明日香と万葉集が好きなみくるです。
犬養万葉記念館で頂いた「明日香村の万葉歌碑を歩く」を片手に万葉歌碑巡り、40基全て見て歩こうと思っています。
今回は6番の飛鳥川の清らかさを詠んだ歌をご紹介します。
今日もかも明日香の川の夕さらず【上古麻呂】
歌碑は明日香村飛鳥の甘樫丘東詰の道路沿いに建っています。
(原文)
今日可聞 明日香河乃 夕不離
川津鳴瀬之 清有良武
巻3-356 上古麻呂
(揮毫)
犬養孝/国文学者
(読み下し)
今日もかも 明日香の川の 夕さらず
河蝦鳴く瀬の 清けかるらむ
(訳文)
今日もまた、明日香川の、夕方になるといつも蛙の鳴くあの瀬が、さぞかし清らかに流れていることであろう。
上古麻呂(かみのこまろ)の詠んだ一首。
姓を村主(すぐり)といい、百済系の渡来人だったようです。
河蝦(かわづ)はカジカガエルのことです。
清流の歌姫とも呼ばれ、とても美しい声で鳴くそうです。
鳴き声が鹿の声に似ていることから、漢字で「河鹿蛙(かじかがえる)」と書く名前が付いています。
清流に棲むカジカガエルは数が減っていて「準絶滅危惧種」となっています。
清らかな飛鳥川の流れ~奥飛鳥にて
日本の心のふるさと飛鳥
奥飛鳥は、明日香村の大字「稲渕(いなぶち)」「栢森(かやのもり)」「入谷(にゅうだに)」の三集落周辺を指す地域です。
飛鳥川の源流が流れ、美しい棚田が広がり、まさに「日本人の心のふるさと」という風景が広がっています。
万葉歌人たちが見たであろう清らかな飛鳥川の流れが見られる美しい地域です。
「古都保存法」の特例法「明日香法」
深い歴史と豊かな自然が息づく飛鳥を、都市開発の波から守るために様々な努力がなされています。
明日香村は1966年(昭和55年)から現在まで、「古都における歴史的風土の保存に関する特別措置法」(略「古都保存法」)による歴史的風土特別保存地区、及び奈良県風致地区条例による風致地区に村全域が指定されています。
さらに、明日香の素晴らしい景観や自然を守るために「古都保存法」の特例法として1980年(昭和55年)に「明日香法」が制定されました。
「明日香法」は、「古都保存法」の心髄である「古き良きものを守る」ことをベースとしながらも、そのためには住民の生活のさらなる向上が不可欠という考え方を基本にしています。
明日香法では、現状の変更は厳しく規制しながらも、住民の生活向上のための下水道、公園、教育施設、農業用道路などの整備計画が作られています。
住民の生活の向上と、古き良きものを守ることの調和がはかられる中で、明日香は「日本人の心のふるさと」であり続けてくれています。
【飛鳥をこよなく愛した】万葉学者の犬養孝先生
今回ご紹介した歌碑を揮毫された犬養孝先生は、飛鳥をこよなく愛し、中でも甘樫丘がお気に入りでした。
甘樫丘の上が、飛鳥をはじめとして、大和国原一帯の景観を一つに集約できる位置にあることはいうまでもない。(中略)戦後まもないころまでは、まだ甘樫丘に登り道はなかった。わたくしは、学生ころ、まさに木の根、草の根をわけてひとり丘の上に立ち、木の間から三山を眺め、村の物音に耳傾けるのを楽しみにしていた。
『万葉 花・風土・心』
犬養先生が揮毫された歌碑の第一号は甘樫丘の歌碑「采女の袖吹き返す明日香風」で、それはこの丘に8階建てのホテルを建てるという計画を阻止するためでした。
犬養先生はまた「明日香法」の立法にも尽力されました。
様々な方の想いが時の佐藤首相に伝わり、首相自身が飛鳥を訪問され、法が制定されたのでした。
明日香が好きで度々訪れる私も「日本の心のふるさと飛鳥」を守っていきたいです。
上古麻呂の歌碑へのアクセス
奈良県高市郡明日香村飛鳥
公共交通機関をご利用の場合
近鉄橿原神宮前駅東口または、飛鳥駅から
奈良交通バス(かめバス) 飛鳥下車すぐの道路沿いに建っています。
お車をご利用の場
国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区川原駐車場より徒歩11分
近くのおすすめスポット
雷丘周辺には、推古天皇の小墾田宮があったと考えられる雷丘東方遺跡と柿本人麻呂の万葉歌碑があります。
甘樫丘には犬養孝先生揮毫第一号の歌碑や、大和三山と明日香村が一望できる展望台などがあります。
明日香村の万葉歌碑を歩く
「犬養万葉記念館」で頂いた『明日香村の万葉歌碑を歩く』に掲載されている万葉歌碑40基をまとめてご紹介しています。
最後までお読み頂きありがとうございます。