光る君へ聖地巡礼【平等院】藤原道長の別荘「宇治殿」の地で藤原摂関時代をしのぶ

※当サイトではアフィリエイト広告を利用しています。

NHK大河ドラマ「光る君へ」の放送を毎週楽しみにしているみくるです。

藤原道長は、宇治の地に「宇治殿うじどの」と呼ばれる広大な別荘を持っていました。今回は、藤原道長の息子の頼通が、父から受け継いだ宇治殿の地に創建した寺院「平等院びょうどういん」をご紹介します。

平等院鳳凰堂

鳳凰堂ほうおうどう」で世界に広く知られている平等院は、1994年(平成6年)に登録されたユネスコ世界遺産「古都京都の文化財」の構成物件の一つです。

スポンサーリンク

平等院

平等院の創建

『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台である宇治の地は、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていました。

現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルの一人といわれる嵯峨天皇の皇子・源融みなもとのとおるが営んだ別荘だったものが、陽成天皇、次いで宇多天皇に渡り、朱雀天皇の離宮「宇治院」となり、それが宇多天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998年)、藤原道長の別荘「宇治殿」となったものです。

道長が万寿4年(1027年)に没した後、長男の関白・藤原頼通が永承7年(1052年)に「宇治殿」を寺院に改め創建したのが「平等院」です。

「光る君へ」では、渡邊圭祐さんが藤原頼道を演じられています。

「光る君へ」公式X

藤原頼道(992-1074)平安中期~後期の公卿・歌人。摂政・藤原道長の長男。15歳で従三位、寛仁1年(1017年)26歳で内大臣、さらに父の地位を継いで、後一条、後朱雀、後冷泉3代の天皇の摂政・関白として藤原氏の摂関政治の全盛期を維持。

しかし、天皇の后にした娘が男子に恵まれず、戦乱も相次ぐなど、朝廷の内外から権力体制を揺さぶられる状況に苦しめられる。晩年、治暦4年(1068年)には外戚関係のない後三条天皇が即位した事もあり、摂関家の権勢は衰退し宇治に隠退。延久4年(1072年)出家。延久6年(1074年)83歳没。

平等院鳳凰堂の建立

永承8年(1053年)、末法思想浄土信仰の広がりから、阿弥陀如来坐像を安置した阿弥陀堂が建立されました。

平等院鳳凰堂
平等院鳳凰堂

末法思想 釈尊の入滅から2000年目以降は仏法が廃れるという思想です。天災・人災が続いた為、人々の不安は一層深まり、終末論的思想として捉えられるようになり、この不安から逃れるための厭世的思想として捉えられるようになり、仏教も現世での救済から来世での救済に変わっていきました。

平等院が創建された永承7年(1052年)は、当時の思想ではまさに「末法」の元年に当たり、当時の貴族は極楽往生を願い、西方極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来を本尊とする仏堂を盛んに造営しました。

平安時代後期は、天災人災が続き人々の不安や危機感が深まり、貴族や僧侶をはじめとして社会の各層まで末法思想が流行し、来世の極楽往生を願う浄土教が盛んになりました。

12世紀頃の平等院には、鳳凰堂以外にも、本堂に大日如来が安置され、不動堂、五大堂、愛染堂、多宝塔など、密教系の仏像を安置する堂塔が建ち並んでいました。

平等院の境内が現在のような景観になったのは、南北朝時代の争乱以降、鳳凰堂(阿弥陀堂)のみが焼け残ったことによるものです。

スポンサーリンク

平等院鳳凰堂の由来

阿弥陀堂は、翼を広げた鳥の姿に見えること、屋根に一対の鳳凰ほうおうが据えられていることから、のちの時代に「鳳凰堂ほうおうどう」と呼ばれるようになりました。

平等院鳳凰堂の屋根の鳳凰

堂内須弥壇の格狭間に嵌め込まれた金銅板の延宝8年(1680年)の刻銘に「平等院鳳凰堂」とあることから、江戸時代初期までに、「鳳凰堂」の名が生まれていたことがわかります。

平等院の「平等」は、仏の救済が平等ということを意味します。

平等院の見どころ

平等院鳳凰堂(国宝)

