橿原市の史跡を巡る【春日神社(応神天皇の軽島豊明宮跡)】~石川池周辺を歩くその2

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マップを見ながら古代の史跡をめぐるのが好きなみくるです。

今回は、橿原市観光協会さんの観光パンフレット「橿原まちあるきまっぷ~石川池周辺を歩く」に掲載されている「春日神社(軽豊明宮跡)」をご紹介します。

橿原まちあるきまっぷ

橿原市の史跡を巡る【石川池周辺を歩く】橿原神宮前駅~石川池(孝元天皇陵)

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大軽春日神社と応神天皇の軽島豊明宮跡

大軽春日神社

大軽春日神社(おおかるかすがじんじゃ)は、奈良県橿原市大軽町に鎮座する神社です。

大軽春日神社の鳥居

大軽集落のほぼ中心に東面して鎮座しています。御祭神は、天児屋根命(あめのこやねのみこと)と、応神天皇(おうじんてんのう)です。

創始年代は明らかではありませんが、古くからこの地に鎮座していたことがうかがえます。

隣接して法輪寺(軽寺跡)が建っています。

写真左手が法輪寺の本堂です。

大軽春日神社の境内
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応神天皇軽島豊明宮跡の伝承碑

大軽春日神社の境内には、応神天皇軽島豊明宮跡かるしまとよあきらのみやあとの伝承碑と万葉歌碑建っています。

応神天皇軽島豊明宮跡の伝承碑と万葉歌碑

第15代応神天皇は、剣池(石川池)を作った天皇です。

石川池(剣池)

 『日本書紀』では即位後の遷都記事がなく、摂政であった母の神功皇后の磐余若桜宮いわれわかざくらのみや(桜井市谷)をそのまま使っていたことになるのですが、 『古事記』の記事にもとづいて、大軽春日神社が応神天皇軽島豊明宮跡に比定されています。

品陀和気命(ホムダワケノミコト=応神天皇)、軽島(カルシマ)の明宮(アキラノミヤ)に坐して、天の下治らしめしき。

応神天皇の后妃と御子 (nihonsinwa.com)

「橿原まちあるきまっぷ~石川池周辺を歩く」に、「万葉歌碑の付近にハート形のほりくぼめを持つ花崗岩の水盤があります」と記されているのが、こちらでしょうか。

ハート形のほりくぼめを持つ花崗岩の水盤

調べたのですがどういったものか分かりませんでした。

万葉歌碑です。

大軽春日神社の万葉歌碑

(読み下し)
天飛ぶや 軽の杜の 斎槻いわひつき
幾世まであらむ 
隠妻こもりづまそも
万葉集 巻11-2656 作者不詳

歌碑についてはこちらの記事でご紹介しています。

大軽春日神社は、規模は小さいながらも、古代の地名や万葉集とのつながりを持ち、奈良の歴史や文化を肌で感じられる場所です。

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飛鳥周辺に営まれた宮

応神天皇は、仁徳天皇陵(大阪府堺市の大仙陵古墳)に次ぐ巨大古墳に葬られた天皇として知られますが(大阪府羽曳野市の誉田御廟山古墳)、宮は奈良県橿原市にあったのですね。

7世紀以前に飛鳥周辺に営まれたと伝えられる宮は他に、允恭天皇の遠飛鳥宮とおつあすかのみや(明日香村飛鳥)、顕宗天皇の近飛鳥八釣宮ちかつあすかやつりのみや(明日香村八釣)、宣化天皇の檜隅廬入宮ひのくまいおりのみや(明日香村檜前)があります。

近飛鳥八釣宮伝承地の弘計皇子神社をけのみこじんじゃです。

近飛鳥八釣宮伝承地の弘計皇子神社

記紀の記録から、応神天皇以降、断続的に飛鳥周辺に宮が営まれたと考えられています。順次ご紹介する予定です。

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大軽春日神社(軽豊島明宮跡)へのアクセス

奈良県橿原市大軽町374

駐車場はありません。
近鉄橿原神宮前駅より徒歩11分です。

こちらの記事で石川池周辺の史跡をまとめてご紹介しています。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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