斉明天皇の菩提を弔う【川原寺跡】一塔二金堂式の荘厳な大寺院(奈良県明日香村)

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生まれも育ちも奈良県で、明日香が大好きなみくるです。

今回は、奈良県明日香村の川原寺跡かわらでらあとをご紹介します。かつてここには、飛鳥寺・薬師寺・大官大寺と並び「飛鳥の四大寺」の1つに数えられた大寺院が建っていました。

中世以降衰微し廃寺となり、現在は跡地にある真言宗豊山派の弘福寺ぐふくじが法燈を継いでいます。

川原寺跡
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川原寺跡「飛鳥の四大寺」の1つの大寺院

川原寺

川原寺は天武天皇の時代にには、大官大寺・飛鳥寺とともに国家の大寺に列せられ、持統天皇の時代には、四大寺に数えられる重要なお寺でした。

飛鳥の四大寺

  • 飛鳥寺
  • 大官大寺
  • 薬師寺
  • 川原寺

建立についての記録はなく、創建事情ははっきりしませんが、天智天皇が即位前の称制期(662-668)に、母である斉明天皇の菩提を弔うために、飛鳥川原宮の跡地に建立されたとする説が有力です。

飛鳥川原宮

『日本書紀』には、斉明天皇元年(655年)の冬、板蓋宮が火災に遭ったため、斉明天皇は川原宮へ遷ったとあります。その翌年には新たに後岡本宮を建てて遷宮しているので、一時的な仮住まいの宮殿だったと考えられます。

「飛鳥資料館」の模型で見る川原寺の伽藍配置

1957年(昭和32年)から1959年(昭和34年)に実施された発掘調査で、川原寺の伽藍配置は一塔二金堂式の特異なものであったことが判明し、「川原寺式伽藍配置」と称されています。

奈良県明日香村奥山にある「飛鳥資料館」で展示されている川原寺の復原模型です。

川原寺跡復元模型(飛鳥資料館)

一番手前の南大門を潜ると中門です。中門からは単廊の回廊が左右に伸び、奥に見える中金堂に取りつき、西金堂五重塔を囲む「一塔二金堂」の伽藍配置になっています。

川原寺跡復元模型(飛鳥資料館)

西金堂は東を正面とし、塔のある方向に向いて建てられています。

川原寺についての飛鳥資料館の解説

中金堂は白大理石(通称、瑪瑙石)の礎石が使われ、唐様式の複弁八弁蓮花文軒丸瓦が屋根を飾る華麗なものでした。

複弁八弁蓮花文軒丸瓦

8枚の花びらのそれぞれを2つに分けた形式の複雑なデザインのもので、「川原寺式軒丸瓦」と呼ばれます。四重弧文軒平瓦がセットになります。

川原寺の瓦は、五條市の荒坂瓦窯や、境内の川原寺瓦窯で生産されたことが分かっています。

複弁八弁蓮花文軒丸瓦
川原寺 – Wikipedia

複弁蓮華文の採用の背景には唐の影響が考えられ、以後の瓦文様の主流となり、法隆寺の瓦(法隆寺式)や小山廃寺の瓦(小山廃寺式)は、川原寺式をベースに作られた文様と考えられます。

1974年(昭和49年)に川原寺の裏山の板蓋神社から、千数百点におよぶ塑像の断片や塼仏が発掘されました。

飛鳥資料館の展示「川原寺の荘厳」

寺域西北の川原寺裏山遺跡からは、縦横とも20cmほどの板状の塼に三尊仏を浮き彫りにした「三尊塼仏」が大量に発掘されています。

塼仏が1箇所から大量に発掘された事例は日本で他になく、その用途ははっきり解明されていませんが、仏堂の壁面を塼仏で埋め尽して荘厳していたという説が有力です。

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国史跡 川原寺跡

川原寺跡は発掘調査が進んでいて、多くの遺構が発見されています。

川原寺跡の説明板

南大門、中門、廻廊などの旧位置がわかるように整備されています。

⇩中門跡

川原寺跡(中門跡)
川原寺跡(中門跡)

