NHK大河ドラマ「光る君へ」の放送を心待ちにしているみくるです。
2024年11月3日に放送された第42回「川辺の誓い」では、病に倒れた藤原道長をまひろ(紫式部)が見舞う場面が描かれました。
道長がいたのは、宇治の別荘「宇治殿」と思われます。「鳳凰堂」で世界に広く知られている平等院は、道長も息子の頼道が、父から受け継いだ宇治殿の地に創建した寺院です。
「道長様も生きてくださいませ。道長様が生きておられれば私も生きられます。」とまひろ(紫式部)に言われて、声を上げて泣く藤原道長の様子が胸を打ちます。お互いがお互いの生きる意味になる…まさしくソウルメイトだと感じる場面でした。
京都府宇治市は、紫式部が書く『源氏物語』の終焉の舞台となりました。光源氏の子・薫、孫・匂宮を主人公とし、大君、中君、浮舟らとの間の恋を中心に物語は展開します。
宇治市内には「橋姫」ではじまり「夢浮橋」で終わる、「宇治十帖」のそれぞれの物語に関連した古蹟が点在しています。
今回は、その中から「さわらびの道」をご紹介します。
『源氏物語 – 宇治十帖』の古跡「さわらびの道」
さわらびの道(早蕨の道)は、宇治川右岸(北側)から早蕨之古蹟 、宇治上神社を経て、源氏物語ミュージアムに至る石畳の散歩道です。喫茶店・土産店なども多くありますが、平等院が建立されている左岸(南側)ほど観光客は多くなく、静かで雰囲気の良い所です。
早蕨之古蹟
宇治上神社の参道を下った左側、宇治神社北東の角に、「早蕨之古蹟」と刻まれた小さな石碑があります。この碑は1988年、宇治市文化財愛護協会によって建てられたものです。
「早蕨」の巻名は、父の八宮に続いて姉の大君も亡くなり、独りになった中君の元に、宇治山の阿闍梨から春の便りにと、籠に入れられた蕨や土筆が贈られてきます。
その温かい心に感動した中君が
この春は たれにか見せむ 亡き人の
かたみにつめる 峰の早蕨
と返歌した歌によります。
早蕨之古蹟は、江戸時代から明治にかけて様々な場所に移されましたが、奈良鉄道(現・JR奈良線)の工事に伴い、現在の場所に置かれたのではないかといわれています。現在の碑は昭和63年(1988年)に建てられました。
宇治上神社
早蕨之古蹟を見たあとは、宇治上神社を参拝しました。
宇治上神社の参道です。さわらびの道は、鳥居の前を左に折れさらに北へと続いています。
宇治上神社は、京都府宇治市宇治山田にある神社です。ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の構成資産の1つとして登録されています。
かつては平等院の守護神として崇められていた古社であり、現存する神社建築の中で日本最古の歴史を誇ります。
総角之古蹟
宇治上神社の参拝を終えて、鳥居の前の道を北へ進みます。
仏徳山(大吉山)ハイキングコース入り口付近に「総角之古蹟」と刻まれた碑が建っています。
「総角」の巻名は、薫が大君への想いを詠んだ
総角に 長き契りを むすびこめ
おなじところに よりもあはなむ
によります。
大君は妹の中君と薫の結婚を願いますが、薫は匂宮と中君を強引に結婚させてしまいます。しかし高貴な匂宮は外出が難しく、なかなか中君のもとへは通えませんでした。これを悲観した大君は心労のため病に臥し、薫の見守る中で息を引き取ります。
八の宮の山荘があったとされるのは平等院の向かいの岸、宇治上神社の北側、大吉山の登り口のこのあたりだったとされています。現在の碑は、昭和45年(1970)に建てられました。
与謝野晶子の「宇治十帖」の歌碑
さわらびの道をさらに北に進むと、与謝野晶子の「宇治十帖」の歌碑が見えて来ます。
横長の黒御影石の両面〈西面・東面〉に「宇治十帖」にちなんだ歌が、5首ずつ記されています。
与謝野晶子誕生百年を記念して、「みだれ髪の会」が建立し、宇治市に寄贈されたものです。
与謝野晶子は、大正13年(1924)、夫と共に宇治の地を訪れました。
少女の頃から古典文学に親しんだ晶子は、特に『源氏物語』の魅力に惹かれ、紫式部を終生の師と仰ぎ、『源氏物語』の現代語訳に取り組みました。
そして、大正2年(1913年)に、『新訳源氏物語』(上巻・中巻・下巻一・下巻二)を書き上げました。また、昭和13年(1938年)には、2度目の翻訳『新新訳源氏物語』六巻を発表しました。
さらに、54首の詠歌で再構成した『源氏物語礼讚』を発表しました。そこでは、歌人として、流麗典雅な筆跡を歌帖や歌巻にとどめました。
こちらの歌碑には、「宇治十帖」の十首が刻まれています。
橋姫
しめやかに 心の濡れぬ 川ぎりの
立舞ふ家は あはれぬるかな
椎が本
朝の月 涙の如し 真白けれ
御寺のかねの 水わたる時
総角
こころをば 火の思ひもて 焼かましと
願ひき身をば 煙にぞする
さわらび
さわらびの 歌を法師す 君に似ず
よき言葉をば 知らぬめでたさ
宿り木
あふけなく 大御女を いにしへの
人に似よとも 思ひけるかな
東屋
ありし世の 霧きて袖を 濡らしけり
わりなけれども 宇治近づけば
浮舟
何よりも 危きものと かねて見し
小舟の上に 自らをおく
蜻蛉
ひと時は 目に見しものを かげろふの
あるかなきかを しらぬはかなさ
手習
ほど近き 法の御山を たのみたる
女郎花かと 見ゆるなりけれ
夢の浮橋
明くれに 昔こひしき こゝろもて
生くる世もはた ゆめのうきはし
さわらびの道の万葉歌碑
与謝野晶子の歌碑のすぐ近くには、万葉歌碑も建っています。
そらみつ 倭の國
あおによし 奈良山越えて
山代の 管木の原 ちはやぶる
宇治の渡 滝つ屋の 阿後尼の原を
千歳に 闕くる事無く 萬歳に
あり通はむと 山科の 石田の杜の
すめ神に 幣帛取り向けて
われは越え行く 相坂を
万葉集 巻13-3236 作者未詳
(現代語訳)
大和の国の奈良山を越え、山城の国の管木の原、宇治川の渡し場、滝つ屋の阿後尼の原と続く道を、いつまでも欠かさず、永久に通いたいと、山科の石田の神社の神に幣帛を手向けて祈り、私は越えて行く、相坂山(逢坂山)を。
「そらみつ」は倭にかかる枕詞で、『日本書紀』の神武紀で「大空から見て、よい国だと選び定めた日本の国」という意味だとされています。
奈良のみやこ(平城京)から、奈良山を越えて宇治を通り、山科を経て、逢坂山を越えて、近江へと。古来より、宇治は「交通の要衝」であったことがわかる歌です。
古蹟を辿り、歌碑を見ながら歩く「さわらびの道」の石畳の道は、「源氏物語ミュージアム」まで続いています。
真夏のこの日は、青紅葉がキラキラと綺麗でした。秋は紅葉が見事です。
早蕨之古蹟(さわらびの道)へのアクセス
京都府宇治市宇治山田
駐車場はありません。
平等院南門前の民営「宇治駐車場」に駐車して、周辺を散策しました。
こちらの記事では、「宇治十帖のモニュメント」と「夢浮橋ひろば」を、宇治川沿いの風景と共にご紹介しています。
最後までお読み頂きありがとうございます。