ワニ氏の本拠地に建つ「和爾下神社古墳」と「東大寺山古墳群」奈良県天理市

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天理市観光協会さんのサイトを見ながら、おススメの観光スポット巡りをしているみくるです。

前回は「はにわの里コース」から、「高良神社こうらじんじゃ長寺遺跡ちょうじいせき」をご紹介しました。

今回は、後円部に和爾下神社わにしたじんじゃが建つ「和爾下神社古墳わにしたじんじゃこふん」と、「東大寺山古墳群とうだいじやまこふんぐん」をご紹介します。

はにわの里コース | 天理観光ガイド・天理市観光協会
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和爾下神社古墳と東大寺山古墳群

和爾下神社古墳の概要

和爾下神社古墳は、東大寺山古墳赤土山古墳などと共に東大寺山古墳群に属する前方後円墳です。南北に主軸を置き、北側に前方部、南側に後円部があります。規模は全長約105m、後円部径約60m、高さ約12m、前方部幅39mを測ります。

築造時期は採集された埴輪などから、4世紀末から5世紀初頭(古墳時代前期末から中期初頭)とされ、東大寺山古墳赤土山古墳に次いで造られた古墳とされています。

和爾下神社古墳から、東北約800mにはワニの集落があります。この周辺一帯は、古代大和政権の一翼を担ったワニ氏の本拠地と推定され、東大寺山古墳群はワニ氏の奥津城おくつきと考えられます。

奥津城(おくつき)とは

古代の墓のことです。またそこから、神道式の墓のこと。

文献上の例として、『万葉集』に「奥津城」、『日本書紀』神代巻に「奥津棄戸」と記されています。本来の意は、死体遺棄による葬法を表しているもので、一般民衆の死体が遺棄されていた事によります。

神式のお墓を建てる場合、墓所の近くに海や川、湖、池などのがある場合は「奥津城」の文字を用い、それ以外は「奥都城」の文字を用いるのが一般的です。

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古代豪族「ワニ(和珥・和爾)」氏の奥津城

天理の北部、櫟本町いちのもとちょうから和爾町わにちょうは、古代豪族「ワニ(和珥・和爾)氏」の本拠地が所在した地域です。『日本書紀』や『古事記』には、この地域を「ワニ坂わにさか」と呼び、大和朝廷に仕えたワニ氏の祖先が武力にすぐれた集団であったことを記載しています。

丸邇坂(わにさか)

大毘古命が、反逆者とされた建波邇安王を討伐するため、丸邇臣の祖である日子国夫玖命を連れて山代(山背)に赴くのに先立ち忌瓮を据えた場所。現在の奈良県天理市和爾町あたりの坂であるとされている。『延喜式』神名帳・大和国添上郡に見える「和邇坐赤坂比古神社」(現・奈良県天理市和爾町)の赤坂比古は、この丸邇坂の神と解されている。

丸邇坂の「丸邇(ワニ)」については、埴(ハニ=赤土)の転じた語として捉える説があり、埴の産地であることを示すとされる。応神記の歌には「櫟井の 和邇佐(わにさ)の土を 端つ土は 肌赤らけみ…」(記42番歌)とあるが、土を産出する「和邇佐(わにさ)」を「丸邇坂」と解する説が有力視されている。

丸邇坂 – 國學院大學 古典文化学事業

和爾町の地名はそうした古代豪族の名称が地名に名残を留めたものと思われます。

東大寺山古墳群が所在する東大寺山の丘陵には、「東大寺山古墳」「和爾下神社古墳」など古墳時代に築かれた大型の前方後円墳があります。考古学では、総称して「東大寺山古墳群」と呼んでいますが、ワニ氏の祖先にあたる有力人物の墓と考えられます。

こちらの記事では、ワニ氏が営んだとみられる祭祀場跡が見つかった「櫟本高塚遺跡いちのもとたかつかいせき」をご紹介しています。

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和爾下神社古墳の石棺

内部主体や副葬品は明らかではありませんが、墳丘西側には石棺材がありました。

古墳のすぐ西側には柿本寺跡しほんじあとと伝わる場所があり、姫路地方産の竜山石たつやまいしで造られた長方形の石材が中央に置かれています。

この石材は昔、櫟本小学校西側の四つ辻(高瀬川上の上街道)で石橋の一部として使われていたもので、橋の改築に伴い、柿本寺跡に運ばれました。長さは2.66m、幅1.58m、厚さ23~26cmで長辺に突帯が巡り、片面は平らに加工されています。

形状から古墳の石棺に用いられていた底石で、その規模から和爾下神社古墳の石棺材と考えられています。

柿本寺跡については、こちらの記事でご紹介しています。

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古墳の後円部に建つ「和爾下神社」

和爾下神社古墳の後円部には、和爾下神社が建っています。古墳が治道山はるみちやまと呼ばれていたところから、治道社(春道社)や牛頭天王社、さらに西隣に建てられた柿本寺との関係で柿本上宮とも呼ばれていました。

拝殿と本殿は後円部の墳丘上に建っているので、結構段があります。柿本寺跡が建つのは前方部のようです。

和爾下神社については、こちらの記事でご紹介してます。

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東大寺山古墳群

東大寺山古墳群は春日断層崖から西に延びる丘陵の一つ、通称、東大寺山丘陵に点在しています。北側には谷を挟んで和爾の集落、西側には櫟本の集落が所在します。

築造時期は4世紀の後半から7世紀代まであり、その数は200基以上を数えます。中でも大きな古墳は、東大寺山古墳・赤土山古墳・和爾下神社古墳などの前方後円墳で、4世紀後半から連続して造られており、首長クラスの墓と見られています。

赤土山古墳の墳丘上から見た東大寺山古墳群です。シャープ総合開発センターの敷地内も東大寺山古墳群のエリアです。

現在古墳は前方後円墳の25号、26号墳が現地でそのまま保存され、3基の横穴式石室と小石室2基がシャープ株式会社のインフォメーション前に移築保存されています。

東大寺山古墳群と移築の横穴式石室

かつて、シャープ株式会社の敷地内には20数基の古墳が存在し、現在は古墳時代の前方後円墳、東大寺山25・26号墳を含む数基の古墳が現状保存されています。また、開発に際して発掘調査した古墳の内、石室の残りが良好であった3基の横穴式石室と2基の小石室を、シャープ株式会社の協力によってここに移築保存しました。

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和爾下神社古墳へのアクセス

奈良県天理市櫟本町

和爾下神社に無料駐車場があります。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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