ万葉歌です。
神社仏閣・史跡巡り

【飛鳥時代の始まりの地】明日香村豊浦【古宮遺跡(古宮土壇)】

写真を撮られる方にも人気の「古宮遺跡」をご紹介します。推古天皇の小墾田宮と推定されてきたこの場所には、蘇我氏にかかわる庭園があったとする説が有力です。推古天皇が豊浦に宮を置いた時を飛鳥時代のはじまりとします。飛鳥時代は蘇我氏の本拠地からはじまったのでした。
万葉歌碑巡り

万葉歌碑巡り【犬養万葉記念館】高市皇子の歌と犬養先生の思い【明日香村】

歴史と万葉のふるさとである飛鳥を愛し、その保存に尽力した犬養孝氏の業績を顕彰する記念館である「犬養万葉記念館」をご紹介します。記念館に行って犬養先生の思いに触れ、ますます万葉集が好きになりました。歌碑を見て歩くことで、万葉の故地を知り、万葉の世界に想いをはせることができます。
うるわしの奈良

秋の明日香を散策~蘇我氏が邸宅を構えた【甘樫丘】赤く染まるコキアと展望台からの眺め

秋の明日香を散策。今回は甘樫丘の周辺を歩きました。甘樫丘は古くは「日本書紀」などのにもその記述がみられ、7世紀前期には当時の有力者であった蘇我蝦夷、入鹿親子が邸宅を構えていた場所であるともいわれています。1400株ものコキアが並ぶお花畑、展望台からの眺め、コスモス畑の風景もご紹介しています。
古墳巡り

蘇我馬子のお墓?!【石舞台古墳】巨大で美しい石組みに驚嘆!【古墳巡り~明日香村】

奈良県高市郡明日香村島庄の石舞台古墳をご紹介します。被葬者は明らかではありませんが、7世紀初頭の権力者で、大化の改新で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父でもある蘇我馬子の墓ではないかといわれています。封土が失われているの石組みの様子がよく分かり、その大きさに驚きます。
万葉歌碑巡り

万葉歌碑巡り【御食向かふ南淵山の巌には】石舞台展望台からの眺めと共に

奈良県高市郡明日香村島庄の「石舞台古墳休憩所横」にある万葉歌碑をご紹介します。柿本人麻呂歌集からの一首です。奈良県景観資産に選定されている、石舞台展望台からの眺めも一緒にお楽しみ下さい。
神社仏閣・史跡巡り

飛鳥京の中心地【飛鳥宮跡】で飛鳥時代に想いを馳せる「後の大極殿」【エビノコ郭】も

飛鳥時代に天皇の宮殿が重層的に営まれていた明日香村岡の「飛鳥宮跡」をご紹介します。飛鳥宮跡では「飛鳥岡本宮」、「飛鳥板蓋宮」、「後飛鳥岡本宮」、「飛鳥浄御原宮」が重層的に営まれていました。後の大極殿の「エビノコ郭」も合わせてご紹介しています。
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