明日香村と古代史が好きなみくるです。
今回は万葉歌碑巡りで知った「小山廃寺(紀寺跡)」をご紹介します。
いまは「小山廃寺」と呼ばれる紀寺跡
小山廃寺(紀寺跡)
小山廃寺は奈良県明日香村小坂の飛鳥川の右岸、香具山の西で北西方向にのびる微高地上に立地します。
以前は「紀寺跡」と呼ばれ、そこに建っていたのは紀氏の氏寺、「紀寺」と考えられていました。
グーグルマップでは「紀寺跡」で表記されています。
発掘調査の結果、藤原京の条坊に沿って建てられた寺院であることが判明し、天智朝から存在していたとされる「紀寺」とは別の寺院である可能性が高くなりました。
現在では「小山廃寺」と呼ばれています。
県史跡 紀寺跡
紀寺跡は小山廃寺ともいわれ、藤原京左京八条二坊に位置する。
紀寺跡の説明板
1973年以来の発掘調査で金堂跡・中門跡・回廊跡・南大門跡・南面と東面の大垣などが確認されています。
しかし礎石がほとんど残らないことから、詳細な建物規模は明らかではない。
伽藍配置は南大門・中門・金堂・講堂が南から一直線に並び、回廊は中門から行動に取りついて金堂を囲む形となっている。
現在は失われているが、過去には金堂の南東に塔心礎が残っていたようであり、そこに塔が推定される。(中略)
紀寺跡の説明板
遺跡名は小山字キデラに由来しており、古代の有力豪族である紀氏の氏寺ともいわれている。
その一方で藤原京内で四町四方を占め、朱雀大路をはさんだほぼ対象の位置に天武天皇が建てた薬師寺(本薬師寺)が位置することや出土遺物の特徴から、国によって建てられた官寺と考えられている。
創建年代は7世紀後半である。
出土した「小山廃寺式軒丸瓦」が全国各地に分布することからも、このお寺が国家によって造営された可能性が高いと考えられています。
本薬師寺跡
藤原京の対称の位置に「本薬師寺」があります。
本薬師寺は、天武天皇が皇后の病気平癒を祈願するために、天武9年(680年)に建立を開始した藤原京の薬師寺と呼ばれるお寺です。
平城京遷都で薬師寺が西ノ京に移ると、西ノ京の「薬師寺」と区別するために「本薬師寺」と称されるようになりました。
天武天皇が持統天皇の病気平癒を祈願してお寺を建立したというのは、お二人の仲睦ましさを感じる好きなエピソードです。
その本薬師寺と対をなす立派なお寺がここに建っていたのかもしれないと思うと、ワクワクしました。
こちらの記事では、本薬師寺跡についてご紹介しています。
奈良市西の京の薬師寺
薬師寺は、奈良県奈良市西ノ京町にある法相宗の大本山の仏教寺院です。
1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の構成資産の一つとして世界文化遺産に登録されました。
小山廃寺にも薬師寺のような立派なお寺が建っていたのかもしれません。
写真でははっきり分からないのですが、伽藍配置の金堂の位置が少し盛り上がっていました。
礎石がほとんど残っていないとのことで、今はただ広い空き地が広がるのみです。
小山廃寺(紀寺跡)へのアクセス
奈良県高市郡明日香村小山183
駐車場はありません。
奈良交通バス 明日香村小山下車 徒歩9分です。
万葉歌碑巡りをしていなければ行かなかったかもしれない場所でした。
万葉集のことを知られるのに加えて、色々な発見があって楽しいです。
最後までお読み頂きありがとうございます。