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安倍氏の祈りが眠る地【安倍寺跡】安倍文殊院のルーツをたどって(奈良県桜井市)

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奈良県桜井市にある安倍文殊院は、知恵の文殊さまを祀るお寺としてよく知られています。
私もその穏やかな雰囲気と、文殊池に浮かぶ浮御堂や、桜やコスモスの景色が大好きで、これまで何度も足を運んできました。

そんな安倍文殊院の起源が、すぐ近くにある「安倍寺跡(あべでらあと)」にあると知り、古代の安倍氏の信仰の原点を訪ねてみることにしました。

安倍寺跡は、奈良時代初期に安倍氏が建立した氏寺(うじでら)と考えられており、現在は国の史跡に指定されています。

静かな田園の中に佇むその場所には、1300年前の祈りの気配が今も息づいていました。

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安倍氏ゆかりの国史跡「安倍寺跡」古代の祈りの跡をたどって

安倍寺跡とは|安倍氏の氏寺とされる古代寺院

奈良県桜井市にある「安倍寺跡(あべでらあと)」は、7世紀後半から8世紀初め頃に建立された飛鳥時代の寺院跡です。
創建したのは、この地に勢力を持っていた古代豪族・安倍氏(あべうじ)と考えられています。

奈良時代の地方豪族は、自らの信仰や権威を示すために寺院を建立しましたが、安倍寺はその中でも規模が大きく格式の高い氏寺だったとされています。
出土した遺物や伽藍(がらん)配置の特徴から、国分寺に匹敵する整備がなされていたことが分かっています。

同じ阿倍丘陵には、安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)の墓と伝わる文殊院西古墳や、石舞台古墳にも匹敵する規模の谷首古墳など、安倍氏ゆかりの史跡が点在しています。
こうした遺跡群からも、この一帯が古代安倍氏の政治的・宗教的中心地であったことがうかがえます。

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安倍文殊院との関係 ― 安倍寺の祈りを受け継ぐ寺

「安倍寺」という名は、『日本書紀』や『続日本紀』などの正史には直接登場しません。
しかし、これらの史書には安倍氏の人々――たとえば安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)など――がたびたび登場し、彼らがこの地域を拠点としていたことがわかります。

そのため、考古学的に発見されたこの寺跡は、安倍氏が奈良時代初期に建立した氏寺(うじでら)=安倍寺であると考えられています。

また、後世に成立した安倍文殊院の縁起には、「前身は安倍寺」と記されており、安倍寺の信仰や伽藍の伝統を受け継いで発展した寺院が、現在の安倍文殊院とみられています

安倍文殊院の表山門

つまり、安倍寺跡は単なる古代寺院跡ではなく、今日まで続く安倍文殊院の信仰の“源流”を伝える、極めて重要な場所なのです。

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現在の安倍寺跡 ― 史跡公園として整備された姿

安倍寺跡は、昭和45年(1970年)に国の史跡に指定されました。

現在は史跡公園として整備されており、塔跡・金堂跡・回廊跡の一部が基壇として復原されています。

現地には、復元された基壇を囲むように芝生が広がり、のどかな田園風景の中に整然とした伽藍跡が並ぶ様子を見ることができます。

案内板の前にあるのが塔跡の基壇です。一辺約15メートルの大きなものです。

基壇の上には礎石が復元されていました。

敷地の東側にある高まりは、復元された金堂跡の基壇です。

塔跡の西側には、回廊跡の基壇が復元されています。

このように、広大な敷地のどこに塔や金堂が立っていたか視覚的示されてるので、当時の寺院の規模の壮大さを想像することができました。

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安倍寺の伽藍配置と出土遺構

伽藍配置

発掘調査によって、安倍寺の伽藍配置がほぼ明らかになっていて、金堂・塔・講堂・中門・回廊の礎石が確認され、整然とした伽藍を構成していたことが分かっています。

伽藍は南面し、東に金堂、西に塔を配し、北に講堂という法隆寺式、あるいは川原寺式に近い配置であったことが発掘調査で判明しています。

出土した瓦などから、飛鳥時代の山田寺(641年~678年)とほぼ同じ時期に創建されたと推定されています。

北方には、講堂跡と思われる土壇が残っていますが、未調査です。

出土遺構

山田寺の瓦との関連性が指摘される軒丸瓦などが出土しています。

日本でも数例しか知られていないという唐三彩の獣脚(壺の脚)の破片も出土しており、当時の国際的な交流や文化水準の高さがうかがえます。

その他、土器、素文鏡、金環など、7世紀中ごろから平安時代にかけての遺物が出土しています。

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隣接する安倍寺瓦窯跡|寺院造営を支えた生産拠点

安倍寺跡の北側には、寺院に使われた瓦を焼いた安倍寺瓦窯跡(あべでらかわらがまあと)が残っています。

こちらも国の史跡に指定されており、安倍寺と一体的に造営されたことが確認されています。

瓦窯跡では、複数の登り窯が発見され、屋根瓦を生産していたことが分かっています。
出土した瓦は、文様や製作技法から見て、飛鳥時代後期から藤原京期にかけての特徴を示しており、時代の変遷を物語る貴重な資料です。

寺院のすぐ近くに瓦窯が設けられている例は全国的にも珍しく、寺院造営と瓦生産が密接に結びついていたことを示す重要な遺跡です

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国史跡指定の理由と学術的価値

安倍寺跡と安倍寺瓦窯跡は、奈良時代初期の地方豪族による寺院造営の実態を示すものとして、平成14年(2002年)に国の史跡に指定されました。

文化庁はその価値を次のように評価しています。

安倍寺跡および瓦窯跡は、奈良時代初頭の地方豪族の氏寺の実態をよく示し、当時の寺院造営技術や瓦生産のあり方を明らかにするうえで学術的価値が高い。

つまり、安倍寺跡は信仰の場であると同時に、地方と中央の文化交流を伝える考古学的資料としても重要なのです。

伽藍配置、出土遺物、瓦窯跡が一体で良好に保存されていることも、国史跡に選ばれた大きな理由のひとつです。

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安倍氏の祈りが息づく地|周辺の史跡を巡ろう

安倍寺跡を歩くと、静かな田園風景の中に、古代の祈りの跡が息づいているのを感じます。
周辺には、安倍氏一族の墓と伝わる古墳が点在しており、阿倍丘陵全体がまるで安倍氏の歴史を物語る地のようです。

散策の際は、安倍文殊院文殊院古墳群谷首古墳コロコロ山古墳などをあわせて訪れるのがおすすめです。

こちらの記事では、安倍寺の信仰を受け継ぐ安倍文殊院の歴史と見どころをわかりやすくまとめ、参拝や観光に役立つ情報をご紹介しています。

まとめ|安倍文殊院の源流を訪ねて

安倍寺跡は、古代の豪族・安倍氏が信仰と権威をかけて建立した氏寺の跡です。
国史跡として保存されているこの地には、奈良時代初期の地方寺院の姿と、当時の人々の祈りの心が今も息づいています。

安倍文殊院を訪れた際には、ぜひ足を延ばしてこの安倍寺跡も歩いてみてください。
静けさの中に、古代の祈りと文化の息づかいを感じることができるはずです。

安倍寺跡へのアクセス

奈良県桜井市安倍木材団地1丁目11-10

駐車場はありません。

安倍文殊院の山門前から約230m、徒歩4分ほどです。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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