生まれも育ちも奈良県で、いまは橿原市に住んでいるみくるです。「飛鳥・藤原の宮都」の世界遺産登録はまさに「わがこと」のように感じています。
2025年1月、「飛鳥・藤原の宮都」は、ユネスコ世界遺産の登録推薦候補に正式決定されました。いよいよ、世界へと羽ばたく時が近づいているのです。
実は私、先日「飛鳥藤原まるごと博物館検定(中級編)」に合格したのですが、受験を通してこのエリアの歴史や文化財について、さらに深く学ぶことができました。
そして、現地を巡る中で、地元の人々がどれほどこの地に誇りを持ち、世界遺産登録を心待ちにしているかを肌で感じています。
そんな「飛鳥・藤原」への熱い思いを胸に、今回はこの素晴らしいニュースの「現状」と、今後の「スケジュール」、そして「19か所の構成資産リスト」、さらに「地元住民の反応」について、合格者の視点も交えながら、詳しくお伝えしたいと思います!
「飛鳥・藤原の宮都、世界遺産へ」19の構成資産を一挙紹介!
「飛鳥・藤原の宮都」ってどんなところ?
まずはじめに、「飛鳥・藤原の宮都」について簡単にご説明します。
ここは、6世紀末から8世紀初頭にかけて、日本で初めての中央集権的な国家が形成された、まさに日本の礎が築かれた場所です。
飛鳥時代に推古天皇が豊浦宮に遷都して以来、飛鳥京、藤原京と宮都が移り変わり、この地で遣隋使や遣唐使が派遣され、大化の改新が行われ、律令国家が確立されていきました。

その痕跡は、現在も豊かな自然の中に点在する宮殿や官衙(役所)の跡、日本独自の仏教文化を花開かせた寺院の跡、そして天皇や有力者の墓である古墳など、多岐にわたります。これらが一体となって、当時の日本の姿を今に伝えているのです。
【朗報!】2025年1月に国内推薦が正式決定!
そんな歴史的に重要な「飛鳥・藤原の宮都」ですが、現在、世界遺産登録に向けて大きく進展しています。
2025年1月28日に、「飛鳥・藤原の宮都」が世界文化遺産の国内推薦資産として、ユネスコへ推薦書を提出することが閣議了解され、正式に決定したのです!

そして、1月31日には、推薦書がユネスコ事務局へ無事に提出されました。本当に、ここまで来るのに多くの方々の努力がありましたね。私も検定で学んだ知識が、こうして世界に評価されると思うと感慨深いです。
必見!19か所の構成資産リスト
現在の推薦資産は、なんと19か所!「宮殿・官衙跡」、「仏教寺院跡」、「墳墓」の3つの分野にわたる貴重な文化財が選ばれています。これらの遺産が、まさに古代日本の国家形成の様子を物語っているのです。
それぞれの場所が持つ歴史的な意味を知ると、より一層、飛鳥・藤原の魅力に引き込まれるはずです。検定対策で何度も訪れた場所ばかりなので、その魅力とポイントを詳しくお伝えしますね!
宮殿と官衙
古代日本の政治・行政の中心であった宮殿や役所の跡地です。
飛鳥宮跡(あすかきゅうせき)
飛鳥宮跡(あすかきゅうせき)は、7世紀に建設された4時期(飛鳥岡本宮、飛鳥板蓋宮、後飛鳥岡本宮、飛鳥浄御原宮)の宮殿遺跡の総称です。公的な儀礼・政務の場と私的な居住空間が一体となった宮殿で、645年の「乙巳の変」など多くの歴史的出来事の舞台となりました。日本の政治の中心がこの地にあったことを物語っています。

飛鳥京跡苑池(あすかきょうあとえんち)
飛鳥京跡苑池(あすかきょうあとえんち)は、飛鳥宮跡の北西に位置する庭園跡です。7世紀中頃に造られ、天武天皇・持統天皇の飛鳥浄御原宮まで使用されました。中国や朝鮮半島の造園技術の影響が見られつつも、日本特有の意匠や構造を持ち、その後の日本庭園につながる最古の事例とされています。検定でも、酒船石遺跡との関連性や、初期の庭園様式として注目されますよ!
飛鳥水落遺跡(あすかみずおちいせき)
飛鳥水落遺跡(あすかみずおちいせき)は、660年に造られた日本最古の水時計台(漏刻台)の遺跡です。唐から伝来した技術と考えられており、時を告げる施設として機能しました。当時の高度な技術水準と、律令国家の統治システムを支えた正確な時間管理の重要性を示しています。
酒船石遺跡(さかふねいしいせき)
酒船石遺跡(さかふねいしいせき)は、7世紀中頃に造営された祭祀遺跡です。湧水施設や亀形石槽などがあり、天皇による国家祭祀遺跡と推定されています。日本の伝統的な文化と外来の技術の融合を示す遺跡であり、その用途については今なお諸説が唱えられ、ロマンを掻き立てられますね。
藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)
藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)は、694年に持統天皇が遷宮した宮殿遺跡です。約1キロ四方の広大な宮殿には天皇の居住区、政務・儀式の空間、役所が集約され、天皇を中心とした中央集権体制を体現していました。周囲には碁盤の目状に整備された藤原京が広がり、後の平城京や平安京の原型となりました。春には菜の花、夏にはハスの花が咲き誇る美しい景観も楽しめます。

