景色を楽しみながら歌碑を訪ね歩き、いにしえの歌人の思いに触れるのが好きなみくるです。
私が住む奈良県の広報誌「県民だより奈良」に、毎月楽しみにしているコーナーがあります。「はじめての万葉集」です。
2025年6月号では、当サイトでもご紹介している「石上の杉」を詠んだ歌が掲載されていましたので、ご紹介させていただきます。

日本に現存する最古の和歌集『万葉集』
はじめての万葉集
奈良県の広報誌「県民だより奈良」で連載されている「はじめての万葉集」は、その名の通り、『万葉集』について分かりやすく紹介するコーナーです。
日本に現存する最古の和歌集である『万葉集』には、約4500首の歌があります。その中で、少なくとも150種類以上の植物の名前が、約2000首もの歌に詠まれています。
「はじめての万葉集」では、植物が詠まれた奈良県にゆかりの深い歌が紹介されています。
連載は、2025年6月で134回目となりました。奈良県の公式サイトで「はじめての万葉集」のバックナンバーを閲覧できます。
こちらの記事では、『万葉集』の成り立ちと特徴を、写真と歌を交えながら分かりやすくご紹介しています。
『万葉集』を読むと、1300年前の人たちも、私たちと同じようなことで思い悩み、人生に迷いながらも精いっぱい生きていたのだと感じます。
石上の杉を詠んだ挽歌
2025年6月号の「はじめての万葉集」に掲載されている歌は、「石上の杉」を詠んだ挽歌です。
(題詞)
石田王の卒りし時に、丹生王の作れる歌一首 并て短歌
(原文)
石上 振乃山有 杉村乃
思過倍吉 君尓有名國
(読み下し)
石上 布留の山なる 杉群の
思ひ過ぐべき 君にあらなくに
万葉集 巻3-422 丹生王
(現代語訳)
石上の布留の山にある杉群のように忘れ過ぎてしまうわが君ではないのに(どうしてあなたを忘れてしまえるでしょうか、いや、忘れられないのです)。
石田王(いはたのおほきみ)が亡くなった時に、丹生王(にふのおほきみ)の詠んだ挽歌(人の死を悼む歌)で、巻3-420番の長歌に付けられた二首の反歌のうちのひとつです。
『万葉集』では、一つのテーマについて長歌を詠み、その歌の補足や要約、あるいは別の視点から詠んだ短歌をいくつか添える形式がよく見られます。
石上(いそのかみ) 布留(ふる)の山なる:現在の奈良県天理市、石上神宮の裏手にある布留山(ふるのやま)のことです。
杉群(すぎむら)の:布留山に生い茂る杉の木々のことです。
思ひ過ぐべき:「思って通り過ぎてしまう(=忘れてしまう)」という意味合いです。
君にあらなくに:「あなたではないのに」「あなたであるはずがないのに」という否定の表現です。
この歌は、亡くなった石田王への深い悲しみと、決して忘れることのできない切ない思いを表現しています。
「過ぎる」(時が経つ、忘れる)と「杉」を掛けて、思ひ過ぐべき君にあらなくに」という否定の形をとることで、故人への強い執着と、忘れられない苦悩がより強調されています。あなたを決して忘れることはできない、という強い決意と、その思いが故の切なさが伝わってくる歌です。
今回ご紹介した歌が掲載されている「はじめての万葉集」(2025年5月号)は、こちから閲覧できます。
布留の神杉を詠んだ歌
丹生王の歌に「杉群」とあるように、石上には杉林があります。その中でも、神杉と称される神聖な杉があり、『万葉集』の中でも詠まれています。
(読み下し)
石上 布留の神杉
神びにし
我やさらさら 恋にあひにける
巻10-1927 作者不詳
(現代語訳)
石上の布留の社の神杉ほど神々しくはありませんが、年老いた私がいまさらながら恋したことです。
石上神宮には、現在も樹齢300年を越える杉が数本あり、神杉と呼ばれています。

杉の神性について、「直(す)ぐ木」から名付けられたとの説もあるように、直立した巨大な常緑高木の姿、屋久島には樹齢数千年に及ぶものがあるほどの長命、また素材として建築など幅広い用途があることなどに、古代人は霊威を感じたのではないでしょうか。
こちらの記事では、石上神宮の外苑公園に建つ「布留の神杉を詠んだ歌碑」と、『柿本人麻呂歌集』からの歌をご紹介しています。
最後までお読み頂きありがとうございます。