鳳凰堂は、平安時代後期、天喜元年(1053年)に、時の関白・藤原頼道によって建立された阿弥陀堂です。華やかな藤原摂関時代をしのぶことのできるほぼ唯一の遺構として、非常に貴重な建築です。

平等院鳳凰堂

阿字池の中島に建てられ、あたかも極楽の宝池に浮かぶ宮殿のように、その美しい姿を水面に映しています。

平等院鳳凰堂と阿字池

堂内の中央には金色の丈六阿弥陀如来坐像が端坐し、周囲の壁および扉には九品来迎図くほんらいこうず、阿弥陀仏の背後には極楽浄土図が描かれています。

『続本朝往生伝』という平安時代の本に「極楽いぶかしくば宇治の御寺をうやまえ」という記述があります。当時の人々は鳳凰堂を地上に出現した極楽浄土と捉えていたのです。

平等院庭園(国の史跡・名勝)

平等院庭園は、平安時代を代表する浄土庭園の様式です。鳳凰堂やそれを取り囲む阿字池あじいけ、また宇治川や対岸の山々が一帯となり形成され、当時の貴族たちが希求した極楽浄土の光景を再現しています。

阿字池は、道長の別荘であったころの庭池を受け継いだものといわれています。

平等院鳳凰堂と庭園

1990年(平成2年)からの発掘調査により平安時代築造の州浜が検出され、現在は創建当初の姿に復元整備されています。

鳳凰堂への入堂も池の北岸から2つの小橋を渡る当初の形式に復されています。

平等院鳳凰堂


かねてより願っていた平等院への参拝が叶い、極楽浄土の宮殿をモデルにしたという鳳凰堂の素晴らしい佇まいに感動しました。

内部拝観もさせて頂きました。そこは阿弥陀如来さまに見守られながら、雲中供養菩薩さまに誘われ極楽浄土に行くことを夢想できる美しい世界でした。

内部拝観は別途申込が必要です(300円)

スポンサーリンク

平等院表門(北門)

平等院の入口は表門(北門)と南門の2箇所にあります。

表門(北門)は平等院の正門です。江戸時代初期に伏見城に建てられ、その後、塔頭・浄土院に移され、1957年(昭和32年)に平等院の表門(正門・北門)として更に移されたと言われています。切妻造の本瓦葺です。

平等院表門(北門)

平等院旧南門(安土桃山時代)

平等院旧南門は、伏見桃山城からの移築とされ、古式武家門の姿をよく残しています。

平等院旧南門

平成22年に行われた古典技法による再塗装工事の際、主要部材の殆どが希少な赤樫の巨木であることが判明しました。赤樫は固く火に強いことから、戦国時代の城門などに使用されたことが記録に残りますが、ねじれが起きやすい樫による建造物は、これまでに日本で確認されたことがありません。

平等院旧南門の説明板

城造りの天才として知られる秀吉による城門「薬医門」の現存する最古の建築として注目されます。

平等院ミュージアム鳳翔館

鳳翔館ほうしょうかんは、宗教法人としては初の総合博物館です。旧宝物館の老朽化に伴い、先端的設備などの導入による収蔵環境の改善を施した第3世代ミュージアムとして、平成13年(2001年)に開館しました。

平等院ミュージアム鳳翔館のエントランス

主な収蔵展示品

【国宝】梵鐘、雲中供養菩薩像、鳳凰一対
【重要文化財】十一面観音菩薩立像
【宇治市指定文化財】帝釈天像、地蔵菩薩像

平等院鳳翔館のパンフレット

鳳凰堂の内部の彩色を再現した展示室は、大変美しく、まるで極楽浄土を見ているかのようでした。

スポンサーリンク

浄土院

浄土院は平等院の塔頭たっちゅうです。浄土宗の栄久えいく上人が平等院の修復のために明応年間(1492年 – 1501年)に開創したと伝わります。

平等院の塔頭「浄土院」

『都名所図絵』には「平等院奥院」「浄閣」などと示され、江戸時代には養林庵や知学庵など浄土院の子院が鳳凰堂西南を中心に多数存しました。

平等院の塔頭「浄土院」の説明板
浄土院養林庵書院(重要文化財)

養林庵書院は、慶長6年(1601年)に、伏見城から移築したと伝えられます。

浄土院養林庵書院

床の間には「雪景山水図」、襖には「まがきに梅図」、天袋には「花卉かき図」が描かれています。作者はその作風から狩野山雪とみられています。非公開です。

浄土院養林庵書院の説明板
浄土院羅漢堂(宇治市指定文化財)

