秋の山の辺の道を歩く【相撲神社】野見宿禰を祀る相撲発祥の地「穴師」(奈良県桜井市)

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マップを見ながら史跡巡りをするのが好きなみくるです。

今回は、「山の辺の道美化推進協議会」さんが発行されている、観光パンフレット「山の辺の道やまのべのみち」から、奈良県桜井市穴師あなしに鎮座する「相撲神社すもうじんじゃ」をご紹介します。

相撲神社は、穴師山あなしやまの中腹に鎮座する穴師坐兵主神社あなしにいますひょうずじんじゃの神域内にある境内摂社で、垂仁天皇すいにんてんのうの御代に、ここで日本初の天覧相撲が行われたことから、「相撲の発祥の地」と言われています。

山の辺の道からは少し外れますが、全国の相撲競技者のみならず、スポーツに係る人々の崇敬を集める神社様ですので、ぜひお立ち寄り下さい。

穴師坐兵主神社の鳥居前から振り返る景色は、大変美しく心が洗われます。

今回ご紹介する写真は、2024年11月に撮影したものです。

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初の天覧相撲が行われた相撲発祥の地

相撲神社の概要

相撲神社すもうじんじゃは、奈良県桜井市穴師あなしの穴師山の中腹に鎮座する穴師坐兵主神社あなしにいますひょうずじんじゃの境内摂社です。

穴師坐兵主神社は、延喜式神名帳に記載ある式内社の中において名神大社・大社・小社に格付けされる3社が集結した、特別に霊験あらたかな神社で、パワースポットとしても知られます。

その神域内に鎮座する相撲神社にも、神々しい空気が満ちているようでした。

相撲神社の御祭神と相撲のはじまり

相撲神社の御祭神は、野見宿禰のみのすくねです。

日本書紀』の中にはじめて相撲がとられたときの話があります。

垂仁天皇すいにんてんのうの御代のこと、大臣の一人が「当麻に当麻蹴速たいまのけはやという、ものすごく強いものがいるようです。命がけで力比べしたいものだ、と言っております。」と言いました。するとまた、別の大臣が「出雲の国に野見宿禰のみのすくねというすごい力持ちがおります。」と言いました。

そこで、天皇の前(今でいう天覧試合)で、当麻蹴速と野見宿禰に力比べをさせようということになり、野見宿禰が勝ちました。これが相撲のはじまりと言われています。

相撲神社にある「勝者之聖しょうしゃのひじり」石碑は、国立競技場東側ゲートにあるモザイク画「勝者之聖」の縮小レプリカです。

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勝利之聖 野見宿禰」と記されています。彫りこまれた野見宿禰の絵は、日本画家・フレスコ画家として活躍された長谷川路可はせがわろかさんの作品です。

同じ図柄が、「2020東京オリンピック・パラリンピック大会記念」の1万円金貨幣に「勝利の野見宿禰像と栄光のギリシャの女神像と心技体」として刻印されました。

野見宿禰は、これからも日本を代表する「勝利(勝者)のシンボル」として、崇敬されていくことでしょう。

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相撲神社とカタヤケシ由緒

『日本書紀』によると、垂仁天皇の時代に、国内で初めて当麻蹴速と野見宿禰による天覧相撲が行われたとされる場所は「カタヤケシ」とされています。

カタヤケシ由緒

今を去る上古約2000年前垂仁天皇7年7月乙亥(7日)大兵主神社神域内小字カタヤケシにおきまして野見宿禰、當麻蹶速による日本最初の勅命天覧相撲が催されました。これが世界に誇るわが国国技相撲の曙光であります。

爾来相撲が国技として国家大本の行事とされ悠々の今日に至っています。

日本書紀に「野見宿禰は乃ち都に留りて仕へまつる」とあり当地に屋敷を賜わり古代国家草創期における大和朝廷国土開拓の推進者として貢献されました。その偉大な徳を偲びここカタヤケシを日本民族の象徴的聖地として世に知られています。

相撲神社の説明板

勝利した野見宿禰は、「当地に屋敷を賜わり、古代国家草創期における大和朝廷国土開拓の推進者として貢献されました」とあります。

カタヤケシとは?

カタヤケシの「カタヤ」は、漢字で書くと「方屋・片屋・形屋」で、相撲場の四本柱の内、土俵場のことです。「ケシ」は何を意味するのか分かっていません。

「カタヤケシ」は、国技の発祥の場所として顕彰されています。

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相撲神社の境内の様子

奉納力士像

相撲神社の鳥居をくぐったすぐ右手に力士像が建っていました。2013年7月に桜井ライオンズクラブにより奉納されたものです。

境内から見る鳥居と力士像

本殿

野見宿禰をお祀りしています。

「勝者之聖」石碑は、本殿の横に建っています。

土俵

ブルーシートの下には土俵があり、4隅に木が植えられています。

説明板に「昭和37年に、相撲発祥の地で顕彰大祭がおこなわれ、この境内のカタヤケシゆかりの土俵に於いて手数入りが奉納された」とあります。

手数入りてずいり」は横綱の土俵入りのことです。昭和時代の大横綱・大鵬がこの地で土俵入りを奉納されたのですね。翌日の新聞には約十万人の人出があったと報じられたそうです。

徳勝龍関 優勝記念石碑

令和2年(2020年)大相撲1月場所で優勝された德勝龍とくしょうりゅう関は、奈良県奈良市のご出身です。幕内最高優勝を飾った功績をたたえ、記念碑が建てられました。

碑は花崗岩の石碑で、高さ1.5メートル、幅90センチ(台座は含まない)。地元の書家・竹本大鶴さんによる揮毫で「令和二年大相撲一月場所 優勝記念碑」と行書で記され、德勝龍関の本名・手形・サインが刻まれています。

2020年10月に行われた除幕式の様子が「奈良経済新聞」に掲載されていました。

大相撲桜井場所

令和5年(2023年)10月20日に、大相撲桜井場所が桜井市芝運動公園総合体育館にて開催されました。

大相撲桜井場所 – 桜井市観光協会

開催に先立ち、熊ヶ谷くまがたに親方(元玉飛鳥大輔たまあすかだいすけ)が相撲神社に参拝し、地域の発展と桜井場所の成功を記念して植樹をされました。

こらからも、多くの人が勝運向上などを記念して参拝されることでしょう。

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相撲神社へのアクセス

奈良県桜井市穴師

穴師坐兵主神社の鳥居をくぐった右手に、相撲神社の駐車場があります。

道幅が狭いのでご注意下さい。

少し下った先にあるカフェ「きてきて」さんの壁に、詳しい説明板があります。

相撲神社のある穴師は相撲発祥の地

穴師はみかん栽培発祥の地

垂仁天皇の御代に、田道間守たじまもりが持ち帰った「やまとたちばな」が最初に植えられたのは、現在の桜井市穴師でした。桜井市には、みかん畑があちらこちらにあり、みかん狩りができます(10月上旬~11月下旬)。

相撲と埴輪の始祖・野見宿禰の活躍の舞台は穴師

こちらの記事では、相撲神社から西に下った所にある「纒向珠城宮伝承地まきむくたまきのみやでんしょうち」をご紹介しています。纒向珠城宮まきむくたまきのみやは、野見宿禰が天覧相撲を行った垂仁天皇が営んだ宮です。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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