『古事記』と『日本書紀』を学んでいるみくるです。神社に参拝した折に御由緒を調べていると、記紀に登場する神様のことをもっと知りたくなりました。
今回は「箸墓古墳」周辺の古墳を巡った際に参拝した「國津神社」についてご紹介します。
國津神社は、奈良県桜井市箸中の「箸墓古墳」と「ホケノ山古墳」の間の纏向川のほとりに鎮座します。
記紀の伝承を今に伝える2社の「國津神社」
御祭神と御由緒
奈良県桜井市箸中の「國津神社」の御祭神は、天照大御神の御子神五柱です。
- 正哉吾勝速日天忍穂耳尊
- 天穂日命
- 天津彦根命
- 活津彦根命
- 熊野櫲樟日命
箸中の國津神社は芝に鎮座する國津神社(通称:「九日神社」)と合わせて記紀の伝承を今に伝えるお社です。2社の國津神社は纏向川を挟んで両側に位置しています。
両社は『古事記』や『日本書紀』に記される天照大神(アマテラス)と建速須佐之男命(スサノヲ、日本書紀では素戔嗚尊)が「アマテラスとスサノオの誓約」の伝承を伝えます。「誓約」は古代日本で行われた「占い」です。
誓約は高天原にある「天の安河」を挟み、向き合う格好で行われました。
まずは姉のアマテラスが、スサノオの腰の「十拳の剣」を噛んで吐き出すと、三柱の女神が生まれました。宗像三女神(多紀理毘売命・市寸島比売命・多岐都比売命)です。
桜井市芝に鎮座する國津神社(九日神社)はこの三柱を御祭神とします。
次にスサノオがアマテラスが身に着けていた勾玉を噛んで吐き出すと、五柱の男神が誕生しました。箸中の国津神社の御祭神です。
纏向川を天の安川に見立てているのですね。
当國津神社は、古来より「地主の森」といい、天照大神の御子神五柱を祭神としています。
國津神社境内の説明板より
この男神五柱は、「記紀」神話によると、素盞鳴尊が天照大神と天の安河を中にはさんで誓約をしたとき、天照大神の玉を物実として成り出た神であります。
ちなみに纏向川下流の芝の国津神社(九日神社)には、素盞鳴尊の剣を物実としてうまれた奥津島比売、市杵島比売、多岐津比売の三女神を祭祠しています。
この箸中と芝で、神の山三輪山を水源とする纏向川をはさみ、二神の誓約によって成り出た神をそれぞれ祭神としていることに、古代神話伝承の原景を見る思いがします。
なお古来より毎年八月二十八日には、大字箸中と芝が相集い、三輪山の麓に鎮座する檜原神社(祭神・天照大神)の大祭を執行しています。
また「日本書紀」崇神天皇六年の条に「天照大神・倭大国魂二神を、天皇の大殿の内に並祭る。然して其の神の勢いを畏りてともに住みたまふに安からず。故、天照大神を以ては、豊鍬入姫命に託けまつりて、倭の笠縫邑に祭る」とあり、ここ箸中の東、三輪山麓の檜原の地は天照大神の伊勢鎮座以前の宮居のあった笠縫邑の伝承地となっています。
天照大神の祭祀に奉じた豊鍬入姫命は崇神天皇の皇女で、その墓所が國津神社裏のホケノ山古墳であるという伝承が地元に伝わっています。
「この箸中と芝で、神の山三輪山を水源とする纏向川をはさみ、二神の誓約によって成り出た神をそれぞれ祭神としていることに、古代神話伝承の原景を見る思いがします。」とあります。
國津神社の横を流れる纏向川です。
古墳を見に行った神社で思いがけず記紀神話に触れ、学ぶ機会を得られました。
境内の様子
狛犬
境内から見る鳥居
拝殿
本殿
本殿の西の小祠(おそらく素戔嗚尊の社)
市杵島神社(御祭神 市杵島姫命)
金毘羅神社(御祭神 大物主命)
稲荷社
山車
境内から望む三輪山
社殿の奥の高まりは「宮ノ前古墳」です。
宮ノ前古墳については「堂ノ後古墳」と合わせてこちらの記事でご紹介しています。
➡箸墓古墳を望む墳丘【堂ノ後古墳】纏向地域に点在する古墳を散策して古代に想いを馳せる
神宿る山「三輪山」
三輪山は、奈良盆地をめぐる青垣山の中でもひときわ形の整った円錐形の山です。古来、大物主大神が鎮まる神の山として信仰され、『古事記』や『日本書紀』には、御諸山、 美和山、三諸岳と記されています
ホケノ山古墳の墳頂から美しい三輪山の姿が見えました。
➡前方後円墳発祥の地!【ホケノ山古墳】墳頂より望む箸墓古墳と卑弥呼の里の素晴らし景観
國津神社は神話の伝承を今に伝えるに相応しい厳かな佇まいのお社でした。神宿る山「三輪山」の麓が鎮座地であることにも神々しさを感じます。
芝の國津神社(九日神社)も参拝したくなりました。
箸中の國津神社へのアクセス
奈良県桜井市箸中112
駐車場はありません。ホケノ山古墳の駐車場を利用されると便利です。
最後までお読み頂きありがとうございます。