仏教寺院
日本に仏教が伝来し、花開いた時代の重要な寺院の跡です。
飛鳥寺跡(あすかでらあと)
飛鳥寺跡(あすかでらあと)は、日本で最初の本格的伽藍を持つ仏教寺院(596年完成)の遺跡です。東アジアの国際交流によりもたらされた仏教と、それに伴う最新技術が日本の国づくりの基礎となりました。現在の安居院(あんごいん)に法灯が受け継がれ、本尊の飛鳥大仏は創建当時のものと伝わる、日本の仏教文化黎明期を象徴する場所です。
橘寺跡(たちばなでらあと)
橘寺跡(たちばなでらあと)は、7世紀前葉に造営された百済式伽藍を採用した尼寺跡です。聖徳太子生誕の地と伝えられ、百済や唐の影響が見られつつも、日本最古級の尼寺跡とされています。境内には、善悪二つの顔を持つ「二面石」など、見どころも多いです。

山田寺跡(やまだでらあと)
山田寺跡(やまだでらあと)は、7世紀中葉に蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだいしかわまろ)の発願により造営された氏寺の遺跡です。百済の寺院にみられる伽藍配置を持ち、平城京遷都後も隆盛を極めました。発掘された回廊の一部や塑像は、当時の建築・美術水準の高さを示し、検定では「倒壊伽藍」としてもよく出題されます。

川原寺跡(かわらでらあと)
川原寺跡(かわらでらあと)は、7世紀中頃に天智天皇が亡き母のために建立した仏教寺院跡です。一塔二金堂式の伽藍配置を持ち、中国・唐の大きな影響が見られます。その独創的な配置は、当時の日本が独自の文化を模索していたことを示唆しています。

檜隈寺跡(ひのくまでらあと)
檜隈寺跡(ひのくまでらあと)は、飛鳥宮の南西、檜前盆地の中央にある渡来系氏族の拠点に造営された仏教寺院跡です。独自の伽藍配置を持ち、東アジアとの交流を背景に有力氏族が寺院建立を進めたことが分かります。国際色豊かな飛鳥の姿を教えてくれます。
大官大寺跡(だいかんだいじあと)
大官大寺跡(だいかんだいじあと)は、藤原宮の東南に計画的に配置された国家寺院跡です。「飛鳥・藤原」最大の寺院で、特に九重塔は東アジア各国の国家のシンボルでした。現在の奈良市にある大安寺の前身ともされ、その壮大なスケールから、当時の国家の威信をかけて建立された様子が伺えます。
本薬師寺跡(もとやくしじあと)
本薬師寺跡(もとやくしじあと)は、藤原京の西南に計画的に配置された国家寺院跡です。天武天皇が皇后(後の持統天皇)の病気平癒を願って建立された薬師寺の旧地であり、双塔式の伽藍配置とその規模は、平城京遷都後の薬師寺にも受け継がれています。

墳墓(古墳)
古代の天皇や有力者の墓であり、当時の権力や文化を伝える重要な遺跡です。
石舞台古墳(いしぶたいこふん)
石舞台古墳(いしぶたいこふん)は、一辺約50mの方墳で、横穴式石室の巨大な天井石が露出しています。その構造と規模から、相当な権力者の墓であり、一説には蘇我馬子の墓とされます。あの巨大な石室は圧巻の一言に尽きます!検定では、そのスケールと歴史的背景がよく問われますよ。

菖蒲池古墳(しょうぶいけこふん)
菖蒲池古墳(しょうぶいけこふん)は、7世紀中頃に築かれた墳墓です。中国の皇帝陵等に採用されていた方墳であり、有力者の墓と考えられています。方形の墳丘は、当時の国際的な墓制の影響を示唆しています。

牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)
牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)は、7世紀後葉に築かれた八角墳です。斉明天皇陵の有力候補とされており、中国の宇宙観に基づきながら、天皇を頂点とした中央集権国家の確立を目指し、日本独自に創出された墳墓です。その美しく独特な形状は必見です。

天武・持統天皇陵古墳(てんむ・じとうてんのうりょうこふん)
天武・持統天皇陵古墳(てんむ・じとうてんのうりょうこふん)は、7世紀後半に築かれた、天武天皇と持統天皇が合葬された陵墓です。八角形の墳形を採用し、藤原宮の中軸に位置している点も重要です。日本書紀にも記された、古代の重要人物が眠る場所であり、検定でも頻出のポイントです!
中尾山古墳(なかおやまこふん)
中尾山古墳(なかおやまこふん)は、小型石室を備えた八角墳で、文武天皇陵である可能性が指摘されています。火葬と合わせて仏教的要素が濃い墳墓であり、当時の葬送儀礼の変遷を示す貴重な資料となっています。

