桜と巨木が美しい【山之坊山口神社】狂心渠を踏襲する米川沿いの桜並木も(奈良県橿原市)

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生まれも育ちも奈良県で、今は橿原市に住んでいるみくるです。

今回は、奈良県橿原市山之坊町の米川沿いに鎮座する山之坊山口神社やまのぼうやまぐちじんじゃをご紹介します。創建は昭和42年と新しいのですが、本来は耳成山みみなしやまに古くから鎮座していた神様をお祀りしています。

大きな木が4本立つ姿が好きでよくお詣りします。可愛らしい藤棚もあります。桜が咲く春の境内の様子と、米川の桜並木も合わせてご紹介します。

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山之坊山口神社

山之坊山口神社の概要

山之坊山口神社やまのぼうやまぐちじんじゃは、奈良県橿原市山之坊町を流れる米川の北岸に鎮座します。米川沿いの遊歩道からも、社殿を守るように立つ大木が見えます。

山之坊町らの氏神さまである当社に祀られるのは、本来は耳成山みみなしやまに鎮座していた神様でした。

耳成山の山口神社は、大和国の山口社六社(飛鳥・石村・畝火・忍坂・長谷・耳成)のうちの1社で、天皇家の舎殿用材を切り出す山の神として祀られていました。

1651年(慶安4年)に山之坊やまのぼうの村民が神木を伐り荒らしたことをきっかけに、耳成山西麓の木原きはらとの間に争いが続きました。また、享保年間(1716-1735年)に、木原と山之坊で耳成山をめぐって境界争いが起こり木原の所属となったので、敗訴した山之坊の宮司が神霊を奉じて下山し、現在地に祀りました。

以来、耳成山の方は「耳成山口神社」となり、耳成山の八合目に鎮座しています。

耳成山

こちらの記事では、桜の季節の耳成山公園みみなしやまこうえんをご紹介しています。池の北側に桜並木が連なり、南側の池堤からは鮮やかな桜のラインと円錐形の美しい耳成山が望めます。

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山之坊山口神社の御祭神

御祭神は大山祇命おおやまつみのかみです。

大山祇命(おおやまつみのかみ)

伊邪那岐命いざなぎのみこと伊邪那美命いざなみのみことの子で、木花開耶姫命このはなさくやひめの父です。「オオヤマツミ」とは「大いなる山の神」という意味で、別名の「和多志大神わたしのおおかみ」の「わた」は「海」を意味することから、山と海、両方を司る神さまです。

木花開耶姫命に子どもが生まれた時、天甜酒あまのたむさけを作り神々に振る舞ったことから、造酒の神さまである酒解神さけとけのかみとして、酒造りに携わる人々から信奉されています。
また、山の神であることから、林業、鉱山、水、田の神さまとしても信仰されています。

境内の様子

山之坊町の集落からやや南へ奥まったところに、比較的新しい一の鳥居が北向きに建っています。社号標には「山口神社」とあります。

参道には灯籠と桜が続き、とても綺麗です。

社殿の建つ空間とは玉垣で区切られており、左右二ヶ所の入口があります。

左側(北側)の入口に二の鳥居が西向きに建っています。平成9年10月建立のまだ新し鳥居です。

二の鳥居をくぐった様子です。

広い境内は樹木が少なく開放的な印象です。その一方、散在して立つ杉や楠は巨木となっています。この木を見るのが好きで、よくお詣りしています。

社殿はこの空間の右奥(南東側)にあり、西向きに並んでいます。

小さな藤棚があります。

こちらの写真は4月22日に撮りました。

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米川沿いの桜並木

山之坊山口神社の横を流れる米川よねがわ沿いの道は、桜並木になっています。

近鉄大阪線「耳成駅」から、南へ歩いて7分ほどの距離です。

米川は、斉明天皇が造った運河「狂心渠たぶれごころのみぞ」を踏襲して流れる川です。ぜひ、合わせて散策されて下さい。

狂心渠(たぶれごころのみぞ)

斉明女帝が造った壮大な運河です。 宮殿の東山に石垣を築くために大量の石材を運ぶ必要があり、そのために始まった運河の建設は、飛鳥を華やかな都にするために、大開発に情熱を注いだ斉明女帝の決断でした。

この運河の大工事には3万人余を要し、民衆からは「狂心渠」と非難されました。現在の宮東山酒船石遺跡(明日香村)から豊田山(天理市)をつなぐものであったという説が有力です。

初夏の葉桜も綺麗です。

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山之坊山口神社へのアクセス

奈良県橿原市山之坊町304

駐車場はありません。
近鉄大阪線 耳成駅から南へ徒歩約7分です。

山之坊山口神社の前の道は横大路よこおおじです。耳成駅から南へ行く道と横大路との交差点にはお地蔵さまのお姿があります。

横大路(よこおおじ)

竹内街道とともに大阪府と奈良県を東西に結ぶ横大路は、『日本書紀』の推古天皇21年(613年)の条に「難波より京(飛鳥)に至る大道を置く」と記された「大道」のルートと重なることから、日本最古の国道(官道)と呼ばれ、太古以来、いずれの時代も交通の要衝でした。

1400年に渡る悠久の歴史を伝える日本最古の国道「竹内街道・横大路(大道)」』として日本遺産 にも登録されています。今でも所々に、かつての街並みの名残が残ります。

この交差点を東へ進むと、横大路と中ツ道なかつみちとの交差点に当たります。

中ツ道は上ツ道かみつみち下ツ道しもつみちと並んで奈良盆地を平城京から藤原京付近まで南北に縦貫する古代の官道です。このようにこの辺りは、古代史に触れられる地域になっています。

こちらの記事では、今から約1300年前、持統・文武・元明の三代の天皇が治めた都である「藤原京ふじわらきょう」があった、藤原宮跡ふじわらきゅうせき周辺のみどころをまとめてご紹介しています。

藤原宮跡の菜の花と桜も大変綺麗です。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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