景色を楽しみながら歌碑を訪ね歩き、いにしえの歌人の思いに触れるのが好きなみくるです。
日本最古の道「山の辺の道」には38基もの歌碑が建てられています。全部を見つけたいと思っています。

今回は、観光パンフレット「山の辺の道」に掲載されている中から、17番の柿本人麻呂の歌碑をご紹介します。正確には、「柿本人麻呂歌集」からの歌です。
巻向の檜林に降る淡雪の情景を美しく詠んだ一首です。
巻向の檜原もいまだ雲ゐねば『万葉集』巻10-2314 柿本人麻呂歌集
相撲発祥の地「相撲神社」
今回ご紹介する柿本人麻呂の歌碑は、奈良県桜井市穴師の相撲神社の境内に建っています。
相撲神社は、穴師山の中腹に鎮座する穴師坐兵主神社の神域内にある境内摂社で、垂仁天皇の御代に、ここで日本初の天覧相撲が行われたことから、「相撲の発祥の地」と言われています。
境内地には勝者・野見宿禰公を称える「勝利之聖」の石碑も建立され、勝負事に縁起の良い場所として人気が広まりつつあります。
巻向の桧原もいまだ雲ゐねば
歌碑は相撲神社の奥に建っています。

ブルーシートがかけられた土俵の向こう側です。

歌碑の写真を取り損ねていたので、2025年4月20日に再訪しました。おかげさまで、れんげ草に彩られた可愛らしい写真が撮れました。

(原文)
巻向之 桧原毛未 雲居者
子松之末由 沫雪流
(読み下し)
巻向の 桧原も未だ 雲居ねば
小松が末ゆ 沫雪流る
万葉集 巻10-2314 柿本人麻呂
揮毫者 山本健吉
(左注)
右柿本朝臣人麻呂之歌集出也
(現代語訳)
巻向の檜の原にはまだ雲がかかっていないのに、松の枝先を沫雪(淡雪)が流れるように降っている。
今回ご紹介している歌は、観光パンフレット「山の辺の道」では、柿本人麻呂の歌として紹介されているのですが、正確には、「柿本人麻呂歌集」の歌です。
※左注に「右柿本朝臣人麻呂歌集出」とあります。左注は、歌の左に書かれた作者名や作歌事情などを記した注です。
普通なら空に雲がかかってから雪が降り始めるのに、先に雪が降り始めたという自然現象が詠まれています。
(語義)
巻向…奈良県桜井市三輪にある巻向山
桧原…ヒノキの林
淡雪…うっすらと積もってすぐに消えていく雪
雪が「流れる」というのは、強い横風によって吹きなぐられるように降る状態を言っているのでしょう。巻向山の桧原の遠景に、近景の松の枝を配して、急激に変化しつつある自然に興味を持って歌ったものです。
巻向周辺は、現在では杉の植林が増えていますが、万葉の時代には「三輪の檜原」や「泊瀬の檜原」などと並んで檜の原が広がっていたようです。

柿本人麻呂歌集のこと
「柿本人麻呂歌集」は、現存していないため詳細は不明ですが、『万葉集』成立以前の和歌集で、人麻呂が2巻に編集したものとみられています。人麻呂自身の歌や朝廷の人々の歌などを中心に収録されていたようです。
この歌も柿本人麻呂自身の作か、あるいは人麻呂が収集した伝誦歌のひとつだったのでしょう。
『万葉集』には題詞に人麻呂作とある歌が80余首あり、それ以外に『柿本人麻呂歌集』から採ったという歌が360余首あります。
360余首もあるってすごいですね。観光パンフレット「山の辺の道」にも、柿本人麻呂歌集の歌が多く掲載されています。
こちらの記事では、噂にのみ聞いていた巻向山を実際に見ることの出来た喜びを詠った一首をご紹介しています。
揮毫の山本健吉さんのこと
桜井市にある歌碑は、昭和46年当時の桜井市長と桜井市出身の文芸評論家、保田與重郎氏を中心に「心ある人々に記紀万葉のふるさとと桜井の歴史を体感し楽しんでいただこう」という思いで呼びかけられ多くの文化人に賛同をいただき揮毫されたものです。
今回ご紹介した歌碑を揮毫された山本健吉さんは、文芸評論の世界で独自の地位を築いた著名な評論家です。文芸評論家の折口信夫さんから大きな彫響を受け、日本の古典文学に閃するすぐれた評論を発表されました。文化勲章受賞(1983年)。
相撲神社へのアクセス
奈良県桜井市穴師
穴師坐兵主神社の鳥居をくぐった右手に、相撲神社の駐車場があります。

道幅が狭いのでご注意下さい。

相撲神社へは、山の辺道から少し外れてこの道を東へ進みます。
最後までお読み頂きありがとうございます。