飛鳥の謎の石造物「猿石」で知られる【吉備姫王墓】眠るのは斉明天皇の母か?(奈良県明日香村)

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生まれも育ちも奈良県で、明日香が大好きなみくるです。

今回は、奈良県高市郡明日香村平田にある「吉備姫王墓きびひめのみこのはか」をご紹介します。飛鳥の謎の石造物のひとつ「猿石さるいし」があることで知られます。

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吉備姫王墓(檜隈墓)と猿石

吉備姫王墓(檜隈墓)

吉備姫王墓(檜隈墓)は、欽明天皇陵(梅山古墳)に隣接する8m程度の小円墳です。斉明天皇の母、吉備姫王きびひめのみこの墓とされています。

平安時代編纂の『延喜式』諸陵寮しょりょうりょうでは、吉備姫王の墓は檜隈墓ひのくまぼとされ、欽明天皇きんめいてんのうりょうの檜隈陵域内にあるとされていることから、現在の檜隈墓に治定されています。

陵墓の正式名称は「敏達天皇皇孫茅渟王妃吉備姫王 檜隈墓」。直径8m程度の円墳と推測できますが、古墳の形、築造年代、構造などの詳細は不明で、古墳ではないとする説もあります。

吉備姫王墓のすぐ近くに、欽明天皇陵に治定されている梅山古墳があります。

考古学的には、梅山古墳の兆域内にあるカナヅカ古墳を吉備姫王墓に比定する説が有力視されています。

カナヅカ古墳は、欽明天皇陵陪塚ばいちょう(大きな墓のそばにある小さな墓のこと)として宮内庁により管理されています。

吉備姫王

斉明天皇の母・吉備姫王は欽明天皇の孫でもあり、天智天皇天武天皇の祖母にあたります。

父は桜井皇子(欽明天皇の皇子)。母は未詳。茅渟王ちぬのおおきみ(押坂彦人大兄皇子の子)の妃となり、宝皇女たからのひめみこ(皇極天皇・斉明天皇)・軽王かるのおおきみ孝徳天皇)を儲けました。

吉備姫王は、皇極天皇2年(643年)9月に薨去しました。『日本書紀』に、皇極天皇は母が病に臥してから喪をおこすまで病床を離れず、「檀弓岡まゆみのおか」に葬ったとあります。

『日本書紀』皇極天皇2年9月条

十一日、吉備島皇祖母命きびのしまのすめおやのみこと(皇極天皇の母)が薨去こうきょされた。

十七日、土師娑婆連射手(はじのさばのむらじいてみことのりして、皇祖母命すめみおやのみことの喪葬の儀を執り行わせた。
天皇は皇祖母命が病臥されてから、喪を発するに至るまで床のそばを離れず、看病にお努めになった。

十九日、皇祖母命を檀弓岡まゆみのおか明日香村)に葬った。

日本書紀・日本語訳「第二十四巻 皇極天皇」 | 古代日本まとめ
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吉備姫王墓の「猿石」

吉備姫王墓は、猿石があることでよく知られています。

猿石は、墓前に並べられている滑稽な顔をした四体の石造です。

江戸時代に、欽明天皇陵とされる平田梅山古の墳南方の「池田」の水田から掘り出され、欽明天皇陵の前方部南側に設置されたと伝わります。

明治初年頃、吉備姫王墓に移され、現在に至っています。猿石は高さ1mほどの花崗岩製の石像で、南北ほぼ一列に並べられています。

猿石については、こちらの記事で詳しくご紹介しています。

飛鳥の謎の石造物「亀石」

猿石と並んで亀石かめいしも人気の石造物です。

亀石の用途も分かっていませんが、猿石と同じく斉明天皇の時代に造られたと考えられています。

斉明天皇の母である吉備姫王のお墓に、猿石が置かれていることを面白く思いました。

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吉備姫王墓へのアクセス

奈良県高市郡明日香村平田

欽明天皇陵の拝所の手前を左手に折れると吉備姫王墓です。猿石が目当てで来られる方が多いようです。ローマ字表記されているところを見ると、海外の方にも人気なのでしょうね。

吉備姫王墓から見た欽明天皇陵です。豊かに水を湛えた美しい周濠を持つ、墳丘長140メートルの大きな前方後円墳です。

こちらの記事では、飛鳥の謎の石造物のひとつ「二面石」のある橘寺をご紹介しています。「二面石」も猿石と同じ場所から出土したと考える説があります。

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