秋の山の辺の道を歩く~夜都伎神社と彼岸花の咲く長閑な田園風景(奈良県天理市)

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マップを見ながら史跡巡りをするのが好きなみくるです。

今回は、「山の辺の道美化推進協議会」さんが発行されている、観光パンフレット「山の辺の道」から、夜都伎神社やとぎじんじゃと周辺の山の辺の道をご紹介します。

「山の辺の道美化推進協議会」さんが発行されている、観光パンフレット「山の辺の道」

山の辺の道美化推進協議会さんは、奈良県の桜井市や天理市を中心に活動されている団体です。山の辺の道の美化と保全を目的とし、地域の方々や企業、観光協会さんなどが協力して活動して下さっています。

夜都伎神社は茅葺の拝殿が美しい、春日大社とご縁が深い神社です。

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秋の山の辺の道を歩く

山の辺の道とは

山の辺の道は、三輪から奈良へと通じる上古の道です。

大和平野には、7世紀の初めに造られた南北に走る官道「上ツ道・中ツ道・下ツ道」があります。

上ツ道のさらに東にあって、三輪から北へ連なる山裾を縫うように伸びる起伏の多い道が「山の辺の道」です。

大和の古道の位置図
大和の古道 – Wikipedia

現在はその道をはっきりと跡づけることはできませんが、歌垣で有名な海柘榴市つばいちから三輪、景行天皇陵、崇神天皇陵を経て、石上から北上する道と考えられています。

夜都伎神社

夜都伎神社の所在地

夜都伎神社やとぎじんじゃは、山の辺の道沿いの、奈良県天理市乙木おとぎ町の北方の集落から少し北に離れた宮山(別名、たいこ山)に鎮座します。

夜都伎神社周辺の山の辺の地図

乙木(おとぎ)と夜都伎(やとぎ)は音が似ていますが、於都伎(乙木)の誤写とする説があります。「大和名所図会」によると、江戸時代の享保年間には乙木明神と記されていたことが分かります。

土地の名前は歴史の記憶とはよく言ったものですね。

夜都伎神社の朱塗りの鳥居

山の辺の道からは少し外れますが、奈良県道51号天理環状線沿いの乙木口のバス停の近くに、朱塗りの鳥居が建っています。夜都伎神社から100mほど西です。

嘉永元年(1848年)4月に奈良の春日若宮から下賜されたものと伝えられます。

夜都伎神社の朱塗りの鳥居

鳥居は元々2基ありました。朱塗の鳥居は本来は二の鳥居で、一の鳥居はこれよりさらに西、三昧田町との境の上街道沿いに建っていたそうです。

夜都伎神社周辺の彼岸花咲く田園風景

稲が豊かに実った田を彼岸花が彩る、美しく長閑な秋景色が広がっていました。

夜都伎神社の遠景

右手の森が夜都伎神社です。左手向こうの森は東乗鞍古墳です。どちらも古墳のように見えるので、夜都伎神社は古墳を削平して造ったとの説があるのにも頷けます。

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山の辺の道の道標

山の辺の道の道標が見えて来ました。

夜都伎神社の森と山の辺の道の道標

山の辺の道では道標が道案内をしてくれます。

夜都伎神社近くの山の辺の道の道標

この道を左手(北)に進むと石上神宮です(2.3km)。

夜都伎神社の石鳥居

山の辺の道沿いに夜都伎神社の石造りの鳥居が建っています。

山の辺の道沿いに建つ夜都伎神社の鳥居

現在は朱塗りの鳥居に次ぐ、二の鳥居的な位置付けですが、元々は三の鳥居だったのでしょうか?比較的新しいもののようでした。

夜都伎神社の石造りの鳥居

朱塗りの鳥居を振り返って見ます。田園の間を真っすぐに道が伸びています。

夜都伎神社の前から、真っすぐ西に続く道
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夜都伎神社前の歌碑

夜都伎神社の前に歌碑が建っています。

夜都伎神社前の歌碑

広瀬東畝ひろせとうほさんの歌が刻まれています。

夜都伎神社前の歌碑(広瀬東畝さん)

山の辺の道ははるけく 野路の上に
乙木の鳥居 朱に立つ見ゆ

東畝

山の辺の道をはるばる歩いてきた。行く道の先には乙木の鳥居が、ひときわ赤く立っている。

広瀬東畝さんは、明治から昭和前期にかけて活躍された画家なので、ここで言う「赤く立っている」鳥居は、現在も建っている朱塗りの鳥居のことでしょうか?

