【橿原の万葉歌碑めぐり】万葉人の心を感じる32基の歌碑をまとめてご紹介(奈良県橿原市)

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万葉歌碑が建っている場所を訪れて、歌が詠まれた時代に思いを馳せるのが好きなみくるです。

私が住む橿原市の観光政策課さんが、「万葉集にゆかりが深い橿原で、令和の時代に万葉びとの思いや情景を感じていただければ」との思いから、市内の万葉歌碑を紹介するパンフレット『橿原の万葉歌碑めぐり~万葉人の心、千年を越えて 日本最初の歌集・万葉集~』を作成されました。

観光パンフレット『橿原の万葉歌碑めぐり~万葉人の心、千年を越えて 日本最初の歌集・ 万葉集~』

万葉びとの思いに触れたくて、パンフレットを片手に歌碑巡りをしています。

橿原の万葉歌碑めぐり 裏面

今回は、こちらに掲載されている万葉歌碑をまとめてご紹介します。

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橿原の万葉歌碑めぐり

真菅よし 宗我の河原に 鳴く千鳥

橿原市中曽司寺町の磐余神社の境内に建つ歌碑です。

磐余神社の境内に建つ歌碑

(読み下し)
真菅よし 宗我の河原に 鳴く千鳥
間無しわが背子 わが恋ふらくは

巻12-3087 作者未詳

(現代語訳)
曽我川の川原でいつまでも鳴いている千鳥のように、いつまでも私が恋焦がれるのは、ほかの誰でもない、あたなです。

【橿原の万葉歌碑めぐり】真菅の由来になった歌「真菅よし宗我の河原に」(磐余神社)

