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【古代天皇の宮シリーズ】履中天皇ゆかりの「若桜神社」と桜の井を歩く(奈良県桜井市)

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古墳や古道、そして古代史の舞台となった場所を歩くのが大好きなみくるです。
奈良県桜井市は、私にとって何度も足を運びたくなる場所のひとつ。万葉の香りが漂う山の辺の道や、古代氏族の足跡を伝える古墳群など、歩くたびに新しい発見があります。

今回は、桜井市谷に鎮座する「若桜神社(わかざくらじんじゃ)」を訪ねました。

若桜神社のアイキャッチ画像

周囲の自然に包まれた境内には「若桜の井戸」が残され、さらにこの地は『日本書紀』に登場する「磐余稚桜宮(いわれのわかざくらのみや)」の伝承地のひとつにも数えられています。古代の歴史と伝承が重なる場所を歩いてみました。

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【若桜神社】磐余稚桜宮伝承と名水の里を歩く

若桜神社の概要

若桜神社(わかざくらじんじゃ)は、奈良県桜井市谷の小さな丘陵の上に鎮座する由緒ある神社です。桜井駅南口から南へ約500メートルほどの場所にあり、小高い丘の頂上に位置しています。

小高い丘に鎮座する若桜神社

『延喜式神名帳』に記載されている古社で、かつては「白山権現」とも呼ばれていました。桜井の地名の由来になったとされる、第17代履中天皇の「磐余稚桜宮(いわれわかざくらのみや)」跡に比定する説もあります。

若桜神社の鳥居

現在の本殿は東殿と西殿の二つに分かれ、東殿には伊波我加利命(いわがかりのみこと)、西殿には大彦命(おおひこのみこと)を祀っています。

若桜神社の御由緒書き

ですが、境内は木が鬱蒼としており、実際に二殿が並ぶ様子ははっきりとは確認できません。その静けさがかえって神秘性を際立たせています。

若桜神社の斎庭と社殿
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若桜神社の境内の様子

若桜神社は周辺の土地よりも一段高い丘の上にあり、鳥居をくぐると石段が続いています。

若桜神社の鳥居から続く石段

参道は鬱蒼とした木々に覆われ、神聖で荘厳な雰囲気が漂います。

若桜神社の参道

鳥居をくぐってすぐ右側に玉垣で囲われた井戸があり、傍らの石碑には「若桜の井戸復元記念」と刻まれています。

若桜神社にある「若桜の井戸」

石段途中の踊り場の左側に手水舎が建っています。

若桜神社の手水舎

さらに石段を登りきると拝殿が姿を現し、森に包まれた中でひっそりと佇むその姿はとても趣がありました。

若桜神社の斎庭と拝殿

桟瓦葺の平入切妻造の拝殿です。

若桜神社の拝殿

拝殿後方に本殿が建っていますが、高い塀に囲われている上、木々も鬱蒼としているため見ることができませんでした。

若桜神社の本殿

本社社殿の右側には、玉垣に囲まれて石碑が建っています。「祓戸神」と刻まれているようです。

若桜神社の「祓戸神」

鳥居をくぐって石段を登り、拝殿前の斎庭に出ると一番最初に出迎えてくれるのがこの祓戸神です。まずは祓戸神の前で心身を清めてからお詣りするのでしょう。

石段上のすぐ左側には、玉垣に囲まれて「金毘羅大権現」と刻まれた石碑が建っています。

若桜神社の「金毘羅大権現」
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若桜神社と「式内社論社問題」

『延喜式神名帳』(927年)には「若櫻神社(わかざくらのかみのやしろ)」の名が記されています。これは当時すでに国から認められた由緒ある神社の証ですが、その所在地については明確ではなく、現在の 若桜神社(桜井市谷)稚櫻神社(桜井市池之内) が候補とされています。

若桜神社の鳥居と社号標

このように、複数の神社が同じ式内社の候補である場合、それぞれを 論社(ろんしゃ) と呼びます。つまり「候補の神社」という意味で、どちらが本来の社なのかは今も確定していません。古代の歴史のあいまいさを、現地で体感できるのを魅力に感じました。

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高屋安倍神社と松本山からの遷座伝承

境内に並んで祀られている 高屋安倍神社 は、もともと現在地から南方約400mにある 松本山 に鎮座していたと伝えられています。その後、若桜神社とともに祀られるようになり、現在の「東殿・西殿」の形となったようです。

