明日香と万葉集が好きなみくるです。
犬養万葉記念館で頂いた「明日香村の万葉歌碑を歩く」を片手に万葉歌碑巡り、40基全て見て歩こうと思っています。
今回は「明日香村の万葉歌碑を歩く」28番の橘寺の裏参道沿いに建つ歌碑をご紹介します。柿本人麻呂が妻の死を悲しんで詠んだ挽歌です。
柿本人麻呂の妻の死を悼む歌
うつせみと思ひし時に取り持ちて…
今回ご紹介する柿本人麻呂の歌碑は、橘寺の裏参道沿いに建っています。
(原文)
打蝉等 念之時尓 [一云 宇都曽臣等 念之] 取持而 吾二人見之 T出之 堤尓立有 槻木之 己知碁知乃枝之 春葉之 茂之如久 念有之 妹者雖有 憑有之 兒等尓者雖有 世間乎 背之不得者 蜻火之 燎流荒野尓 白妙之 天領巾隠 鳥自物 朝立伊麻之弖 入日成 隠去之鹿齒 吾妹子之 形見尓置有 若兒乃 乞泣毎 取與 物之無者 烏徳自物 腋挟持 吾妹子与 二人吾宿之 枕付 嬬屋之内尓 晝羽裳 浦不樂晩之 夜者裳 氣衝明之 嘆友 世武為便不知尓 戀友 相因乎無見 大鳥乃 羽易乃山尓 吾戀流 妹者伊座等 人云者 石根左久見手 名積来之 吉雲曽無寸 打蝉等 念之妹之 珠蜻 髣髴谷裳 不見思者
万葉集 巻2-210 柿本人麻呂
(読み下し)
うつせみと 思ひし時に〔一云、うつそみと 思ひし〕 取り持ちて 我が二人見し 走り出の 堤に立てる 槻の木の こちごちの枝の 春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど 頼めりし 子らにはあれど 世間を 背きしえねば 蜻火の 燃ゆる荒野に しろたへの あまひれ隠り 鳥じもの 朝たちいまして 入日なす 隠りにしかば 我妹子が 形見に置ける 若き児の 乞ひ泣くごとに 取り与ふ 物しなければ 男じもの 脇ばさみ持ち 我妹子と 二人吾が寝し 枕付く 妻屋のうちに 昼はも うらさび暮らし 夜はも 息づき明かし 嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ 大鳥の 羽易の山に 吾が恋ふる 妹はいますと 人の言へば 岩根さくみて なづみ来し よけくもぞなき うつせみと 思ひし妹が かぎろひの ほのかにだにも 見えぬ思へば
(現代語訳)
現実の世と思っていた時に〔一に云はく、現実の世と思っていた〕、手をたずさえて僕たちが二人で見た、走り出すほど近くの堤に立っている槻の木のあちこちの枝に春の葉の繁っているように幾重にも思った妻であるけれど、先のことを頼んだ女性ではあるけれど、世の運命には背けなければ陽炎の燃える荒野に真っ白の天の領巾に隠れて、鳥のように朝に飛び立ち夕日のように消えてしまった。そんな妻の形見として残していった幼子が乳を乞い泣くたびに与えるものもなく、男らしくもなく腋に抱えて、かつて妻と二人で寝た枕につく。そんな寝床の中で昼はうらさび過ごし、夜にはため息をつき明けるまで嘆いてもどうすることも出来ず、いくら恋しても逢うことすら出来ないので、大鳥が羽を交わすあの山に僕の恋する妻がいますと人が言うので、岩を踏み越えて苦しみ来た。けれどもよいことなど何もなく、現実の世にいると思っていた妻が玉の輝くように仄かにすらも見えないと思えば…
歌碑と並んで「大鳥の羽易の山」の解説が書かれた石碑が建っています。
「大鳥の羽易の山」は、三輪山を頭部、龍王山と巻向山を両翼のようにして、さながら大鳥が天翔るように見える山の姿をいったものです。
山の連なる姿を大鳥が天翔ける姿に見立てたのですね。
歌碑はその美しい山の姿を望める場所に建っています。
歌碑の隣には「下馬」の石碑と、橘寺の門柱(裏参道側の入口)が建っています。
この辺りにあった馬小屋で聖徳太子が生まれたとの伝承があります。
橘寺の西門です。
こちらの記事では、橘寺をご紹介しています。聖徳太子建立七大寺の1つで、聖徳太子の父の用明天皇の別宮を寺に改めたのが始まりと伝わる天台宗の寺院です。
柿本人麻呂の歌碑へのアクセス
奈良県高市郡明日香村橘311
公衆トイレのある「川原ポケットパーク」からすぐです。数台駐車可能です。
こちらの記事では、「明日香村の万葉歌碑を歩く」26番の明日香村川原に建つ歌碑をご紹介しています。犬養孝先生揮毫の歌碑です。
最後までお読み頂きありがとうございます。