山の辺の道を石上神宮から奈良まで歩いているみくるです。
前回の記事では、高樋町ののどかな集落で出会った、赤い実と素朴なベンチに守られた11番・大伴家持の歌碑をご紹介しました。
家持が詠んだ「植ゑし心」の温もりに触れた後、私は次なる目的地「10番」の歌碑を目指して、さらに北へと歩みを進めます。11番から10番までは約1.7km、時間にして約23分の道のりです。
この区間もまた、これまでの山の辺の道「奈良道」の旅路と同じように、のどかな田園風景が続いています。しかし、ただ歩き去るにはもったいないほど、道中には時代を超えた歴史の断片や、思わず足を止めたくなる「気になる場所」がいくつも隠されていました。
「山の辺の道『奈良道』を守る会」さんが繋いでくれた歌碑の番号を一つずつ遡りながら、今度はどんな物語に出会えるのか。そんな期待に胸を膨らませて歩いた、窪之庄町(くぼのしょうちょう)までの旅の記録です。
正暦寺への分岐点と、100年の祈りが刻まれた石碑を訪ねて
道端に刻まれた「祈り」の跡「大峯山上供養碑」を訪ねて
11番から10番へと続く道すがら、私が強く惹かれたのは、風雨に耐えてきた石碑たちでした。
明治の情熱を伝える「八拾八度」の供養碑
まず現れたのは、「大峯山上八拾八度供養碑」です。


側面を見ると「明治40年1月4日建之」の文字。

今から120年近く前、日露戦争が終わって間もない激動の時代に建てられたものです。
大峯山といえば、古くから修験道の聖地として知られる険しい山。そこへ一生をかけて88回も登拝し、無事に成し遂げた証としてこの碑が建てられました。当時の旅人が、一歩一歩踏み締めた「祈りの重み」が、石の肌から伝わってくるようです。
延命地蔵尊と「五十五度」の供養碑
さらに進み、御大典記念時計の少し先にある「延命地蔵尊」の前でも、また別の石碑に出会いました。

こちらには「大峯山上五十五度供養」と刻まれています。 55回という回数も、並大抵の努力で成し遂げられるものではありません。この地蔵尊に見守られながら、かつて多くの先人たちが、家族の無事や村の安泰を願って山へと向かったのでしょう。
万葉の優雅な歌を辿る旅の中で、こうした「生きた信仰の跡」に出会えるのも、奈良道歩きの深い醍醐味ですね。
時を刻む分岐点と、正暦寺への思い
供養碑に背筋が伸びる思いをした後は、地元の高樋青年団さんが昭和55年に復元したという「御大典記念時計」のある分岐点へ。

ここは「正暦寺(しょうりゃくじ)」へと続く分かれ道です。

正暦寺は、ここから東へ約2km、徒歩25分ほどの道のりです。

山の辺の道「奈良道」を守る会さんの公式サイトにある地図を見ると、前回の記事で「欠番」として触れた12番の歌碑が、正暦寺にあることがわかります。

「いつかあの場所へも……」と、まだ見ぬ12番に思いを馳せながら、私はさらに北へ、窪之庄町へと歩みを早めました。
惹かれる響き「五聖地めぐり」
分かれ道にある「奈良市精華町案内板」の地図をじっくり眺めてみると、そこには「五聖地めぐり」という、なんとも心惹かれる文字が記されていました。

円照寺のある山村町から、正暦寺のある菩提山町へと続くこの一帯。古くから守られてきた五つの聖なる地を巡る道……。その響きだけで、まだ見ぬ景色への想像が膨らみ、胸が躍ります。
今回は北へと歩みを進めますが、この「五聖地」という言葉は、いつかまたこの地を深く訪ねるための、大切な約束のように私の心に残りました。
寄り道で見つけた、静寂に眠る「東塚古墳」と「割塚古墳」
時計台から10番の歌碑へと向かう途中、山の辺の道から横に逸れる道が気になり、足を運んでみました。

