『古事記』や『日本書紀』の伝承地を訪れるのが好きなみくるです。
今回は淡路島の南に浮かぶ「沼島」にある「沼島八幡神社」をご紹介します。
沼島八幡神社は、沼島汽船が着く沼島港からほど近い海の見える場所に鎮座します。御影石の石段と神域の森が印象的な神社です。
沼島へは、淡路島の土生港より沼島汽船で渡ります。
淡路島の沼島八幡神社
御由緒と御祭神
沼島八幡神社は室町時代中期、永享8年(1436年)に梶原景俊によって創建されたと伝えられています。
永享8年(1436年)梶原景俊の創建と伝えられています。
沼島八幡神社(沼島八幡宮)の説明板
御影石の石段が、神門から上が33段の女坂、下が42段の男坂と呼ばれています。海上安全、四季豊穣の神様です。
この森は、氏子により神社の創建のはるか以前より、守り続けられてきた神域でとても大切されております。
神社の森には、幕末のオランダ人シーボルトが学会で紹介してホルトの木(ユズリハモドキ)が生い茂り、県の環境安全地域に指定されています。南限・北限の植物も混生し、牧野富太郎博士が、大きな関心を寄せた森でもあります。
梶原景俊は、源頼朝に従い源平合戦(治承・寿永の乱)で戦功を挙げた梶原景茂の息子です。
永享8年(1436年)に、京都石清水八幡宮のご分霊を移し祀られ、現在のような社殿が創建されました。
御祭神は、誉田別命。
配祀神は、足仲津彦命、気長足媛命。
ご利益は、海上安全、四季豊漁。
境内の様子
神馬像
鳥居の左手に気高く勇ましい神馬像の姿があります。
この神馬像は2代目。
初代は、昭和8年に献納されましたが、戦争の際に軍用に徴用されました。戦後、氏子総代が発起人となって神馬像が再建されました。
鳥居と御影石の石段
神門から上が33段の女坂、下が42段の男坂と呼ばれています。
急な石段に息が切れました。
石段を登りきると狛犬が迎えてくれます。
清々しい眺めです。
沼島八幡神社の拝殿
境内は神域の森に囲まれ、静謐を湛えていました。
⇩こちらの大きな木はご神木のクスノキです。
沼島の漁港が見渡せる気持ちの良い眺めです。
拝殿の天井にはたくさんの絵馬が掛けられています。
拝殿を360度取り囲むように飾られた数々の絵馬からは、沼島の歴史や神話を伺いすることがでます。
賤ヶ岳の戦いと沼島水軍
正面に掛けられているのは「賤ヶ岳の戦い」の絵馬です。
「なぜ正面に『賤ヶ岳合戦』の絵馬があるの?」と題された説明書きを興味深く拝読しました。
「賤ヶ岳の戦い」は織田信長の死後に賤ヶ岳付近(現:滋賀県長浜市付近)で起きた、羽柴秀吉と柴田勝家の戦いです。
沼島は水軍の根拠地でした。賤ヶ岳の戦いに勝利した秀吉に「淡路守」に任じられた脇坂安治に属した「沼島水軍」は朝鮮出兵にも駆り出されています。この沼島水軍のもともとの頭領は梶原氏で、梶原景時の子孫を名乗っていました。島内には、鎌倉時代前期のものと鑑定されている景時の供養塔、梶原一族のお墓もあります。
沼島八幡宮を創建したと伝えられている梶原景俊は、梶原景時の孫にあたります。
沼島と沼島八幡宮は沼島水軍とゆかりが深いのですね。春の例大祭(5月3日〜4日)には、壇尻が勢いよく海に飛び込み「沼島水軍」を彷彿とされる勇壮な祭りが繰り広げられます。
沼島八幡宮の神域の森
拝殿の右手に建つ社務所と神輿庫です。
「この上憩いの森広場、その奥巨木散歩道」とあります。
奥に進むと石段がありました。参拝したのは7月19日なのですが、まだ紫陽花が綺麗に咲いていました。
石段の上は広場になっています。
広場の奥は「巨木散歩道」になっています。
沼島八幡神社をぐるっと取り囲むように神域の森があり、この森の中には「八ツ又の木」と呼ばれる大人11人分の根まわりをもつ樹齢800年とも言われるシイの大木があると説明書きがありました。
他にも樹齢500年から600年を誇る大木が数本あるそうです。道はまだ奥に続いているようでしたが、真夏ということもあり、入口を覗くに止めました。
大木だらけの森は凄い迫力で、どの大木が「八ツ又の木」かは分からずでした。
沼島八幡神社へのアクセス
兵庫県南あわじ市沼島2
土生港から沼島汽船にて約10分、沼島港から徒歩で約5分。
境内自由。
こちらの記事で沼島の見所と「国生み神話」についてご紹介しています。
記紀神話でイザナギ・イザナミの二神が天の沼矛でかきまぜ、滴り落ちた雫が凝固まってできた島が「おのころ島」です。沼島は古くから、その「おのころ島」と言い伝えられています。
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