産まれも育ちも奈良県のみくるです。
『万葉集』が編纂された時代に政治の中心であった奈良県には、その地にゆかりのある多くの万葉歌碑が建っています。そんな奈良県を天理市観光協会さんの観光ガイド「いにしえの歌碑めぐり」を見ながら巡っています。
山の辺の道には柿本人麻呂、松尾芭蕉だけでなく、小野小町や僧正遍昭、龍王山城の武将・十市遠忠など天理にゆかりの深い偉人たちの歌碑がたくさん建てられています。これらを訪ね歩き、制覇する…なんていうのも天理のテーマウォーキングの楽しみです。
いにしえの歌碑めぐり | 天理観光ガイド・天理市観光協会
サイトを見て、私も天理にゆかりの深い偉人たちの歌碑を訪ね歩き、制覇したいと思いました。
天理市で歌碑巡りをして順にご紹介します。今回は8番の「天理市役所西側の歌碑」です。
布留川に想いを託して詠んだ歌
吾妹児や 我を忘らすな 石上 袖布留川の 絶えむと思へや
歌碑は天理市守目堂町の布留川沿いに建っています。
万葉歌碑です。
(原文)
吾妹児哉 安乎忘為莫 石上
袖振川之 将絶跡念倍也
巻12-3013 作者未詳
(読み下し)
吾妹児や 我を忘らすな 石上
袖布留川の 絶えむと思へや
(現代語訳)
いとしいひとよ、わたしをお忘れにならないで。石上の、袖を振るという布留、その布留の川が絶えないようにあなたへの気持ちは絶えません。
別れていく恋人に対して、私を忘れないでほしい、布留川の流れが絶えないように、と呼びかける恋の歌です。万葉の時代は、川に様々な思いを託すことが多かったようで、川を詠んだ歌が数多くあります。
歌碑は天理市役所の北隣にある保健センターの、北側の布留川沿いに建っています。
布留川です。
布留川
布留川は、天理市を代表する川です。東方の龍王山を源として、西方の平野部に流れ、初瀬川に合流します。上流部の岩場には、避暑の場としても人気の「桃尾の滝」があります。
桃尾の滝についてはこちらの記事でご紹介しています。後嵯峨天皇や松尾芭蕉らも訪れ歌を残した名刹です。
市街地に近づくと、石上神宮の北側を通り天理市教会本部の中を流れていきます。
天理市役所のモアイ像
天理市庁舎の横のモアイ像が目に止まりました。
「なぜ、こんな所にモアイ像!?」と不思議に思い、近づいてみると。
チリ政府の好意により寄贈を受けた”モアイ像”を市庁舎完成 並びに「わかくさ国体」開催を記念してここに設置する
天理市役所のモアイ像の説明板
昭和60年3月 天理市
市庁舎完成と「わかくさ国体開催」を記念して、チリ政府から贈られたものだったのですね。
天理市庁舎は、1985年に奈良県でわかくさ国体が開催されたその年に完成しました。
昭和45年(1970年)に開催された「大阪万国博覧会」の際、本場イースター島から運ばれてきたモアイ像が「チリ館」前に展示されていました。万博が終わった後は「チリ大使館」で保管されていたそうです。
展示棟前の池の中に、高さ 5 メートルの巨大な人頭彫像「モアイ」が展示され衆目を集めた。これは南太平洋のイースター島から運ばれてきたもので、火山岩で作られた重さ 6 トンの珍しい古代人の遺品であった。
チリ館 | 万博記念公園 (expo70-park.jp)
市庁舎横にあるのはそのモアイ像です。
天理市はチリのラ・セレナ(La Serena)と姉妹都市提携を結んでいます。ラ・セレナはチリ中部の都市で、コキンボ州の州都に当たります。チリ国内でも二番目に古い街で、人気の観光地として知られます。
イースター島から運ばれてきたって本物!?と驚きましたが、万博で展示されていたのはチリ政府により作られたレプリカとの説があるそうです。
モアイ像は市役所ができた時から、シンボルとして佇んでくれていたのですね。歌碑巡りで思いがけない発見があり、楽しい気持ちになりました。
真偽は不明ですが、本物だったら本当に驚きです。天理市に来られた際にはぜひ立ち寄られて下さい。
天理市役所へのアクセス
奈良県天理市川原城町605
市役所の駐車場が利用できます。
歌碑は169号線と25号線の交差点付近の布留川沿いに建っています。
こちらの記事では「いにしえの歌碑巡り」12番の「石上神宮外苑公園の歌碑」をご紹介しています。
最後までお読み頂きありがとうございます。