観光パンフレット「山の辺の道」には、山の辺の道の歌碑が38基紹介されています。別の記事でまとめる予定です。

観光パンフレット「山の辺の道」に掲載されている山の辺の道の歌碑

夜都伎神社の御祭神と御由緒

春日の四神 武甕槌命たけみかづちのみこと姫大神ひめおおかみ経津主神ふつぬしのかみ天児屋根命あめのこやねのみことを祀り、俗に春日神社と呼ばれています。

夜都伎神社の御祭神

奈良の春日大社と関係が深く、明治維新までは夜都木神社から蓮の御供えと称する新饌を献供し、春日大社からは60年毎に若宮社殿と鳥居が下げられていました。

神社の東方には昔ばなしとして伝わる春日明神の「鹿足跡石しかのあしあといし」があります。

石鳥居の手前に解説板がありました。

夜都伎神社の御由緒書き

天理市乙木町の北方集落からやや離れた宮山(たいこ山ともいう)に鎮座し俗に春日神社といい春日の四神を祀る。
乙木には、もと夜都伎神社と春日神社との二社があったが、夜都伎神社の社地を竹之内の三間塚池と交換して、春日神社一社にし社名のみを変えたのが現在の夜都伎神社である。
当社は昔から奈良春日神社に縁故深く、明治維新までは当社から蓮の御供えと称する神饌を献供し、春日から若宮社殿と鳥居を下げられるのが例となっていると伝える。
現在の本殿は明治39年(1906年)改築したもので、春日造檜皮葺、高欄、浜床、向拝彩色7種の華麗な同形の四社殿が末神の琴平神社と並列して美観を呈する。拝殿は藁葺でこの地方では珍しい神社建築である。鳥居は嘉永元年(1848年)4月奈良の春日若宮から下げられたものという。

夜都伎神社の解説板

石段前から鳥居を振り返ると、山の辺の道が南へと真っすぐ伸びていました。この先は竹之内環濠集落です。

夜都伎神社の石段前から見る石造りの鳥居
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夜都伎神社の境内の様子

石灯籠

石段を上り切った所に建つ石灯籠に「夜都伎神社」の文字が見えます。

夜都伎神社の石灯籠

夜都伎神社と刻まれた石灯籠
拝殿
夜都伎神社の茅葺の拝殿

美しい茅葺の拝殿です。

夜都伎神社の美しい茅葺の拝殿

この拝殿が見所のひとつでしょう。昔懐かしような温かい気持ちになりました。

夜都伎神社の境内の様子
本殿

現在の本殿は明治39年に改築されたもので、春日造桧皮葺、高欄、浜床、向拝付彩色7色の造りとなっています。

夜都伎神社の本殿(左から)

この地方では珍しい茅葺の拝殿や末社の琴平神社・八坂神社と並んで美しい景観を表していました。

夜都伎神社の本殿(右から)
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山の辺の道を南へ

夜都伎神社を後にして、山の辺の道を南へ進み竹之内環濠集落へと向かいました。

天理市観光協会さんの公式サイトで、山の辺の道おススメの散策コースが紹介されています。

山の辺の道おススメの散策コース
山の辺の道(南)コース | 天理観光ガイド・天理市観光協会

夜都伎神社から竹之内環濠集落へは、約600m。およそ10分の道のりです。

夜都伎神社近くの山の辺の道の道標

曲がる所には道標が建っているいるので安心して歩けます。

竹之内環濠集落への山の辺の道の道標

竹之内環濠集落についてはこちらの記事でご紹介しています。

夜都伎神社へのアクセス

奈良県天理市乙木町765

駐車場はありません。

天理市営駐車場 山の辺の道(杣之内)より、山の辺の道を歩いて約7分です。

天理市営駐車場 山の辺の道(杣之内)周辺マップ

こちらの記事では、天理市営駐車場 山の辺の道(杣之内)と、すぐ東側に広がるひまわり畑をご紹介しています。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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