道長の御嶽詣【光る君へ】新たに発見の直筆の経典が国宝に!(奈良県吉野山 金峯山寺)

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生まれも育ちも奈良県のみくるです。

今回は、NHK大河ドラマ「光る君へ」第35回「中宮の涙」で、藤原道長が息子の頼道と共に、中宮・彰子の懐妊祈願のために行った御嶽詣みたけもうで金峯山詣きんぶせんもうで)についてご紹介します。

金峯山寺
金峯山寺
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藤原道長の御嶽詣(金峯詣)

御嶽詣(金峯詣)とは?

奈良の吉野山から山上ヶ岳までを金峯山と総称しましたが、御嶽詣(金峯山詣)とは、弥勒信仰を基調とする「金峯山浄土」の信仰に基づき、御嶽精進の後、金峯山寺の山上蔵王堂に参詣することです。

吉野山
吉野山

現在の大峰山寺おおみねさんじが山上蔵王堂(山上本堂)にあたります。

金峯山寺 二天門跡
金峯山寺 二天門跡

文学物では御嶽詣とすることが多いのですが、歴史史料ではほぼ金峯山詣とされています。

第34回「目覚め」では、ご一緒したいと言う息子の頼道に対し、道長が「8月の出立まで、100日にわたって精進潔斎し、酒・肉・欲・色を絶たねばならぬ。頼道、お前にできるか?」と言う場面が描かれていました。

光る君へ場面写真(藤原頼道)
大河ドラマ「光る君へ」公式 X

金峯山詣には、「50〜100日ほど身を清める修行をしてから山に入らなくてはいけない」「貴族であっても、質素な装束で山に入らなくてはいけない」という決まりがありました。

番組内でも、白装束姿が描かれていました。これは浄衣じょうえというもので、神事や祭祀、法会などの宗教行事に参加する際に着用しました。

「光る君へ」場面写真(御嶽詣の様子)

道中に来ている青い衣服は、雨衣あまぎぬといって、現代のレインコートのようなものです。裏地のないひとえの布や紙などの上に油を薄く引いたもので、防水機能を備えていました。

光る君へ場面写真(御嶽詣の際に着ていた雨衣)
大河ドラマ「光る君へ」公式 X

道長の日記『御堂関白記』に、寛弘4年に金峯山詣を行った際には、連日雨が降っていたと記されています。

金峯山寺

吉野山の中腹には金峯山寺があります。奈良県吉野郡吉野町吉野山にある金峯山修験本宗(修験道)の総本山の寺院です。役行者が開いたと伝わります。

金峯山寺 蔵王堂
金峯山寺 蔵王堂

藤原道長が訪れたほか、後醍醐天皇がこの地に南朝を開き、豊臣秀吉が花見を催すなど、長きにわたり歴史の舞台となりました。

金峯山寺については、こちらの記事でご紹介しています。

道長は、金峯山寺が建つ場所から更に奥深く、山の頂上にあたる山上本堂の地に自ら写した経典を納めました。埋納された経筒は江戸時代に発掘され現存しています(奈良県吉野町金峯神社蔵、国宝)。

番組内でも、道長が経筒を埋納する場面が描かれていました。この時に建てられた経塚は、日本最古のものとして知られます。

光る君へ場面写真(経筒を埋納する道長)

この時に収めた経典は、『法華経』『仁王経』『理趣分』『般若心経』『弥勒経』『阿弥陀経』などであることが、『御堂関白記』に記されています。

2017年に金峯山寺から新たな道長自筆の経典が発見され、「光る君へ」を放送している2024年というタイミングで、国宝に指定されることとなりました(藤原道長が吉野山に納めた自筆の経典 新たに国宝に|NHK )。

経典が入っていたとされる金銅製の筒には道長の名前が記されているほか、寛弘4年(1007年)に金峯山の山頂に納めたと記されています。

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道長が宿にした橿原市の軽寺

私が住む、奈良県橿原市にある法輪寺(軽寺跡)は、道長が御嶽詣を行った際に宿にしたお寺です。

お寺の説明板に

寺観などは全く不明であるが、平安時代中期、関白藤原道長が吉野詣りをしたとき、この寺を宿としている。当時付近には久米寺、大窪寺などの大寺があるにもかかわらず、この寺を宿としたほどであるから、相当な規模を持って栄えていたものと思われる。

軽寺跡の説明板

とあります。

いまはただ、土壇と礎石に当時の面影を残すのみなのですが、身近にあるお寺を道長が宿にしたと知り嬉しく思いました。

法輪寺(軽寺跡)の本堂

法輪寺(軽寺跡)については、こちらの記事でご紹介しています。

派手な服装で御嶽詣を行った宣孝

「光る君へ」第13回「進むべき道」では、御嶽詣の際に来ていた派手な服装で、まひろの家を訪れた藤原宣孝の様子が描かれていました。

派手な服装で御嶽詣を行った宣孝

宣孝が御嶽詣をしたときに着ていた服装のエピソードは『枕草子』に記載があり、当時の人々の間でも「こんな服装で御嶽詣をする人は見たことがない」と評判になっていたようです。

『枕草子』の「あはれなるもの」の段に「紫のいと濃き指貫さしぬき、白きあせ山吹やまぶきのいみじうおどろおどろしきなど着て」と、宣孝の服装について書かれています。

宣孝は、「派手な身なりでないと神様の目に留まらない」と言っていましたが、道長が御嶽詣をする様子を見ると、かなり悪目立ちしていたのでしょう。

清少納言も酷評したくなるはずですね。

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金峯山寺へのアクセス

奈良県吉野郡吉野町吉野山2498

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