万葉歌碑巡り【草壁皇子の死を悼む歌】草壁皇子の宮殿「島の宮」の放ち鳥に寄せて

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明日香と万葉集が好きなみくるです。

犬養万葉記念館で頂いた「明日香村の万葉歌碑を歩く」を片手に万葉歌碑巡り、40基全て見て歩こうと思っています。

明日香村の万葉歌碑を歩く

今回は「明日香村の万葉歌碑を歩く」33番の草壁皇子の挽歌をご紹介します。

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草壁皇子と嶋宮

草壁皇子は天武天皇と皇后のは鸕野讚良うののさららのひめみこ(後の持統天皇)の間に生まれました。
皇太子に立てられましたが、持統天皇3年(689年)に即位しないまま没し、真弓丘墓に葬られました。

日並皇子ひなしのみこ」と称されていましたが、天平宝字2年(758年)になり、「岡宮御宇天皇おかみやぎょうてんのう」と尊号を送られ、墓も山陵とされました。
高取町の「束明神古墳」を草壁皇子墓とする説があります。

草壁皇子は嶋宮しまのみやという離宮に住んでいたことが、『万葉集』に収められた一連の挽歌により分かっています。

「島庄遺跡」にある説明板に草壁皇子の挽歌が3首書かれていました。

嶋宮は蘇我馬子の邸宅跡に造られ、その後離宮になり、さらに東宮(皇太子)である草壁皇子の宮になったと考えられています。

『万葉集』に巻2の中に、草壁皇子死去の際、柿本人麻呂やその舎人が悲しんで詠んだ歌の中に

島の宮 勾の池の 放ち鳥
人目に恋ひて 池に潜かず
巻2-170 柿本人麻呂

島の宮 勾の池の 放ち鳥
荒びな行きそ 君まさずとも
巻2-172 草壁皇子の舎人

ひむがしの 滝の御門に 伺侍さもらへど
昨日も今日も 召すことも無し
巻2-184 草壁皇子の舎人

などとあることから、この宮には上、下に池があり、池の水辺は湾曲した勾の池であり、また池の中には小さな島があり、水鳥が放たれていたことが窺われます。

島庄遺跡の説明板

草壁皇子は27歳の若さで亡くなりました。

『万葉集』に柿本人麻呂が皇子に捧げた挽歌と、草壁皇子の舎人(天皇や皇族の護衛などをつとめる従者)たちが皇子の死を悼んで詠んだ23首の挽歌群(巻2-171~193)が残されています。

草壁皇子がいかに慕われていたかが窺い知れます。

嶋の宮上の池なる放ち鳥荒びな行きそ君まさずとも

その挽歌のうちの1首の歌碑が島庄を見下ろせる丘の上にあります。

島庄を見下ろせる丘
島庄を見下ろせる丘の歌碑

(題詞)
皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首

(原文)
嶋宮 上池有 放鳥 荒備勿行 君不座十方
揮毫者:犬養孝(国文学者)

(読み下し)
嶋の宮 上の池なる 放ち鳥
荒びな行きそ 君まさずとも

巻2-172 草壁皇子の舎人

(現代語訳)
島の宮の上の池の放ち鳥よ、心すさぶな、皇子はいらっしゃらなくても。

島庄遺跡の説明板にあったように、島の宮には上と下の二つの池があったのでしょう。
この歌は、草壁皇子が亡くなったことで島の宮が荒れ果て、世話をするものがいなくなったために池に飼われていた鳥が次第に野生化していくのを見て詠まれた一首です。

皇子が生きていてくれたらとの思いがひしひしと伝わって来ます。

柿本人麻呂が草壁皇子の死を悼んで詠んだ歌

『万葉集』巻2-170の柿本人麻呂が草壁皇子の死を悼んで詠んだ挽歌も合わせてご紹介します。

(題詞)
日並皇子尊殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌一首

(原文) 
嶋宮 勾乃池之 放鳥 人目尓戀而 池尓不潜

(読み下し)
嶋の宮 勾の池の 放ち鳥
人目に恋ひて 池に潜かず

巻2-170 柿本人麻呂

(現代語訳)
島の宮の勾の池の放ち鳥は、人の目を恋しがって池に潜ろうともしない。

草壁皇子が生前愛した放ち鳥が、皇子の死を感じ取り、人恋しい様子をしていると詠みました。
早世した皇子を慕う人麻呂の心情がよく表れています。

草壁皇子は鳥を可愛がる優しい人だったのでしょう。

草壁皇子が眠る真弓の岡を詠んだ歌

草壁皇子は真弓の岡に葬られました。
皇子の舎人が詠んだ歌をもう一首ご紹介します。

(題詞)
皇子尊宮舎人等慟傷作歌廿三首

(原文)
鳥垣立 飼之鴈乃児 栖立去者
檀岡尒 飛反来年

(読み下し)
鳥座とくら立て 飼ひし雁の子 巣立ちなば
真弓の岡に 飛び帰り来ね

巻2-182 草壁皇子の舎人

(現代語訳)
寝床を作って飼っていた雁の子よ、巣立っていったなら、皇子が眠る真弓の岡に飛んで帰っておいで。

皇子が一人で眠る真弓の岡に帰って来てお慰めしておくれという、舎人の皇子を想う優しい気持ちが表れた歌だと思います。

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島庄を見下ろせる丘へのアクセス

奈良県高市郡明日香村島庄824

案内板にこちらの万葉歌碑の表示が無いので、ずいぶんと探しました。
グーグルマップに載っていることはあとで知りました。

この案内板は「石舞台展望台」の横にあります。

明日香村の案内地図

写真右手が「石舞台展望台」です。

島庄の歌碑へのアクセス1

石舞台展望台の横の道を進みます。
この道はグーグルマップに表示されていません。

途中から急な登り坂になります。

島庄の歌碑へのアクセス2

さらに急な登り坂が続きます。

島庄の歌碑へのアクセス3

坂を登りきる少し手前に歌碑が見えて来ます。

島庄の歌碑へのアクセス4

坂の上から見下ろした様子です。

島庄の歌碑へのアクセス5

歌碑がある丘から見下ろす島庄です。

島庄を見下ろせる丘からの眺め

こちらの記事で「島庄遺跡」をご紹介しています。
蘇我馬子の邸宅跡【島庄遺跡】庭園と方形の池がある大邸宅はのちの嶋宮「草壁皇子」も住まう

「石舞台古墳前休憩所」の横に「明日香村の万葉歌碑を歩く」の34番の歌碑があります。
「石舞台展望台」からの眺めと合わせてご紹介しています。

明日香村の万葉歌碑を歩く

明日香村にある万葉歌碑40期をまとめてご紹介しています。

犬飼孝先生の足跡を辿るような気持ちで歌碑を見て歩いています。
➡︎万葉歌碑巡り【飛鳥宮跡と志貴皇子の明日香風の歌】甘樫丘の犬養孝先生揮毫の歌碑も

最後までお読み頂きありがとうございます。

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