うち渡す 竹田の原に 鳴く鶴の

橿原市東竹田町の竹田神社の境内に建つ歌碑です。

(読み下し)
うち渡す 竹田の原に 鳴く鶴の
間無く時無し わが懸ふらくは

巻4-760 大伴坂上郎女

(現代語訳)
広々とつづく竹田の原に鳴く鶴の間もないことよ。私の恋しく思うことは。

玉桙の 道は遠けど はしきやし

橿原市常磐町の春日神社の境内に建つ歌碑です。

(読み下し)
玉桙の 道は遠けど はしきやし
妹を相見に 出でてそ我が来し

巻8-1619 大伴家持

(現代語訳)
玉鉾の道は遠いのだが、なつかしいあなたに逢いに、私は出かけて来ました。

耳無の 池し恨めし 吾妹子が

橿原市木原町の古池の畔に建つ歌碑です。

木原町の古池の畔に建つ歌碑

(読み下し)
耳無の 池し恨めし 吾妹子が
来つつ潜かば 水は涸れなむ

巻16-3788 作者不詳

(現代語訳)
耳無の池は何と恨めしいことよ。吾妹子がやって来て身を投げたら、水は乾れてほしいものを。

【橿原の万葉歌碑めぐり】縵児を亡くした悲しみを詠んだ歌(耳成山公園)耳成山の景観と共に

秋山の 黄葉を茂み 迷ひぬる

橿原市地黄町の人麿神社の境内に建つ歌碑です。

(読み下し)
秋山の 黄葉を茂み 迷ひぬる
妹を求めむ 山道知らずも

巻2-208 柿本人麻呂

(現代語訳)
秋山の黄葉が茂っているので道に迷ってしまった妻を探そうにも、山道を知らないことよ。

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思はぬを 思ふといはば 眞鳥住む

橿原市雲梯町の河俣神社に建つ歌碑です。

(読み下し)
思はぬを 思ふといはば 眞鳥住む
卵名手の杜の 神知らさむ

巻12-3100 作者不詳

(現代語訳)
思ってもいないのに思っているというと、鷺の住む卵名手の神様が御成敗なさろう。

草枕 旅の宿に 誰が夫か

橿原市南浦町の古池の畔に建つ歌碑です。

(読み下し)
草枕 旅の宿に 誰が夫か
國忘れたる 家待たまくに

巻3-426 柿本人麻呂

(現代語訳)
草を枕とする旅のやどりに、一体誰の夫が、故郷を忘れているのか。家の人々も待っているだろうに。

春過ぎて 夏来るらし 白妙の

橿原市醍醐町の醍醐池の畔に建つ歌碑です。

醍醐町の醍醐池の畔に建つ歌碑

(読み下し)
春過ぎて 夏来るらし 白妙の
衣乾したり 天の香具山

巻1-28 持統天皇

(現代語訳)
春も終わり夏がやってきたようですね。天の香具山に純白の衣が乾されているのが見えますよ。

【橿原の万葉歌碑めぐり】天香具山を詠んだ持統天皇の歌~大和三山の眺めと共に〈藤原宮跡〉

百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を

橿原市東池尻町に建つ歌碑です。

(読み下し)
百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を
今日の見てや 雲隠りなむ

巻3-416 大津皇子

(現代語訳)
百にたどり至る磐余の池に鳴く鴨を見ることも今日を限りとして、私は雲の彼方に去ってしまうのだろうか。

万葉歌碑巡り【大津皇子辞世の句】磐余の池跡地にて大伯皇女と共に偲ぶ(奈良県橿原市)

哭澤の 神社に神酒すゑ 祈祷れども

橿原市木之本町の畝尾都多本神社の境内に建つ歌碑です。

(読み下し)
哭澤の 神社に神酒すゑ 祈祷れども
わご大君は 高日知らしぬ

巻2-202 伝 檜隈女王

(現代語訳)
泣沢の女神に命のよみがえりを願って、神酒を捧げて祈るのだが、わが大君は高く日の神として天をお治めになってしまった。

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大和には 群山あれど とりよろふ

橿原市南浦町の香具山に建つ歌碑です。

(読み下し)
大和には 群山あれど とりよろふ
天の香具山 登り立ち 国見をすれば
国原は 煙立ち立つ
海原は 鴎立ち立つ
うまし国ぞ 蜻蛉島 大和の国は

巻1-2 舒明天皇

(現代語訳)
大和には、数々の山があるけれど、なかでも特別に神聖な天の香具山、そこに登り立って国見をすれば、広々とした平野にはあちらこちらに煙が立ち、広々とした海にはあちらこちらに鴎が飛び立っている、ああ、良い国だ、蜻蛉島、大和の国は。

ひさかたの 天の香具山 このゆふべ

橿原市南浦町の天香具山神社に建つ歌碑です。

(読み下し)
ひさかたの 天の香具山 このゆふべ
霞たなびく 春立つらしも

巻10-1812 柿本人麻呂

(現代語訳)
久方の天の香具山には、この夕方、霞がたなびいている。春になったらしいよ。

藤原の 古りにし郷の 秋萩は

橿原市別所町の別所池の畔に建つ歌碑です。

(読み下し)
藤原の 古りにし郷の 秋萩は
咲きて散りにき 君待ちかねて

巻10-2289 作者不詳

(現代語訳)
旧都となった藤原の秋萩は、虚しく咲いて散ってしまった。あなたを待ちかねて。

【橿原の万葉歌碑めぐり】古郷・藤原を秋萩に寄せて詠んだ歌~晩秋の藤原宮跡の景色と共に

いにしへの 事は知らぬを われ見ても

明日香村小山の小山廃寺(紀寺跡)に建つ歌碑です。

(読み下し)
いにしへの 事は知らぬを われ見ても
久しくなりぬ 天の香具山

巻7-1096 作者不詳

(現代語訳)
過ぎ去った遠い時代のことはわからないけれども、私が見はじめてからでも、もうずいぶんのあいだ、変わることもなくそびえているよ。神々しい天の香具山は。

こちらの歌碑は「明日香村の万葉歌碑を歩く」の記事でご紹介しています。
【明日香村の万葉歌碑を歩く】いにしへの事は知らぬをわれ見ても【神聖な天の香具山を詠んだ歌】

ひさかたの 天知らしぬる 君ゆゑに

橿原市四分町の鷺洲神社の境内に建つ歌碑です。

(読み下し)
ひさかたの 天知らしぬる 君故に
日月も知らず ひ渡るかも

巻2-200 柿本人麻呂

(現代語訳)
今は薨去されて天をお治めになってしまった高市皇子であるのに、月日の流れるのも知らず、いつまでも恋い慕いつづける私たちです。

【橿原の万葉歌碑めぐり】高市皇子の死を悼む柿本人麻呂の挽歌(鷺栖神社)