そこで出会ったのが、ひっそりと佇む「栗塚古墳(くりづかこふん)」と「割塚古墳(わりづかこふん)」です。

ここにも、これまで私を導いてくれた「山の辺の道『奈良道』を守る会」さんによる案内板が設置されていました。

歌碑だけでなく、こうした地域の宝である古墳までも丁寧に守り、伝えていこうとする地元の方々の深い郷土愛を感じ、改めてこの道を歩く喜びが込み上げます。
この二つの古墳、そしてこの後に訪れる「黄金の伝説」が眠る古墳については、語りたいことがたくさんあります!次回の記事でじっくりと特集しますので、どうぞお楽しみに。
工事区間と安全への願い:歩く際はご注意を
古墳を後にして再び10番の歌碑を目指しますが、このあたりの道は今、大きく姿を変えようとしています。

高樋町の交差点から円照寺までは2.1kmです。

道幅を広げる工事が進められており、新しく綺麗な歩道が整備されている区間もあります。

ただ、その歩道が途切れた先は、道幅が狭く車との距離がぐっと近くなる場所も……。 それまでが静かな田園地帯だっただけに、真横を通り過ぎる車の速さに少し怖さを感じる場面もありました。

これから歩かれる方は、ぜひ周囲の交通に十分注意して進んでくださいね。そんな変化し続ける道の様子も、今の「奈良道」の等身大の姿なのかもしれません。
10番・柿本人麻呂歌集:実りを待つ切実な願い
いよいよ辿り着いた10番の歌碑。それは「山の辺の道」と「帯解黄金塚古墳」へと続く道の、ちょうど分岐点に立っていました。


10番の歌碑にあるのは、万葉歌聖・柿本人麻呂の歌集にある一首です。


(読み下し)
冬こもり 春へを恋ひて 植ゑし木の
實になる時を 片待つ我ぞ
『万葉集』巻9-1705
(よみ)
ふゆこもり はるへをこひて うゑしきの
みになるときを かたまつわれぞ
(現代語訳)
冬の間、春を恋い焦がれて植えた木が、実を結ぶ時を、今か今かとひたすら待っている私ですよ。
11番の家持の歌が「植えた人の心」に寄り添っていたのに対し、この歌は「実り」を心待ちにする、より切実で力強い想いに溢れています。

高樋町の道端で見た、あの南天の赤い実。 それは、かつて誰かが「実り」を願い、そして大切に待っていた時間の結晶だったのかもしれない……。そんな風に、11番と10番の歌が、私の中で一つに繋がった瞬間でした。
まとめ:歌碑に導かれ「帯解黄金塚古墳」へ
柿本人麻呂歌集の歌にある「実になる時」を待つ心に触れたとき、私の心にはひとつの変化が訪れていました。
この分岐点の先に眠る、さらなる歴史の「実り」を見てみたい――。
これまで「歴史の源流を遡る」と決めて歩いてきた今回の旅ですが、ここで一旦、山の辺の道「奈良道」とはお別れです。歌碑巡りの続きはまた次回の楽しみにとっておくことにして、私はこの分岐点を左へ。人麻呂が詠んだ「実り」を追いかけるように、「帯解黄金塚古墳」を目指すことにしました。

13番、11番、10番と繋いできた万葉の歌のバトン。 次回は、道中に寄り道して出会った「東塚・割塚古墳」の不思議な佇まいと、そして今回の旅の大きな目的地となった「帯解黄金塚古墳」の様子をまとめてお届けします。
歌から古墳へ。 深まりゆく奈良の歴史探訪に、どうぞ最後までお付き合いください。
窪之庄町の柿本人麻呂の歌碑へのアクセス
10番の柿本人麻呂の歌碑は、ちょうど田中町と窪之庄町の境界線あたりに位置しています。 「奈良道を守る会」さんの案内では窪之庄町となっていますが、Googleマップ上では田中町と表示されるようです。
実際には、山の辺の道「奈良道」と、帯解黄金塚古墳へ続く道が交差する分岐点のすぐそばに立っていますので、こちらの地図を参考にしてくださいね。
奈良県奈良市田中町599
最後までお読み頂きありがとうございます。

