箸墓古墳に先行する古墳(墳丘墓)【纏向勝山古墳】奈良県桜井市の纏向古墳群を巡る(その1)

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古墳を見て歩きながら、古代に想いを馳せるのが好きなみくるです。

今回は卑弥呼のお墓とも言われる奈良県桜井市の「箸墓古墳」と同じ「纏向遺跡」にある「纏向勝山古墳」をご紹介します。2006年1月に、纒向古墳群の一つとして国の史跡に指定されました。

纏向勝山古墳

ため池の堤から見る墳丘の美しい姿が楽しめました。

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纏向勝山古墳

纏向古墳群

纏向古墳群には最古の巨大前方後円墳とされる箸墓古墳と、それより古い5基の前方後円墳が点在します。うち2基は箸墓型前方後円墳、3基は纏向型前方後円墳です。。

纏向遺跡全景(航空写真)
桜井市立埋蔵文化財センター

箸墓型前方後円墳は、円丘部に先端部をばち型に開く、長三角形の前方部を持つ古墳です。

纏向型前方後円墳は、前方部が低く短く、墳丘全長と後円部・前方部それぞれの長さが3:2:1の比となることが特徴です。

纏向遺跡全景(復元イメージ)
橿原考古学研究所附属博物館

こちらの記事で、橿原考古学研究所附属博物館で開催されていた令和6年度 重要文化財指定記念 特別陳列「ホケノ山古墳―大和王権の成立へ―」の模様をご紹介しています。

こちらの展示で展示で纏向遺跡により興味が湧いたので、纏向古墳群を巡りたくなりました。

纏向勝山古墳

概要

纒向勝山古墳まきむくかつやまこふんは、奈良県桜井市の纒向古墳群に属する箸墓型前方後円墳です。被葬者は不明。

纏向勝山古墳(全景)

桜井市東田ひがいだ町字勝山に所在する、全長115m、後円部径67m、前方部が東面する前方後円墳です。

勝山古墳(墳丘墓)

勝山古墳(墳丘墓)の説明板

勝山古墳(墳丘墓)

3世紀に築造された考えられる大型墳墓で、前方後円形の墳丘は全長約115mを測ります。纏向石塚古墳と同様に、定型化した前方後円墳が出現する以前に築造された可能性が考えられています。埋葬施設の内容は不明ですが、墳丘の周囲をめぐる周濠状の遺構からは土器や木製品が多数出土しており、なかには建築部材やU字形木製品など特異なものも含まれていました。これらの遺物は、古墳出現時期における墳墓祭祀を知る上で重要な資料となっています。

勝山古墳(墳丘墓)の説明板

墳丘墓は、古墳時代より前に作られた大規模なお墓のことを言います。古墳時代の始まりをいつにするかは、議論が分かれています。

勝山古墳は定型化した前方後円墳が出現する以前に築造された可能性が考えられていることから、「古墳(墳丘墓)」と解説されています。

勝山古墳と周濠(ため池)

馬蹄型の周濠を持つ勝山古墳

本来は墳丘全体を巡る馬蹄形の周濠を持っていた事が判明しています。

勝山古墳の周濠(ため池)と纏向矢塚古墳

⇧向こうに見えるのは、同じく纏向古墳群に属する纏向矢塚古墳です。

従来は纒向型前方後円墳と見られていましたが、2009年3月ごろ前方部の南東隅が見つかり、全長は115mと確定しました。墳形も前方部が短い纒向型ではなく、周濠が墳丘全体を巡る馬蹄形と判りました。

勝山古墳の測量図

周濠のくびれ部から発見されたヒノキが、年輪年代法で西暦210年までのものとされますが、土器は3世紀前半(庄内2式)と3世紀後半(布留0式)が出土しており確定は出来ていません。

馬蹄形と纒向型の出現時期が同じだったのか、ずれていたのかの解明が今後の課題とされています。

葺石と埴輪はなく埋葬施設は未調査です。今後の調査で主体部の発掘が行われ、築造時期が確定されることを期待しています。

纏向勝山古墳へのアクセス

奈良県桜井市東田355-1

すぐ南側に「纏向勝山古墳駐車スペース」と表記されている駐車場があり、3台駐車可能でした。

纏向勝山古墳駐車スペース

こちらの記事では、同じく纏向古墳群に属するホケノ山古墳をご紹介しています。墳丘から箸墓古墳を望める古墳として人気です。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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