橿原市()は奈良県のほぼ中央、奈良盆地の南東部に位置します。
全体的に起伏が少ない地形ですが、『万葉集』にもその名が見られる大和三山(畝傍山・天香具山・耳成山)がそびえ、その中央には藤原宮跡があります。
市の中央部には飛鳥川、西には曽我川が流れ、どちらも川辺の桜並木が美しく、春は多くの観光客で賑わいます。
![飛鳥川の河津桜](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/IMG_9260.jpg?resize=1000%2C750&ssl=1)
古墳時代には歴史の中心として、江戸時代には自由都市として栄えた橿原には、日本最初の都城・藤原京、江戸の町並みの面影を残す今井町、神話と伝説が交差する神社仏閣が多くあります。
![今井町 蘇武橋のエノキ](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/蘇武橋のエノキ.jpg?resize=1000%2C750&ssl=1)
ひとたび町を歩けば、千年の歴史が見え隠れする魅力あふれる橿原市の見所を橿原市観光協会さんの観光パンフレット「橿原まちあるきまっぷ」(観光地図)を足掛かりにお伝えします。
![橿原まちあるきまっぷ](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-26.jpeg?resize=1080%2C607&ssl=1)
橿原神宮を歩く
四季折々の表情を見せる豊かな自然に包まれた橿原の杜を散策してみませんか。
![橿原まちあるきまっぷ~橿原神宮歩く(表面)](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-27.jpeg?resize=1080%2C810&ssl=1)
表面にはコラムとお食事処とカフェ・土産物店などが載っています。
中面には観光地図と解説があります。トイレの表記があるので散策の際に助かります。歩き疲れたらカフェで一休み。
![橿原まちあるきまっぷ~橿原神宮を歩く(裏面)](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-31.jpeg?resize=1080%2C810&ssl=1)
『日本書紀』によると初代神武天皇は西暦前660年1月1日に畝傍山の東南、「橿原宮」で即位したと伝承されています。その伝承地に明治23年に橿原神宮が創建されました。
紀元2600年(昭和15年)橿原神宮神域拡張の際、全国から動員された延べ120万人の人々の勤労奉仕により植樹され成長した「神宮の森」は、今日、観光客や市民の憩いの場として親しまれています。
![橿原神宮の本殿](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/橿原神宮の本殿.jpg?resize=1024%2C768&ssl=1)
橿原神宮前駅から畝傍御陵前駅まで歩くルートです。
- 橿原神宮
- 若桜友苑
- 東大谷日女命神社
- 畝傍山
- イトクノモリ古墳
- 橿原考古学研究所付属博物館
新沢千塚古墳群周辺を歩く
古代の王族の古墳群は遥か遠い時代の面影が今もそのままに。
![橿原まちあるきまっぷ~新沢千塚古墳群周辺を歩く(表面)](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-37.jpeg?resize=1080%2C810&ssl=1)
![橿原まちあるきまっぷ~新沢千塚古墳群周辺を歩く(裏面)](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-28.jpeg?resize=1080%2C810&ssl=1)
新沢千塚古墳群は約600基からなる古墳群で、日本を代表する古墳群です。多様な墳形の存在がひとつの特色となっています。
『日本書紀』によると、神武東征で活躍した大伴氏と久米氏は褒美として「築坂邑」と「来目邑」に宅地を賜ります。久米御縣神社は久米氏の祖先が祀られています。大伴氏は新沢千塚古墳群の被葬者候補のひとりに挙げられています。
![新沢千塚古墳群](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/新沢千塚古墳群.jpg?resize=1024%2C768&ssl=1)
橿原神宮前駅からスタートして、橿原神宮前駅に戻るルートです。
- 久米御縣神社
- 久米寺
- 益田池堤跡(県指定史跡)
- 新沢千塚古墳群(国指定史跡)
石川池周辺を歩く
歴史深いこの地で古き良き時代の雰囲気を感じて。
![橿原まちあるきまっぷ~石川池周辺を歩く(表面)](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-38.jpeg?resize=1080%2C810&ssl=1)
![橿原まちあるきまっぷ~石川池周辺を歩く(裏面)](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-1-2.jpg?resize=1024%2C767&ssl=1)
近鉄橿原神宮前駅の東側の丈六の交差点は「軽の巷」と呼ばれました。「軽の市」が設けられて賑わった場所です。
