【橿原の万葉歌碑めぐり】軽の社の斎槻を詠んだ歌(大軽春日神社)

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橿原市観光政策課が作成されたパンフレット『橿原の万葉歌碑めぐり~万葉人の心、千年を越えて 日本最初の歌集・ 万葉集~』を片手に万葉歌碑めぐりをしています。

橿原の万葉歌碑めぐり

今回は「大軽春日神社」に建っている20番の歌碑をご紹介します。

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天飛ぶや軽の社の斎槻

歌碑は橿原市大軽町にある「大軽春日神社」の境内に「応神天皇軽島豊明宮跡かるしまとよあきらのみやあとの伝承碑」に並んで建っています。

応神天皇軽島豊明宮跡の伝承碑と万葉歌碑

大軽春日神社と応神天皇の軽島豊明宮跡についてはこちらの記事でご紹介しています。
橿原市の史跡を巡る【春日神社(応神天皇の軽島豊明宮跡)】~石川池周辺を歩くその2

大軽春日神社の万葉歌碑

(原文)
天飛也 軽乃社之 齊槻 幾世及将有 隠嬬其毛

(読み下し)
天飛ぶや 軽の杜の 斎槻いわひつき
幾世まであらむ 隠妻こもりづまそも

巻11-2656 作者不詳

(現代語訳)
天飛ぶ雁というわけではないが、軽の社の槻の木、その神木がいつの世までもあるように、あなたはいつまでも忍び妻のままでいるのであろうか。

※「天飛ぶや」は「鳥」「かり」にかかる枕詞です。この歌では「雁」と似た音の「かる」にかかっています。

※「斎ひ槻」は、神木として祀ってある槻のことです。「槻」は「ケヤキ」の古名で、高さが30メートル、太さが直径2メートルになる落葉高木です。巨木は神の依り代になりました。

「隠妻」はなんらかの理由で他人に知られないように持つ妻のことです。同じく軽の隠妻を詠んだ柿本人麻呂の泣血哀慟歌を思い出します。

柿本人麻呂の泣血哀慟歌

柿本人麻呂の歌碑は、奈良県橿原市見瀬町の「牟佐坐神社むさにますじんじゃ」の境内に建っています。
万葉歌碑巡り【柿本人麻呂の泣血哀慟歌】牟佐坐神社(橿原市見瀬町)

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大軽春日神社へのアクセス

奈良県橿原市大軽町374

石川池(剣池)の畔には紀皇女の歌碑(「橿原の万葉歌碑めぐり」18番)が建ってます。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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