マップを見ながら史跡巡りをするのが好きなみくるです。
今回は、山の辺の道美化推進協議会」さんが発行されている、観光パンフレット「山の辺の道」から、竹之内環濠集落と、天理市営駐車場 山の辺の道(杣之内)までの山の辺の道をご紹介します。
竹之内環濠集落へは、こちらの記事でご紹介した夜都伎神社を後にして、山の辺の道を南へ進み向かいました。
竹之内環濠集落
環濠集落とは
環濠集落とは、濠で周りを囲んだ集落のことで、古代(弥生時代~古墳時代)と中世(戦国時代)の2つの時期に築かれました。
弥生時代後期の大規模な環濠集落で代表的なものに、佐賀県の「吉野ヶ里遺跡」や、奈良県の「唐古・鍵遺跡」などがあります。
奈良県内の中世に築かれた環濠集落の代表的なものに、「稗田環濠集落」(奈良県大和郡山市)や「今井環濠集落」(橿原市今井町)などがあります。
環濠集落は、争いが多い時代に集落を防衛する手段として成立しました。
環濠集落とよく似たものとして、高地性集落も同時期に現れます。高地性集落は、山の上などの高地に築かれたの対し、環濠集落は主に平地に築かれ、水田を含むムラや小国家がまるごと濠に囲まれていました。
今回ご紹介する竹之内環濠集落は、平地に築かれることの多い環濠集落の特異な例で、標高100mという高台に位置します。奈良盆地内で最も高いところにある環濠集落です。
竹之内・萱生環濠集落
竹之内環濠集落は、奈良盆地内で最も標高の高い場所に作られた環濠集落として知られます。南方の萱生環濠集落と合わせて、竹之内・萱生環濠集落と呼ばれています。
竹之内・萱生環濠集落
集落の西側(山の辺の道の東側)の濠のみ現存。集落入口部分の濠は埋められて竹之内町公園になっています。
奈良盆地には環濠集落が多いが、竹之内環濠集落は標高約100mで、県内ではもっとも高地にあるとされる。南北朝時代から筒井順慶による統一まで、大和の戦国乱世が生んだ自衛の集落で、周囲に用水池を兼ねる濠を、内部に竹やぶを植えこんだ。竹之内のほか、萱生にも同様の集落が残る。
観光パンフレット「山の辺の道」
夜都伎神社から竹之内環濠集落へ
夜都伎神社から山の辺の道を南へ進み、竹之内環濠集落へと向かいました。約600m。およそ10分の道のりです。
曲がる所には道標が建っているいるので安心して歩けます。
豊かに実った田を彼岸花が彩る長閑な秋の山の辺の道です。竹之内町は標高100mの高さに位置する、ちょっとした高地なので綺麗に開けた景色が楽しめました。
竹之内環濠集落の入口に差し掛かりました。
竹之内環濠集落
残存している環濠は2つあり、濠の間には土橋がかかっています。水量が多く大変美しい濠です。
集落を囲んだ濠のうち、西側だけが近世以降も溜池として残され、今も現役の灌漑用水として活用されています。
集落西側の入口付近の濠(写真の右奥)は埋められて竹之内町公園になっていて、公衆トイレが設置されています。
山の辺の道ウォーキングの際は、トイレの位置を確認してからお出かけ下さいね。ご紹介している、観光パンフレット「山の辺の道」にもトイレの場所が表示されています。
公園のトイレの手前に解説板がありました。
竹之内環濠集落
竹之内町は建武3(1336)年の記録(春日神社文書)にも現れる歴史の古い集落です。集落の東方には十二社神社がが鎮座しています。集落の西側には中世に造られたと考えられる濠が現在も残り、「竹之内環濠集落」として知られています。
奈良盆地には集落の周囲に濠をめぐらす「環濠集落」が多くみられます。一般に環濠集落は室町時代以降に出現したもので、戦国の動乱の中、外敵から集落を守るための防御施設として築かれたものと考えられています。現在も環濠の姿を留めている集落では、濠が用・排水に利用されている例が多いことから、もともとこうした濠は防御施設としての機能のほかに水利施設としての性格もあったとされます。
天理市には竹之内町のほかに、備前町、南六条町、庵治町溝幡が比較的よく姿を留める環濠集落として知られているほか、かつて環濠を有していた可能性がある集落も多数存在しています。多くの環濠集落は盆地内の低地に営まれていますが、竹之内町は標高100m前後の見晴らしのよい斜面上にあり、環濠集落としては奈良盆地内でも最も高いところにあります。
竹之内町では集落西側の入口付近に最近まで残っていた環濠が埋め戻されて公園となっていますが、その北側には今も環濠が残り、往時の佇まいを偲ぶことができます。
令和6年(2024年)9月 天理市教育委員会
竹之内環濠集落の解説板
濠跡の公園から北側に現存する環濠。高台からの美しい眺望が楽しめました。
集落内の路地の様子です。濠に挟まれた土橋から続く集落内の路地を東に向かって進みます。集落は東へ行くほど高くなっています。
路地を東側に抜けると、解説板にあった十二社神社が鎮座しているのですが、今回はここで引き返しました。
竹之内環濠集落から天理市営駐車場 山の辺の道(杣之内)へ
竹之内環濠集落を後にして、山の辺の道を北に進み夜都伎神社まで戻ります。
夜都伎神社の鳥居が見えて来ました。
夜都伎神社の鳥居の前の道です。
行きはこの道の先の夜都伎神社の朱塗りの鳥居からでしたが、帰りは道標のある所を折れて北に進みました。
こちらの道が山の辺の道です。右手の杜が夜都伎神社です。こちら側にも境内に続く階段がありました。
長閑な田園風景が続きます。
彼岸花が綺麗に咲いていました。
路傍のお地蔵様にも彼岸花。柿がたくさん実っています。
「天理市営駐車場 山の辺の道(杣之内)」の近くまで戻って来ました。
ここから更に北に進むと、内山永久寺跡と石上神宮があります。
こちらの記事では、内山永久寺跡をご紹介しています。
「市営駐車場 山の辺の道(杣之内)」近くの「西乗鞍古墳」と「東乗鞍古墳」は別の記事でご紹介します。
竹之内環濠集落へのアクセス
奈良県天理市竹之内町
駐車場はありません。
天理市営駐車場 山の辺の道(杣之内)より、山の辺の道を歩いて約17分です。
こちらの記事では、天理市営駐車場 山の辺の道(杣之内)と、すぐ東側に広がるひまわり畑をご紹介しています。
最後までお読み頂きありがとうございます。