春日神社の境内には応神天皇軽島豊明宮跡があったと伝承される場所です。
法輪寺は『日本書紀』の朱鳥元年(686年)の条に初見する「軽寺跡」と伝えれています。
石川池には第8代孝元天皇陵があります。
![石川池と孝元天皇陵](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-1-3.jpg?resize=1024%2C767&ssl=1)
橿原神宮前駅からスタートして、橿原神宮前駅に戻るルートです。
- 丈六(軽の巷)
- 春日神社(軽島豊明宮跡)
- 法輪寺(軽寺跡)
- 本明寺(石川精舎跡)
- 石川池(孝元天皇陵)
- 大歳神社
- 和田廃寺
古代の官道、下ツ道を歩く
人々の暮らしのなかに今も息づく古代の官道・下ツ道、おふさ観音をめぐる。
![橿原まちあるきまっぷ~古代の官道、下ツ道を歩く(表面)](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-44.jpeg?resize=1080%2C810&ssl=1)
![橿原まちあるきまっぷ~古代の官道、下ツ道を歩く(裏面)](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-32.jpeg?resize=1080%2C809&ssl=1)
下ツ道は7世紀中頃に整備された、奈良盆地を南北に走る大道です。丸山古墳の前面を起点とし、藤原京の西四坊大路から、奈良盆地の中央をまっすぐ北へ進み、平城京朱雀門にまで至ります。
橿原の下ツ道は、ある部分では近世の佇まいを残し、ある部分ではアスファルトに覆われた現代的な道路の姿を見せています。同じ道でも様々な顔を見せてくれる古道歩きをしてみてはいかがでしょうか。
![八木札の辻交流館](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-39.jpeg?resize=1080%2C810&ssl=1)
大和八木駅からスタートして八木西口駅まで歩くルートです。
- 橿原市交流センター「かしはらナビプラザ」
- 八木札の辻交流館(東の平田家)
- 国分寺
- JR畝傍駅
- おふさ観音
古代の官道、横大路を歩く
歴史浪漫あふれる古代の官道を歩いてタイムトリップ気分。
![橿原まちあるきまっぷ~古代の官道、横大路を歩く(表面)](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-33.jpeg?resize=1080%2C810&ssl=1)
![橿原まちあるきまっぷ~古代の官道、横大路を歩く(裏面)](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-40.jpeg?resize=1080%2C810&ssl=1)
横大路は奈良盆地を東西に貫く日本最古の官道(国道)です。整備されたのは今から約1400年前のこと。『日本書紀』の推古天皇21年(613年)の条に「難波(なにわ)より京(飛鳥)に至る大路を置く」と記されています。
1400年も変わらずに人々の生活の傍らにあるこの道で、様々な人、物の往来に思い馳せながら散策してみてはいかがでしょうか。
![横大路の大神宮灯篭](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-46.jpeg?resize=1080%2C809&ssl=1)
大和八木駅からスタートして、耳成駅まで歩くルートです。
- 橿原市観光交流センター「かしはらナビプラザ」
- 横大路の大神宮灯篭
- 八木の接待場所
- 八木札の辻交流館(東の平田家)
- 奈良県立畝傍高等学校(非公開)
- 三輪神社
- JR畝傍駅
謎の巨石と古墳巡り
ミステリアスで巨大な石造物や石室などみどころがいっぱい。
![橿原まちあるきまっぷ~謎の巨石と古墳めぐり(表面)](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-41.jpeg?resize=1080%2C810&ssl=1)
![橿原まちあるきまっぷ~謎の巨石と古墳めぐり(裏面)](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-29.jpeg?resize=1080%2C810&ssl=1)
益田岩船は貝吹山の東峰にある石造物です。亀石や酒船石などと並ぶ謎の石造物の1つで、その中でも最大のものです。重さは約800トンもあると言われています。小谷古墳は石舞台古墳よりも大きな天井石を持つ古墳です。
![益田岩船](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/IMG_7906.jpg?resize=1000%2C750&ssl=1)
岡寺駅から橿原神宮前駅まで歩くルートです。
- 牟佐坐神社
- 沼山古墳
- 益田岩船(県指定史跡)
- 小谷古墳(県指定史跡)
- 桝山古墳(崇神天皇皇子倭彦命墓)
- 宣化天皇陵(鳥屋ミサンザイ古墳)
藤原宮跡周辺を歩く
飛鳥時代の都跡を散策してはるか古代の人々の暮らしを感じてみませんか。
