景色を楽しみながら歌碑を訪ね歩き、いにしえの歌人の思いに触れるのが好きなみくるです。
日本最古の道「山の辺の道」には38基もの歌碑が建てられています。全部を見つけたいと思っています。

今回は、観光パンフレット「山の辺の道」に掲載されている中から、13番の歌碑をご紹介します。恋に悩む女性の心情を雷に寄せて詠んだ歌です。
揮毫者の会津八一氏の経歴から、この歌を選んだ理由を推察すると興味深いことが分かりました。
天雲に近く光りて鳴る神の『万葉集』巻7-1769
三社が集結した古社「穴師坐兵主神社」
今回ご紹介する歌碑は、奈良県桜井市穴師に鎮座する穴師坐兵主神社の境内に建っています。
穴師坐兵主神社は、元は穴師坐兵主神社(名神大社)、巻向坐若御魂神社(式内大社)、穴師大兵主神社(式内小社)の3社で、室町時代に合祀されました。現鎮座地は穴師大兵主神社のあった場所です。

拝殿後方の石垣上、透塀に囲まれて三棟の本殿が並び、中殿に穴師坐兵主神社の「兵主神」を、右殿に巻向坐若御魂神社の「若御魂神」を、左殿に穴師大兵主神社の「大兵主神」を祀ります。
穴師坐兵主神社の万葉歌碑
歌碑は、穴師坐兵主神社の拝殿の右奥にあります。

玉垣の下に南面して建っています。


(原文)
天雲 近光而 響神之
見者恐 不見者悲毛
(読み下し)
天雲に 近く光りて 鳴る神の
見れば畏し 見ねば悲しも
万葉集 巻7-1369 作者未詳
揮毫者 会津 八-
(現代語訳)
天雲の近くで光って鳴る雷、この雷は、見れば見たで恐ろしいし、見なければ見ないで不安でせつない。
※題詞に「寄雷」とあり、雷は身分の高い男性の例えと考えらえます。
桜井市観光協会さんのサイトから引用します。
歌は「さて、どのようにすればよいだろうか」とあれこれと恋に悩む女性の気持ちが「雷に寄す」という題でうたわれている。
40.あまくもに ちかく・・ – 桜井市観光協会
恋に悩む女性の心情として訳すとしっくりきます。
天雲の近くで光って嗚る雷のように、あの方にお逢いすれば恐れ多くて近寄れず、お逢いしなければ悲しいのです。
自然現象の雷は、古代の人たちには「神鳴り」として捉えられていました。近寄り難いほどに好きな人が、空の雷鳴に例えられています。
天照大神の御霊代としての八咫鏡が祀られている場所を賢所と言います。恐れ多くて畏まる所という意味から、賢所と呼ばれています。「みればかしこ」の意中の人は、天照大神にも匹敵するぐらいの存在なのかもしれません。
揮毫の会津八一氏のこと
桜井市にある歌碑は、昭和46年当時の桜井市長と桜井市出身の文芸評論家、保田與重郎氏を中心に「心ある人々に記紀万葉のふるさとと桜井の歴史を体感し楽しんでいただこう」という思いで呼びかけられ多くの文化人に賛同をいただき揮毫されたものです。
穴師坐兵主神社の万葉歌碑を揮毫された会津 八-氏は、大正、昭和期の歌人、書家です。大和の自然、風物を愛されました。
会津八一(あいづ やいち、1881年8月1日 – 1956年11月21日)は、日本の歌人、美術史家、書家。雅号は秋艸道人(しゅうそうどうじん)・渾斎(こんさい)。新潟市生まれで、早稲田大学で英文学を学び、後に同大学教授として東洋美術史を講じた。奈良の仏教美術に魅了され、万葉調のひらがな短歌を詠み、歌集『南京新唱』(1924年)や『鹿鳴集』(1940年)を刊行。書家としても独自の風格を持ち、晩年は新潟で書に専念。1951年新潟市名誉市民、1950年読売文学賞受賞。
会津八一 – Wikipedia
会津八一氏は『万葉集』に強い関心を持ち、その素朴で力強い表現や自然との一体感を愛好されました。彼の短歌は、万葉集の影響を受けた「万葉調」と呼ばれるスタイルで、ひらがなを多用し、飾らない情感と古風なリズムを特徴としています。
『万葉集』の清澄で直接的な表現に影響を受けた会津氏は、ひらがなを多用した短歌や書で、古代日本の美意識を現代に蘇らせることを目指しました。それは『万葉集』の「言霊」への敬意と、彼自身の内面的な美の探求を視覚的に表現する行為でした。
それで、穴師坐兵主神社の歌碑も「あまくも にちかくひかりて なるかみの みればかしこ みねばかなしも」とひらがなで揮毫されているのですね。

会津八一氏はまた、奈良の古刹や仏教美術に深い感銘を受け、これを短歌や書で表現されました。経歴を調べたことで、近寄り難いほどに好きな人を空の雷鳴に例えたこの歌を選んで、揮毫された理由を伺い知ることができました。
穴師坐兵主神社へのアクセス
奈良県桜井市穴師493
穴師坐兵主神社の鳥居をくぐった右手に、相撲神社の駐車場があります。

穴師坐兵主神社の参道の途中にも、駐車スペースがあります。

こちらの記事では、相撲神社の境内にある柿本人麻呂歌集の万葉歌碑をご紹介しています。
相撲神社は、穴師山の中腹に鎮座する穴師坐兵主神社の神域内にある境内摂社で、垂仁天皇の御代に、ここで日本初の天覧相撲が行われたことから、「相撲の発祥の地」と言われています。

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