橿原市観光政策課が作成されたパンフレット『橿原の万葉歌碑めぐり~万葉人の心、千年を越えて 日本最初の歌集・ 万葉集~』を片手に万葉歌碑めぐりをしています。
今回は「耳成山公園」に建っている4番の歌碑と、「奈良県景観資産」に登録されている桜の季節の耳成山の見事な景観をご紹介します。
耳成山と縵児伝説
桜の季節の耳成山公園
歌碑が建つ「耳成山公園」は大和三山のひとつの耳成山の南西麓にある、古池を活かした親水公園です。春は桜の名所として毎年多くの花見客で賑わいます。
桜の季節に古池越しに望む耳成山の景観は「桜の花を纏った耳成山の姿を映す古池」として「奈良県景観資産」に登録されています。
風が無い日は水面が鏡のようになり見事な景観を見せてくれます。
名勝大和三山のひとつで円錐型の美しいかたちをした耳成山は、登山客や麓の公園で憩う人々で賑わいます。特に春になると公園に植えられた桜が美しく咲き誇り、見物客でより一層の賑わいをみせます。この桜並木が公園前面の古池に映し出される姿はとても美しいです。
奈良県景観資産-桜の花を纏った耳成山の姿を映す古池-/奈良県公式ホームページ
縵児を亡くした悲しみを詠んだ歌一首
歌碑は古池の北側の畔(耳成山側)に建っています。
耳成の池を詠んだ歌です。
(題詞)
或曰 昔有三男同娉一女也 娘子嘆息曰 一女之身易滅如露 三雄之志難平如石 遂乃彷徨池上沈没水底 於時其壮士等不勝哀頽之至 各陳所心作謌三首 娘子字曰縵兒也
(題詞の読み下し)
或いは曰ふ。昔、三人の男あり。同に一人の女を娉ふ。娘子嘆息きて曰はく、「一人の女の身、滅やすきこと露のごとし。三人の雄の志、平しかきこと石のごとし」といふ。つひにすなはち、池の上を彷徨り、水底に沈み没りぬ。時に、その壮士ども、哀頽の至りに勝へず、おのもおのも所心を陳べて作る歌三首 娘子は、字を縵児といふ
(原文)
無耳之 池羊蹄恨之 吾妹児之
来乍潜者 水波将涸
巻16-3788 作者不詳
(読み下し)
耳無の 池し恨めし 吾妹子が
来つつ潜かば 水は涸れなむ
(現代語訳)
耳無の池は恨めしいことよ。あの子がやって来て身を投げたら、水は涸れて欲しかった。
初めてこの歌碑を見た時に、この池に身を投げた人がいるのかと恐ろしく思ったのですが、耳成山の西麓にあったというその池は今はもう無いそうです。
題詞には「三人の男から求愛された縵児が、耳成山の近くの池に身を投げてしまい、その男たちが嘆いて詠った」とあり、そのうちの一首がこちらの歌碑にある歌です。
縵児を亡くした悲しみを詠んだ歌二首
縵児に求愛した他の二人の歌もご紹介します。
(原文)
足曳之 山縵之兒 今日往跡
吾尓告世婆 還来麻之乎
巻16-3789 作者未詳
(読み下し)
あしひきの 山縵の子 今日行くと
我れに告げせば 帰り来ましを
(現代語訳)
山のひかげのかずら、その名を持つ縵児よ、今日あの世に行くと私に告げてくれたなら、あなたの所へ飛んで帰って来たのに。
(原文)
足曳之 山縵之兒 如今日
何隈乎 見管来尓監
巻16-3790
(読み下し)
あしひきの 山縵の子 今日のごと
いづれの隈を 見つつ来にけむ
(現代語訳)
山のひかげのかずら、その名を持つ縵児よ、あとを追おうとさまよう今日の私のように、あなたは死場所を求めてどのみちの曲がり角を見ながらやって来たのであろうか。
縵児を亡くした三人の悲しみが強く伝わり胸を打ちます。
大和三山のひとつ耳成山
耳成山は大和三山の中では最も低い山ですが、円錐状の整った秀麗な山容をしています。瀬戸内火山帯に属する死火山で、浸食や盆地の陥没と堆積によって、現在の姿となりました。万葉集の中で耳成山が単独で詠まれる例はなく、他の二山とともに詠まれました。
香具山は 畝傍ををしと 耳梨と
相あらそひき 神代より かくにあるらし
古昔も 然にあれこそ うつせみも
嬬を あらそふらしき
巻1-13 中大兄皇子
こちらの歌碑は橿原市白橿町の「白橿近隣公園」に建っています。また別の記事でご紹介します。
初夏の耳成山公園
円錐形の美しい耳成山を見るのが好きで、耳成山公園へは季節ごとに出かけます。5月に行った時は桜の木が作る緑のアーチと地面に落ちた影が綺麗でした。
トイレや遊具が設置されていて、憩いの場になっています。
古池には藻がいっぱいで山の姿を映していませんが、一面に広がる緑と青空とのコントラストが楽しめました。
「奈良県景観資産」のビューポイントは古池の南側にあります。
耳成山公園へのアクセス
奈良県橿原市木原町108
無料駐車場(35台)があります。
こちらの記事では、耳成山公園の古池に咲くホテイアオイをご紹介しています。
最後までお読み頂きありがとうございます。