履中天皇にまつわる宮の伝承と、有力氏族・安倍氏の祖神信仰。この二つが同じ境内に重なり合っているところに、この土地ならではの歴史の奥深さを感じます。

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若桜の井戸と桜の井

若桜神社の境内に復元されている「若桜の井戸」は、履中天皇がこの地で口にした清らかな水にちなむともいわれています。

一方、近くには大和の七名井のひとつ「桜の井」があり、こちらは履中天皇がその美味しさを称えて自ら桜を植えたという伝承で知られています。

桜井市の地名由来に関わる名水「桜の井」

「桜の井」は、奈良県の地名「桜井」の由来とも伝わる名井で、履中天皇の伝説と結びついています。詳細はこちらの記事でまとめています。

桜井市の地名由来に関わる名水「桜の井」

両者の直接的な関係は不明ですが、いずれも「桜」と「井戸」が結びついており、古代の宮や行幸の記憶がこの地に重なって残されていることが伝わってきます。

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磐余稚桜宮伝承地と履中天皇の物語

若桜神社の鳥居から続く石段の途中に、「磐余稚桜宮伝承地」と記された解説板が建っています。

若桜神社の石段に建つ「磐余稚桜宮伝承地」と記された解説板

そこには『日本書紀』に記された履中天皇の物語「桜の井の逸話」が紹介されており、この地が天皇の宮跡と伝えられてきたことがわかります。

「磐余稚桜宮伝承地」の解説板

若桜神社の解説板より、『記紀万葉の物語』を引用します。

記紀によりますと、第十七代履中天皇は、各地に国司や国史を置き、諸国に意向を広く伝えるとともに、諸国の記録を残すようにするなど、国の仕組みを整え国家を安定させようとしたと記されています。

また、磐余池を造ったとされる一方、磐余市磯池で船遊びをしていると、杯に季節はずれの桜の花びらが舞い落ちたことから、宮名を磐余稚桜宮としたとされています。

この説話にまつわって、桜樹を等弥郷の清水の湧き出る泉のほとりに植えたという伝説があり、「桜の井戸」、桜井の地名の起こりにもなっています。

記紀万葉の物語(履中天皇の条)仲皇子の反乱
磐余池の船遊び(桜の井の逸話)

磐余の地は、古代大和の中心舞台のひとつであり、履中天皇の稚桜宮もその政治の拠点とされました。若桜神社と周辺の名井は、その伝承を今に伝える歴史的な手がかりと言えるでしょう。

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周辺散策と丘陵の風景

私は、まず 古代の歌人・紀朝臣鹿人と、近代の桜井ゆかりの文人・保田與重郎氏の歌碑の歌碑を訪れたあと、桜井市立図書館から若桜神社へ歩きました。

途中、多武峰街道付近から見ると、神社の鎮座する丘陵がこんもりと盛り上がって見え、まるで古墳のように感じられました。

若桜神社が鎮座する丘陵(遠景)

桜井観光協会さんの紹介によれば、この丘陵の崖面から古墳時代中期の埴輪が採集されており、古墳の可能性もあるそうです。

若桜神社が鎮座する丘陵

神社の杜や丘陵そのものが、古代の祭祀や墳墓と関わっていた可能性を考えると、歩くたびに古代の気配を肌で感じられます。

若桜神社へのアクセスと周辺情報

アクセス情報

  • 所在地:奈良県桜井市大字谷344
  • 最寄駅からのアクセス:JR・近鉄「桜井駅」南口から徒歩約10分。
    駅を出て南へ進み、「桜井南口」交差点を渡って国道165号線を越えます。そのまま道なりに歩くと、やがて木立に囲まれた社叢が見えてきます。小高い丘の石段を登った先に若桜神社があります。
  • 駐車場:専用の駐車場はありません。車で訪れる場合は、桜井駅周辺のコインパーキングを利用してください。
  • 地図
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周辺スポット

  • 桜の井(さくらのい):若桜神社から徒歩圏内。大和の七名井のひとつに数えられる名水で、履中天皇の逸話が伝わります。
  • 土舞台(つちぶたい):若桜神社と同じ丘陵地に位置し、磐余稚桜宮の候補地のひとつ。
  • 安倍文殊院あべもんじゅいん):古代豪族・安倍氏の氏寺で、歴史散策をさらに深められるスポット。

若桜神社を訪ねて|歴史散策のまとめ

奈良県桜井市に鎮座する若桜神社は、『日本書紀』に登場する磐余稚桜宮の伝承地のひとつとして知られています。境内に残る「若桜の井戸」や、近隣にある「桜の井」は、履中天皇にまつわる伝説と深く結びつき、古代大和の歴史を今に伝えています。

式内社「若櫻神社」の論社であり、さらに高屋安倍神社の遷座伝承も抱えるこの地は、古代祭祀と皇統の記憶が重なり合う場所。桜井という地名の由来とも関わる名水伝説をたどることで、歴史散策の楽しみがより広がります。

若桜神社を訪れたなら、ぜひ「桜の井」にも足を延ばしてみてください。こちらも大和の七名井のひとつに数えられる名井で、履中天皇が称賛した逸話が伝わっています。

歴史の舞台となった磐余の地を歩けば、古代天皇の宮と伝説の息吹を肌で感じることができるでしょう。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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