茶師・星野道斎とその息子たちにより寛永17年(1640年)に建立されました。

浄土院羅漢堂

主要部材が建立当時そのままに保存され、鏡天井に描かれた龍は彩色良く保存されています。

浄土院羅漢堂の説明板
通圓政久の墓

平等院で自刃した源頼政の家臣であった古川右内(通圓政久)の墓です。

現在も宇治橋の東詰めにある茶屋「通圓つうえん」は、古川右内が、隠居後に通圓政久と名乗り、1160年(平治2年)に宇治橋東詰めに庵を結んだのが始まりです。

最勝院

平等院塔頭2ヶ寺の1つで天台宗系の単立寺院です。承応3年(1654年)に京都東洞院六角勝仙院(住心院)の僧が平等院に移り、その住庵を最勝院と呼んだことに始まります。

源頼政公の墓 宝篋印塔

治承4年(1180年)4月、源頼政は後白河天皇の皇子・以仁王もちひとおうから打倒平家の令旨をうけ、5月挙兵しましたが、平知盛の平家軍2万に破れ、平等院で辞世の和歌を詠んで自刃しました。

源頼政公の墓
宝篋印塔

埋もれ木の 花咲くこともなかりしに
身のなる果てぞ 悲しかりかりける

源頼政公の墓 宝篋印塔の説明板

平等院御集印(御朱印)

平等印では、拝観の証明として印を紡いでいく、という意味で、「朱印」ではなく「集印」が古くから使われています。「鳳凰堂」と「阿弥陀如来」の2種類があります。

平等院御集印の説明板

鳳凰堂の御集印は、鳳凰の朱印が素敵です。

平等院御集印「鳳凰堂」

鳳凰堂内に安置されている御本尊「阿弥陀如来」さまの御朱印です。中央に押されている朱印は阿弥陀如来さまを表す梵字です。

平等院御集印「阿弥陀如来」

御集印は、集印所で頂けます。集印料は300円です。

スポンサーリンク

平等院へのアクセス

京都府宇治市治蓮華116

お車の場合

平等院の専用駐車場はありません。近隣に複数あるコインパーキングや、平等院南門前の民営「宇治駐車場」をご利用下さい。

宇治駐車場は、平等院に最も近い駐車場で大型観光バスから単車まで駐車可能です。料金は、普通車800円(税込)です。

宇治駐車場から見た平等院南門
宇治駐車場から見た平等院南門

宇治駐車場に駐車して、近隣の散策も行いました。

公共交通をご利用の場合

京都駅からJR奈良線「宇治」下車
三条京阪から京阪本線「中書島」→京阪宇治線「宇治」下車

拝観料

入園+鳳翔館 (平等院ミュージアム) 一般600円 中高生400円 小学生300円
鳳凰堂内部拝観 一人300円

拝観時間

庭園8:30~17:30(受付終了17:15)
平等院ミュージアム鳳翔館9:00~17:00(受付終了16:45)
鳳凰堂内部 受付時間9:10~16:10拝観9:30~ 以後20分毎に1回50名

鳳凰堂の内部拝観は、別途の拝観料を支払って受付をする必要があります。また受付したらすぐ入れるのではなく、1時間ごとに計3回・20名ずつの入替制になっていて、混雑時は1時間以上の待ち時間が発生します

まず、内部拝観の受付を済ましてから、境内を巡られることをおすすめします。鳳凰堂の内部拝観は15分程度です。その間、ガイドの方が丁寧に説明をして下さいます。

平等院周辺の紫式部ゆかりの地

こちらの記事では、「宇治十帖のモニュメント」と「夢浮橋ひろば」を、宇治川沿いの風景と共にご紹介しています。平等院から歩いて巡れます。

藤原道長も参詣した「金峯山寺」

こちらの記事では、「光る君へ」で、藤原道長が参詣する様子が描かれた金峯山寺きんぷせんじをご紹介しています。奈良県吉野郡吉野町吉野山にある金峯山修験本宗(修験道)の総本山の寺院です。世界遺産に登録されています。

最後までお読み頂きありがとうございます。

スポンサーリンク