光る君へ聖地巡礼『源氏物語』をしのぶ「宇治十帖」ゆかりの地を巡る(京都府宇治市)

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NHK大河ドラマ「光る君へ」の放送を心待ちにしているみくるみくるです。

2024年11月3日に放送された第42回「川辺の誓い」では、病に倒れた藤原道長をまひろ(紫式部)が見舞う場面が描かれました。

道長がいたのは、宇治の別荘「宇治殿」と思われます。「鳳凰堂」で世界に広く知られている平等院は、道長も息子の頼道が、父から受け継いだ宇治殿の地に創建した寺院です。

川辺で道長に、「俺より先に死んではならぬ」と言われたまひろは、書き終えたと言っていた「源氏の物語」の続きを書き始めます。「宇治十帖」の始まりです。

「光る君へ」場面写真(川辺を歩くまひろと道長)
「光る君へ」公式X

光源氏が亡くなったあとの『源氏物語』は、その多くが宇治を舞台に描かれていることから「宇治十帖」と呼ばれています。

今回は、京都府宇治市にある紫式部ゆかりの地「宇治十帖のモニュメント」と「夢浮橋ひろば」を、宇治川沿いの風景と共にご紹介します。

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紫式部ゆかりの地「宇治」

宇治公園

平等院で『源氏物語』の世界に浸り、藤原摂関時代をしのんだあとは、宇治川へと向かいました。

宇治川

日本最大の湖「琵琶湖」を源とする淀川は、その上流部では瀬田川、中流部では宇治川と呼ばれ、京都府・大阪府境界付近で桂川、木津川と合流した後は淀川となり、大阪湾に注ぐ一級河川です。

宇治川は淀川の通称であり、天ヶ瀬ダム上流部から桂川・木津川合流部付近までを宇治川といいます。

平等院表参道から続く橘橋を渡り、中州となっている「宇治公園」へ。

宇治川に架かる朝霧橋と中州の宇治公園

宇治公園は、宇治川の中州に浮かぶ塔の島・橘島(中の島地区)と、宇治川の左岸にあるよりみち公園からなります。宇治川の川岸と塔の島、橘島はそれぞれ喜撰橋、橘橋、朝霧橋、中島橋で結ばれていて、回遊できるようになっています。

宇治公園について
宇治公園(風致公園)/京都府ホームページ

右岸(北側)に渡る朱色の朝霧橋は、宇治神社の鳥居へと続いています。

宇治観光案内図
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宇治十帖のモニュメント

橘島から朝霧橋を渡ると、橋のたもとに「宇治十帖のモニュメント」が建っています。

宇治十帖のモニュメント

「浮舟」の帖に出てくる小舟に乗った匂の宮浮舟の像です。後ろの屏風には「橋姫」で、大君中君姉妹を垣間見している場面がレリーフで描かれています。

匂の宮と浮舟が小舟で向かった先は「橘島」でした。なので、中州にある島は「橘島」となったのですね。

モニュメントの傍らには「ヒカルゲンジ(光源氏)」という名前の椿が植えられています。

椿「ヒカルゲンジ」

宇治上神社

朝霧橋を渡った先の道は「宇治上神社うじがみじんじゃ」の鳥居へと続いています。

宇治上神社の鳥居と参道(さわらびの道)

宇治上神社は、かつては平等院の守護神として崇められていた古社であり、現存する神社建築の中で日本最古の歴史を誇ります。

ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の構成資産の1つとして登録されています。

さわらびの道

さわらびの道(早蕨の道)は、宇治上神社を経て、源氏物語ミュージアムに至る石畳の散歩道です。

さわらびの道

「宇治十帖」の「早蕨さわらび」の帖ゆかりの早蕨之古蹟さわらびのこせきに由来しています。

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宇治橋

宇治川の左岸(北側)を宇治橋まで歩きました。

宇治川に架かる宇治橋

宇治橋は、1300年以上前の大化2年(646年)に初めて架けられたと伝えられる、わが国最古級の橋です。現在の橋は平成8年3月に架け替えられたものです。

宇治橋の説明板

その長い歴史のなかで、洪水や地震などの被害はもちろん、戦乱に巻き込まれたことも数えきれません。しかし、橋はそのつど架けなおされてきました。ここ宇治が、交通上重要な場所であり続けたことのわらわれでしょう。

また、この橋は、古今和歌集や源氏物語をはじめとする文学作品、絵画や工芸品といった美術品に描かれるなど、古くからの景勝の地・宇治の象徴として親しまれてきました。

宇治橋の説明板

現在の橋は平成8年3月に架け替えられたもので、木製の高欄に擬宝珠があしらわれています。

宇治橋

宇治橋から見る橘橋と朝霧橋と宇治公園です。橘橋は宇治神社の参道に続いています。

宇治橋から見る橘橋と朝霧橋
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夢浮橋ひろば

宇治橋のたもと(宇治川の右岸側)は、「夢浮橋ゆめのうきはしひろばひろば」になっていて、「紫式部像」と「夢浮橋之古蹟の石碑」が建っています。

宇治橋ひろばの「紫式部像」と「夢浮橋之古蹟の石碑」

宇治橋のぞむ松の木の下に紫式部像があります。

紫式部像の説明板

「宇治十帖」の最初の帖は「橋姫」です。

橋姫とは宇治橋を守っている神様の名前。現在は宇治橋のすぐ近く、あがた通りに面して祠が立っていますが、かつては橋の「三の間(中ほどに張り出した部分)」に祀られていたとも伝えられています。

光源氏の息子の薫が宇治にひっそりと暮らす大君に送った歌

橋姫の 心をくみて 高瀬さす
棹のしづく 袖ぞぬれぬる

(現代語訳)
宇治の橋姫のような寂しい心を察して、浅瀬にさす舟の棹のしずくに袖を濡らすように、私も涙で袖を濡らしています。

この歌から「橋姫」と付けられました。

夢浮橋ひろばの瀬詰版

夢浮橋ひろば

源氏物語と宇治
『源氏物語』は11世紀初めころ作られた長編小説です。作者は藤原彰子に仕えていた女房紫式部であると伝えられています。

物語は全部で五十四帖(巻)からなります。このうち最後の十帖は、光源氏の息子薫や孫の匂宮と宇治に住む三姉妹との実らぬ恋の物語で、特に「宇治十帖」と呼びます。

「橋姫」ではじまり、「夢浮橋」でおわる「宇治十帖」には、朝霧にけむる宇治川の流れが不可欠でした。

『源氏物語』は実話ではありませんが、いつの頃からか、物語の舞台はここであってほしいという人々の思いによって、宇治川周辺に宇治十帖の古蹟が作られました。いま古蹟を訪ねることで、遠く王朝文学の世界をしのぶことができます。

夢浮橋ひろばの説明板

大好きな源氏物語の舞台となった場所を訪れ、悲しい恋物語を忍ぶのは素敵な時間でした。

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夢浮橋ひろばへのアクセス

京都府宇治市宇治蓮華

駐車場はありません。
平等院南門前の民営「宇治駐車場」に駐車して、周辺を散策しました。

JR宇治駅からは徒歩5分ほどです。

こちらの記事では、平等院をご紹介しています。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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