![橿原まちあるきまっぷ~藤原宮跡を歩く(表面)](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-35.jpeg?resize=1080%2C802&ssl=1)
![橿原まちあるきまっぷ~藤原宮跡を歩く(裏面)](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-34.jpeg?resize=1080%2C810&ssl=1)
日本史上、最初で最大の都である藤原京は694年、持統天皇によって創都されました。藤原京は中国の都城を参考にして造営された都で、京域のほぼ中央に、政治の中心機関であり、天皇が住んでいた藤原宮がおかれました。宮殿が京の中心に在るのは他の都城と異なる藤原京の特徴です。
日本最初の流通貨幣とされる「和同開珎」が発行され、701年には『大宝律令』が完成し、「日本」という国号が初めて定められ、国の骨格が形成されました。
![藤原宮跡から望む耳成山](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-47.jpeg?resize=1080%2C810&ssl=1)
畝傍御陵前駅からスタートして、畝傍御陵前駅に戻るルートです。
- 本薬師寺跡(特別史跡)
- 藤原朱雀大路跡
- 奈良文化財研究所都城発掘調査部藤原宮跡資料室
- 藤原宮大極殿跡
- 橿原市藤原京史料室
- 藤原京西面大垣南門跡
香具山周辺を歩く
大和三山のひとつ天の香具山は古代ロマンとミステリーの宝庫です。
![橿原まちあるきまっぷ~香具山周辺を歩く(表面)](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-42.jpeg?resize=1080%2C810&ssl=1)
![橿原まちあるきまっぷ~香具山周辺を歩く(裏面)](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-36.jpeg?resize=1080%2C810&ssl=1)
大和三山の一つである「香具山」は、天から降ってきたという伝説が今も残り古代から「天」という尊称がつくほど三山の中で最も神聖視されてきました。
そんな香具山には、古から伝説が伝わる謎に満ちた巨石が点在しています。天岩戸神社の拝殿奥には、天照大御神がお隠れになったとされる「天岩戸」であると言い伝えられている巨石や、龍(大蛇)をつなぎとめた跡ではないかといわれている鎖のような模様のある「蛇つなぎ石」、石から月が生まれたいう伝説のある「月の誕生石」があります。
様々な伝説に彩られた香具山を訪れてみてはいかがでしょうか。
![天岩戸神社の「天岩戸」](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-45-edited.jpeg?resize=1079%2C809&ssl=1)
JR香具山駅からスタートして、近鉄耳成駅まで歩くルートです。
- 御厨子神社(御厨子観音妙法寺)
- 月輪石(根裂石)
- 天岩戸神社
- 香具山
- 天香久山神社
- 興福寺(八釣山地蔵尊)
- 畝尾都多本神社
- 奈良文化財研究所都城発掘調査部藤原宮跡資料室
金橋神社周辺を歩く
古代浪漫に浸る素敵な町並みをのんびりと。
![橿原まちあるきまっぷ~金橋神社周辺を歩く(表面)](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-43.jpeg?resize=1080%2C809&ssl=1)
![橿原まちあるきまっぷ~金橋神社周辺を歩く(裏面)](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-30.jpeg?resize=1080%2C809&ssl=1)
古代豪族「蘇我氏」発祥の地は、現在の曽我町だといわれています。近鉄真菅駅の近くには「蘇我氏」の祖先を祀る「宗我坐宗我都比古神社」が、そしてお隣の小綱町には「入鹿神社」が鎮座しています。
”昔、鎌足に打たれた入鹿の首は、飛んで、曽我の東橋「首落橋」の付近にある家の辺りに落ちた。それで、その家を「オッタ屋」と呼ぶ”という伝承があります。それは入鹿神社の西の横大路に面しているところにあります。
![宗我坐宗我都比古神社](https://i0.wp.com/mikurunurie.com/wp-content/uploads/2024/04/image-1-4.jpg?resize=1024%2C768&ssl=1)
JR金橋駅からスタートして、近鉄真菅駅まで歩くルートです。
- 河俣神社
- 天太玉命神社
- 金橋神社(勾金橋神社)
- 宗我坐宗我都比古神社
奈良県橿原市へのアクセス
橿原市の玄関口は「近鉄橿原神宮前駅」と「近鉄大和八木駅」です。京都、大阪はもちろん、名古屋や東京からのアクセスも良好です。
- 京都から 特急で大和八木まで約50分
- 大阪上本町から 特急で大和八木まで約30分
- 天王寺から 急行で橿原神宮前まで約50分
- 名古屋から 特急で大和八木まで約1時間50分
詳しくは「橿原市観光協会」さんのページをご覧下さい(交通・アクセス|橿原市観光情報サイト )
最後までお読み頂きありがとうございます。