物部氏の巨大古墳か? 日本最大級の前方後方墳「西山古墳」の謎に迫る(奈良県天理市)

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古墳を見て歩きながら、古代に想いを馳せるのが好きなみくるです。

奈良盆地の東縁に位置する天理市。この地は、ヤマト王権の形成期を物語る古墳が数多く点在する、まさに“古墳の宝庫”とも言えるエリアです。

天理市の古墳分布図

前回は、そんな天理市の古墳群の中でも特に重要な意味をもつ杣之内古墳群の全体の構成や注目すべき古墳を紹介しました。

杣之内古墳群は、ヤマト王権の成立期に築かれた有力豪族の墳墓群として知られています。古墳時代前期の政治や社会のあり方を今に伝える、歴史的にも価値の高い一帯です。

今回は、その中でもとくに注目される「西山古墳」に焦点を当ててみます。
この古墳は、日本最大級の前方後方墳であるだけでなく、築造のかたちにも独特の工夫が見られ、古墳時代の変化を物語る重要な手がかりとなっています。

古墳に興味のある方はもちろん、古代の政治や文化に関心のある方にも、ぜひ知っていただきたい古墳のひとつです。

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日本最大級の前方後方墳が語るヤマト王権の記憶

西山古墳の基本データと立地

西山古墳(にしやまこふん)は、奈良県天理市杣之内町に位置し、全長約190メートルという規模を誇る、日本最大級の前方後方墳です。

西山古墳の航空写真
西山古墳の航空写真(天理市公式サイト)


その地理的位置は、東に布留川、西に山の辺の道が通る交通の要所であり、ヤマト王権が勢力を拡大していくうえで戦略的にも重要な地域に築かれました。

西山古墳の現地案内板
全長190mの規模を誇る西山古墳(西山古墳の説明板より)

墳丘は三段築成で、下段が前方後方形中段および上段が前方後円形という、他に例を見ない特殊な墳形をしています

西山古墳(上段が円形になった後方部)
上段が円形になった後方部

古墳の周りには30~45m幅の濠が巡り、現在でも西と南西部は池となって残っています。

西山古墳の前方部を南側から望む
西山古墳の前方部を南側から望む

墳丘の斜面には円礫があり、築造時は墳丘を円礫で覆っていたようです。

埋葬施設は盗掘を受けていて、墳頂部には芝山産の板石が散乱していたそうです。2012年、地中レーダ探査と電気比抵抗探査が行われ、後方部の中央で幅4.5m、長さ12m程の竪穴式石室とみられる反応がでています。

西山古墳の前方部と案内板
西山古墳の前方部と案内板

西山古墳は昭和2年4月8日に国史跡に指定されました。

西山古墳の国史跡の石碑

平成30年2月13日には西乗鞍古墳が国史跡に追加指定され、あわせて「史跡杣之内古墳群 西山古墳 西乗鞍古墳」に指定されました。

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西山古墳の被葬者像とヤマト王権

西山古墳の築造時期は、古墳時代前期後半(4世紀後半)と推定されていて、同古墳が属する杣之内古墳群の中でも最も古い時期に造られた古墳です。これはヤマト王権が勢力を中央に集中しつつある過渡期にあたります。

西山古墳の後方部を南側から望む
西山古墳の後方部を南側から望む。全長190mと巨大なため収まりきらない。

墳形の規模や築造技術、さらには周濠の配置などから、王権に極めて近い立場の人物が埋葬されたと考えられています。
一説には、物部氏やその前身とされる豪族が関わった可能性もあり、周辺の石上神宮との関連も注目されています。

被葬者の明確な名前は不明ながら、その存在はヤマト政権の構造を読み解くうえで欠かせません

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前方後円墳への移行期を示す墳丘の構造

西山古墳の墳丘は、上から見ると円形を後方部に持つ前方後円墳の形をしており、最も下の段が前方後方墳であるという、極めてユニークな構造をしています。この「前方後方墳の上に前方後円墳が乗っている」とも言える構造は、前方後方墳から前方後円墳へと移り変わる過渡期的な形態を示すものと考えられています。

前方部と後方部をつなぐなだらかな部分
前方部と後方部をつなぐなだらかな部分

これは、被葬者の権威の源が、かつての伝統的な埋葬スタイル(前方後方墳)と、新興のヤマト王権の象徴(前方後円墳)の間にあったことを物語っているのかもしれません。この古墳は、古代の埋葬儀礼がダイナミックに変化していく様子を、そのまま形として私たちに伝えてくれているのです。

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墳丘を彩る埴輪と副葬品

西山古墳からは、銅鏡、鉄剣、鉄刀、金環、勾玉、土器などに加え、明治時代の開墾で、碧玉製鏃、碧玉製車輪石、管玉、鉄刀などが出土したと伝えられています。

埴輪は円筒、鰭付円筒・朝顔型・家形などが墳丘や周辺で見つかっています。

西山古墳の現地案内板

現地の案内板より引用します。

遺物

昭和62年(1987年)に、埋蔵文化財天理教調査団が西山古墳北側に隣接する塚穴山古墳を発掘調査したところ、塚穴山古墳南東部の下層から西山古墳の外堤が確認され、3基の埋葬施設が見つかりました。そのうちの一つである埴輪棺墓に使用された埴輪棺7個体は、これまでに西山古墳で採集されていた埴輪と類似しており、もともと西山古墳に樹立されていたものと考えられています。

残念ながら、墳丘が戦時中に破壊されたため、副葬品の詳細は不明な点が多いですが、

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まとめ:西山古墳が語るもの

西山古墳は、その巨大な前方後方墳という形式と、王権に近い人物の埋葬を物語る造りによって、古墳時代前期のヤマト政権の実像に迫る重要な遺構です。

「円墳・方墳・前方後円墳」という主流の変遷に対して、あえて選ばれた前方後方墳の存在は、古墳文化の多様性と地域性、そして政権内部の変化の兆しを今に伝えています。

古代史ファンにとって、西山古墳はその地に立つだけで、4世紀の息吹を感じさせる特別な場所といえるでしょう。

西山古墳へのアクセス

奈良県天理市杣之内町827

天理市役所に沿う国道25号線を南へ向かい、約100m先の三叉路を左(東側)へ曲がり、進みます。二つ目の信号を右(南側)へ曲がり、天理高校を過ぎると前方に大きな西山古墳の墳丘が見えてきます。

冬に行われる下草刈りのおかげで墳丘上には木がほとんど無く、春先まで墳丘へ登ることができるそうです。

西山古墳の墳頂の様子
西山古墳 | 天理観光ガイド・天理市観光協会

今回ご紹介した写真は、2024年3月に撮影しました
草木は刈られていましたが、足元が不安なため、登るのは断念しました。
登られる際は、長靴などをご用意された方が良さそうです。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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