⇩廻廊跡

川原寺跡(廻廊跡)
川原寺跡(廻廊跡)

⇩塔跡(3間×3間の五重塔と推定されます)

川原寺跡(塔跡)

⇩南大門跡

川原寺跡(南大門跡)

中金堂跡には、仏陀山東南院弘福寺ぐふくじと号する真言宗豊山派の寺院が建っています。

仏陀山東南院弘福寺

本尊は十一面観音(木造 85cm)です。平安初期の多門天立像、持国天立像は国の重要文化財となっています。

仏陀山東南院弘福寺

境内には、飛鳥時代当時のものと思われる礎石が残っています。

弘福寺の境内(白大理石の礎石)

この礎石には白大理石が使われていて、かなり特殊な事例として川原寺の格式の高さを表しています。寺伝では瑪瑙と記されているので、「瑪瑙石」と通称されています。

他の堂塔の礎石は飛鳥産石英閃緑岩が使われています。

川原寺跡全景と龍神社

橘寺たちばなでらから見た川原寺跡です。

橘寺から見た川原寺跡
橘寺から見た川原寺跡

川原寺跡の東側には飛鳥川が流れています。飛鳥川を挟んで対面に飛鳥宮。飛鳥宮の北側には飛鳥寺が建っています。

飛鳥の復元模型(飛鳥資料館)
飛鳥資料館の復元模型

敷地東側に並ぶ照葉樹の下には、龍神様をお祀りする社「龍神社」が建っています。

龍神社

龍神社では雨乞い祈願が行われていたようで、すぐ傍を流れる飛鳥川の水を汲み、小祠に掛けて降雨を祈願したと伝わります。

皇極天皇(重祚して斉明天皇)が雨乞いを行ったことが『日本書紀』に記されているので、川原寺が斉明天皇の「飛鳥川原宮跡」に建てられたのと、関係があるのかもしれないと思いました。

道を挟んで建つ二つの大寺院「川原寺」と「橘寺」

川原寺跡の北側には、聖徳太子御誕生所と伝わる橘寺が建っています。

川原寺跡から見た橘寺
川原寺跡から見た橘寺

橘寺の創建寺の寺域は、東側は飛鳥川のほとり、西側は亀石のあたりまであり、東西が850m、南北が650mと広大なものでした。

飛鳥京絵図より「川原寺と橘寺と飛鳥宮跡」の位置関係

川原寺の寺域は、(今までの発掘調査でわかっている限り)南北に330m、東西は150mの規模を有しました。

川原寺南大門は橘寺北門と向かい合うように建ち、この間には下ツ道より飛鳥宮に至る幅12mの東西道路が敷設されていました。

橘寺

謎の石造物「亀石」

飛鳥の謎の石造物の一つの「亀石かめいし」の説明板に「川原寺の四至(所領の四方の境界)を示す標石ではないかという説がある」とあります。

謎の石造物「亀石」

亀石についてはこちらの記事でご紹介しています。

「飛鳥京絵図」を見ると、亀石は川原寺の西南に位置し、その東には「天武・持統天皇陵」や、文武天皇の真陵とされる「中尾山古墳」などがあるのが分かります。

飛鳥京絵図

「飛鳥京絵図」は明日香村や大和三山が一望できる「甘樫丘展望台」にありました。

甘樫丘展望台から見た明日香村
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川原寺跡へのアクセス

奈良県高市郡明日香村川原1109

川原寺跡に駐車場はありませんが、すぐ近くの「川原ポケットパーク」に駐車可能です。公衆トイレが設置されています。

川原寺跡周辺の航空写真

こちらの記事では、聖徳太子御誕生所と伝わる橘寺をご紹介しています。川原寺から県道155多武峰見瀬線を挟んで南側に建つ寺院です。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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