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わすれ草 わが紐に付く 香具山の

橿原市城殿町の本薬師寺跡に建つ歌碑です。

(読み下し)
わすれ草 わが紐に付く 香具山の
故りにし里を 忘れむがため

巻3-334 大伴旅人

(現代語訳)
忘れ草を、私は着物の下紐につけて、青春を過ごした天香具山の麓の故郷への思いを忘れよう。

【橿原の万葉歌碑めぐり】大伴旅人の望郷の歌~本薬師寺跡から香具山を望む

春さらば 挿頭にせむと わが思ひし

橿原市大久保町の大久保町公民館に建つ歌碑です。

(読み下し)
春さらば 挿頭にせむと 我が思ひし
桜の花は 散りにけるかも

巻16-3786 作者不詳

(現代語訳)
春になったら挿頭にしようと思っていた桜の花は散ってしまったなあ。

軽の池の 浦廻行き廻る 鴨すらに

橿原市石川町の石川池の畔に建つ歌碑です。

(読み下し)
軽の池の 浦廻うらみ行きる 鴨すらに
玉藻たまものうへに ひと宿なくに

巻3-390 紀皇女

(現代語訳)
軽の池のほとりを泳ぎ回る鴨でさえ、玉藻の上にひとり寝ることはないというのに。

万葉人の心、千年を超えて【橿原の万葉歌碑めぐり】石川池の紀皇女の歌碑と弓削皇子の相聞歌

思ひあまり 甚もすべ無み 玉襷

橿原市大谷町の畝火山口神社に建つ歌碑です。

(読み下し)
思ひあまり 甚もすべ無み 玉襷
畝火の山に われは標結ふ

巻7-1335 作者不詳

(現代語訳)
思慕の心に堪えかねて、何とも仕様なく、玉襷畝傍山に私はしるしを結ぶことだ。

天飛ぶや 軽の社の 斎槻

橿原市大軽町の春日神社の境内に建つ歌碑です。

(読み下し)
天飛ぶや 軽の社の 斎槻
幾世まであらむ 隠妻そも

巻11-2656 作者不詳

(現代語訳)
天飛ぶ雁というわけではないが、軽の社の槻の木、その神木がいつの世までもあるように、あなたはいつまでも忍び妻のままでいるのであろうか。

【橿原の万葉歌碑めぐり】軽の社の斎槻を詠んだ歌(大軽春日神社)

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香具山は 畝火ををしと 耳成と

橿原市白橿町の白橿近隣公園にある歌碑です。

(読み下し)
香具山は 畝火ををしと 耳成と
相あらそひき 神代より
かくにあるらし 古昔も
然にあれこそ うつせみも
嬬をあらそふらしき

巻1-13 中大兄皇子

(現代語訳)
香具山は畝傍山を男らしい者として古い恋仲の耳成山と争った。
神代から、こうであるらしい。
昔もそうだからこそ、現実にも、愛する者を争うらしい。

橿原の万葉歌碑めぐり【中大兄皇子の大和三山の歌】播磨国風土記の伝承と共に

わが恋ふる 千重の一重も 慰むる

橿原市見瀬町の牟佐坐神社の境内に建つ歌碑です。

(読み下し)
わが恋ふる 千重の一重も 慰むる
情もありやと 吾妹子が 止まず出で見し
軽の市に わが立ち聞けば 玉襷
畝傍の山に 鳴く鳥のも聞こえず
玉鉾の 道行く人も 一人だに
似てし行かねば すべをなみ

妹が名喚びて 袖そ振りつる
巻2-207 柿本人麻呂

(現代語訳)
僕の恋する千分の一でも慰められるだろうと妻がいつも出て見ていた軽の市に僕も立って聞いてみると、美しい襷をかけるような畝傍の山に鳴く鳥の声も聞こえず、玉鉾の道を行く人も一人として妻に似た人は行かないので、しかたなく妻の名を呼んで魂よ帰っておいでと袖を振ったことです。

万葉歌碑巡り【柿本人麻呂の泣血哀慟歌】牟佐坐神社(橿原市見瀬町)

明日香川 しがらみ渡し 塞かませば

橿原市今井町の今井まちなみ交流センター華甍に建つ歌碑です。

(読み下し)
明日香川 しがらみ渡し 塞かませば
流るる水も のどかにあらまし

巻2-197 柿本人麻呂

(現代語訳)
明日香川に塞を渡してとめたら、流れる水も皇女の遠ざかることも、ゆるやかになるにちがいないのに。

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