キトラ古墳
キトラ古墳は、7世紀後半から8世紀初頭に築造された壁画古墳です。石室内部には、玄武、白虎、青龍、朱雀の四神図に加え、東アジア現存最古の天文図が描かれています。中国・朝鮮半島の土木技術の影響が見られ、当時の国際交流を示す重要な遺跡です。
高松塚古墳(たかまつづかこふん)
高松塚古墳(たかまつづかこふん)は、7世紀後半から8世紀初頭に築造された壁画古墳です。極彩色で描かれた石室内部の人物群像や四神、星宿図は、中国の伝統的な思想に基づきながら、高句麗や唐の影響が顕著に表れています。教科書でおなじみの壁画は、当時の美術・文化レベルの高さに驚かされます。

これらの遺産が、まさに古代日本の国家形成の様子を物語っているのです。
地元住民の皆さんの反応は?
さて、世界遺産登録に向けて大きく前進していますが、地元の皆さんはどのように感じているのでしょうか?私の肌感覚、そして各地のニュースなどを見ても、地元の皆さんは「飛鳥・藤原の宮都」の世界遺産登録を概ね 歓迎していると考えて良いでしょう!
関係する自治体、例えば橿原市や桜井市、明日香村などでは、市長のコメントや公式ホームページで、推薦候補に選定されたことへの大きな喜びと、登録実現に向けた強い意気込みが表明されています。これは単なる行政の立場だけでなく、地域住民の皆さんの「この素晴らしい歴史を世界に知ってほしい」「未来へ残していきたい」という強い願いの表れだと感じます。
もちろん、世界遺産登録によって、観光客の増加による環境への影響や、住民生活との兼ね合いなど、さまざまな課題が生まれる可能性もゼロではありません。しかし、それ以上に「地域の宝」が世界に認められることへの誇り、そして地域経済の活性化や文化財のより一層の保護に繋がるという期待が非常に大きいのです。
私も検定を通じて、地元の方々が、いかにこの地の歴史や文化財を大切にし、ガイド活動や清掃活動などを通じて未来へ繋いでいこうとしているかを強く感じました。世界遺産登録は、そうした長年の努力と情熱が実を結ぶ、まさに大きな節目となるはずです。
これからのスケジュールはどうなるの?
さて、正式推薦されたからといって、すぐに登録されるわけではありません。ここからが、登録に向けての正念場です。
今後の重要スケジュール(予定)
現在進行中!2025年夏~秋頃:イコモスによる現地調査と審査
世界遺産登録の専門諮問機関である「国際記念物遺跡会議(イコモス)」の専門家が、「飛鳥・藤原の宮都」を実際に訪れ、推薦された遺産の価値や保存管理状況などを厳しく審査します。
現在、まさにこの現地調査が行われている非常に重要な時期です!私も検定で培った知識をもって、現地調査に立ち会いたい気持ちでいっぱいです。
2026年春頃:イコモスからの評価結果勧告
現地調査の結果を受けて、イコモスから「登録」「情報照会」「登録延期」「不登録」のいずれかの勧告が出されます。良い評価が出ることを祈るばかりです。
2026年夏頃:ユネスコ世界遺産委員会で審議・決定!
そして、いよいよ運命の瞬間!ユネスコ世界遺産委員会において、世界各国の代表者によって登録の可否が審議され、最終的な決定が下されます。
目指すは、2026年の世界遺産登録です!
私たちにできること
世界遺産に登録されれば、この地域の歴史的価値が世界中で認められ、より一層の保全活動や観光振興にも繋がります。
私たち地域住民としては、このかけがえのない遺産を守り、後世に伝えていくために、文化財保護への理解を深め、清掃活動やボランティア活動などに積極的に参加していくことが大切です。私も検定で得た知識を活かして、この地域の魅力を多くの方に伝えていきたいと思います!また、多くの人に「飛鳥・藤原の宮都」の魅力を発信していくことも、私たちにできることの一つです。
2026年の吉報を心待ちにしながら、これからも「飛鳥・藤原の宮都」の動向に注目していきましょう!
皆さんも、この歴史的な瞬間に立ち会うために、ぜひ一度「飛鳥・藤原の宮都」を訪れてみませんか?
こちらの記事では、奈良県高市郡明日香村の「国営飛鳥歴史公園」の高松塚周辺地区に設けられている「国営飛鳥歴史公園館」をご紹介しています。
飛鳥の玄関口として、訪れた方々に飛鳥の史跡や施設の紹介を行う施設です。無料で利用できます。
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