景色を楽しみながら歌碑を訪ね歩き、いにしえの歌人の思いに触れるのが好きなみくるです。
日本最古の道「山の辺の道」には38基もの歌碑が建てられています。全部を見つけたいと思っています。

今回は、観光パンフレット「山の辺の道」に掲載されている中から、24番の倭建命(日本武尊)の歌碑をご紹介します。
歌碑が建つ井寺池は、西に大和平野を、東に三輪山を一望できるビューポイントとして知られています。

ヤマトタケルが詠んだ「大和は国のまほろば」
ヤマトタケルとは
今回ご紹介する24番の倭建命(ヤマトタケルノミコト)の歌碑は、奈良県桜井市三輪の井寺池のほとりに建っています。

ヤマトタケルは、第12代景行天皇の皇子で、第14代仲哀天皇の父にあたります。熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄です。

『日本書紀』では主に「日本武尊(やまとたけるのみこと)」、『古事記』では主に「倭建命(やまとたけるのみこと)」と表記されます。現在では、漢字表記の場合に一般には「日本武尊」の用字が通用されます。
こちらの記事では、日本武尊の物語と、死を前にして偲んだであろう大和の美しい青垣の山々をご紹介しています。
今回は、観光パンフレット「山の辺の道」にならって、「倭建命」と表記します。
井寺池
倭建命の歌碑が建つ井寺池は、奈良県桜井市三輪の檜原神社の近くにある池です。西に大和平野を、東に三輪山を一望できるビューポイントとして知られています。

鳥居の前の道を西へ5分ほど下ると見えて来ます。

檜原神社は、奈良県桜井市三輪の山の辺の道沿いにある、大神神社の摂社です。
大神神社と同じく、三ツ鳥居
越し御神体を拝むという、原初の形式が残っている神社です。大神神社では禁足地にある三つ鳥居を、こちらでは拝することができます。
井寺池は、堤によって上池と下池に仕切られています。

上池からは三輪山を一望できます。

3月下旬から4月上旬には、桜をまとう美しい姿が見られます。


下池からは大和平野を一望できます。

手前の、こんもりとした森のように見えるのは、箸墓古墳です。向こうに見える双峰の山は二上山です。
箸墓古墳は奈良県桜井市箸中にある巨大な前方後円墳です。邪馬台国の女王卑弥呼の墓という説もある、わが国において最も有名な古墳の一つです。
井寺池の倭建命の歌碑
倭建命の歌碑は、池を仕切る堤のほぼ中央に建っています。

倭は 国のまほろば たたなづく 青垣
山隠れる 倭しうるわし
(現代語訳)
大和の国は、国々の中で最もよい国だ。重なり合って、青い垣をめぐらしたような山々、その山々に囲まれた大和は、美しい国だ。
井寺池の堤からは、ヤマトタケルが偲んだであろう大和の美しい青垣の山々が望めます。青垣は、大和平野から見える山々は青い垣根のように囲まれているという意味です。

歌碑を揮毫した川端康成は、池のほとりに約2時間たたずんで、ここに建てて欲しいと言ったと伝えられています。
奈良県では平成23年度から平成28年度までに、県内でも特に優れた景観をテーマに一般公募の上審査し、161点が「奈良県景観資産」として登録されました。井寺池の景観もそのひとつです。
檜原神社の近くにある井寺池からは、西に大和平野を一望でき、東には三輪山を一望できます。
奈良県景観資産-井寺池-/奈良県公式ホームページ
井寺池のほとりには、川端康成揮毫の『大和は國のまほろば…』の万葉歌碑が残っています。この歌碑を建てる際、康成は池のほとりに約2時間たたずんで、ここに建てて欲しいと言ったと伝えられています。
大神神社の倭建命の歌碑
倭建命の歌碑は、大神神社の境内にも建っています。黛敏郎氏の揮毫の歌碑に刻まれているのは、古事記歌謡:「大和は国のまほろば たたなずく青垣 山ごもれる 大和しうるわし」です。
作曲家の黛敏郎氏は万葉集研究の第一人者の犬養孝氏の教え子でした。犬養先生独特の万葉朗唱は「犬養節」と呼ばれ、多くの人に親しまれました。
井寺池の倭建命の歌碑へのアクセス
奈良県桜井市箸墓1247
駐車場はありません。
山の辺の道沿いに建つ檜原神社からは、往復10分ほどの距離です。周辺には、他にも歌碑が建っています。
こちの記事では、天智天皇(中大兄皇子)の大和三山の歌碑をご紹介しています。
歌碑を揮毫したのは、「唐招提寺御影堂障壁画」などで著名な東山魁夷です。川端康成の『古都』などの装丁も手掛け、川端康成を大変尊敬していた東山魁夷が、川端康成の歌碑のそばが良いといわれ、現在の場所に決められたそうです。
井寺池からさらに西に下ると、箸墓古墳に桜を添えた写真が撮れました。

箸墓古墳と大神神社の大鳥居があるのは、桜井市を代表する景観で、多くの写真愛好家さんが撮影に来られます。

最後までお読み頂きありがとうございます。