マップを見ながら古代の史跡をめぐるのが好きなみくるです。
今回は橿原市観光協会さんの観光パンフレット「橿原まちあるきまっぷ~石川池周辺を歩く」に掲載されているスポットをご紹介します。
石川池周辺を歩く【橿原市観光】
「橿原まちあるきまっぷ」に従って、近鉄橿原神宮前駅からスタートするルートでご紹介します。
丈六(軽の巷)
近鉄橿原神宮駅の東側は、古代飛鳥の時代に「軽(かる)」と呼ばれ、南北に貫く下ツ道(国道169号線)と東西に走る山田道(県道124号)が交わる交通の要衝でした。
「軽の巷」と呼ばれ、軽の市が設けられ賑わいを見せました。丈六の由来は、近くにあった厩阪寺の本尊の大きさが丈六(4.8m)だったため、その地名が残りました。
➡橿原市の史跡を巡る【丈六(軽の巷)】軽市が設けられた古代史の舞台~石川池周辺を歩くその1
春日神社(軽島豊明宮跡)
大軽集落のほぼ中心に東面して鎮座し、天児屋根命をお祀りします。
境内に「応神天皇軽島豊明宮跡」の伝承碑と万葉歌碑があります。
➡橿原市の史跡を巡る【春日神社(応神天皇の軽島豊明宮跡)】~石川池周辺を歩くその2
➡【橿原の万葉歌碑めぐり】軽の社の斎槻を詠んだ歌(大軽春日神社)
法輪寺(軽寺跡)
春日神社に隣接し、『日本書紀』朱鳥元年(686年)の条に初見する「軽寺」の跡と伝えられています。
創立者は賀留大臣玄理で、推古天皇の時、唐から持ち帰った薬師如来像を本尊として軽寺を建てたと伝わります。境内に金堂及び講堂と推定される土壇を残すのみで、土壇の位置や地形から法隆寺式ではないかと考えられています。
➡橿原市の史跡を巡る【法輪寺(軽寺跡)】藤原道長も宿にした大寺~石川池周辺を歩くその3
本明寺(石川精舎跡)
本明寺は敏達天皇13年(584年)、蘇我馬子が百済伝来の仏像を請い受け、石川の家に造った寺「石川精舎」の跡と伝えられています。
本尊は釈迦如来坐像で、文殊、普賢の両脇侍があります。境内に蘇我馬子の五輪塔と伝えられる高さ230cmもある鎌倉時代の立派な石塔が建っています。
➡橿原市の史跡を巡る【本明寺(石川精舎跡)】仏教はここら始まった!?~石川池周辺を歩くその4
石川池(孝元天皇陵)
石川池はかつて「剣池」と呼ばれていた溜池です。「剣池」の名の由来は、池の底に剣が埋まっているからと伝えられています。
第8代孝元天皇陵の周濠を巡らしたように見えますが、『日本書紀』には、第15代応神天皇が軽池、鹿垣池、厩坂池と共に剣池を造ったとあり、灌漑用のため池として利用されていました。
「奈良県景観資産」にも選定されている多武峰を背景とした美しい眺めが楽しめます。
➡橿原市の史跡を巡る【石川池(剣池)】で古代からの美しい景観を楽しむ~石川池周辺を歩くその5-1
石川池ほとりの半島のように突き出したところに第8代孝元天皇陵があります。
➡橿原市の史跡を巡る【孝元天皇陵】と「欠史八代」のこと~石川池周辺を歩くその5-2
池のほとりには紀皇女の万葉歌碑が建ち、春は桜に彩られる美しく見どころの多いところです。
➡【橿原の万葉歌碑めぐり】石川池の紀皇女の歌碑と弓削皇子の相聞歌
大歳神社
大歳神と大山咋命をお祀りする神社です。
石川集落の北東の森の中に西面して鎮座しています。
創建は明らかではありませんが、石河股合氏の祖である石川楯が創始との説があります。
➡橿原市の史跡を巡る【大歳神社】で五穀豊穣を祈る~石川池周辺を歩くその6
和田廃寺
橿原市和田町の住宅地の北端に「大野塚」と呼ばれる土壇があります。
和田廃寺はこの「大野塚土壇」を中心とする寺院跡です。
大野塚土壇は、蘇我馬子によって建てられた大野丘の北塔とされてきましたが、近年では聖徳太子が建てた七大寺の一つである「葛木寺(葛木尼寺)」と考えられるようになりました。
➡橿原市の史跡を巡る【和田廃寺】大野寺北塔?葛木尼寺?~石川池周辺を歩くその7
石川池周辺へのアクセス
奈良県橿原市石川町
近鉄橿原神宮前駅下車
丈六の交差点までは徒歩2分です。
橿原市の観光スポットを「橿原まちあるきまっぷ」を足掛かりに、まとめてご紹介しています。
最後までお読み頂きありがとうございます。