『万葉集』と『百人一首』が好きなみくるです。
『なぞりがき百人一首』をガラスペンとインクでなぞって、和歌の世界を楽しんでいます。
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『なぞりがき百人一首』は和歌の世界をなぞりがきで体感できる本です。
今回は、4番の山部赤人の歌をご紹介します。三十六歌仙の一人で、柿本人麻呂と並んで「歌聖」と称されました。
『なぞりがき百人一首』4番/山部赤人
田子の浦に 打出でてみれば 白妙の
『百人一首』4番の山部赤人の歌は、壮大な富士の景色を詠んだ歌です。
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田子の浦に 打出でてみれば
白妙の
富士の高嶺に 雪は降りつつ
4番/山部赤人
(現代語訳)
田子の浦に出て、近くて大きな富士を眺めたところ、その頂には真っ白な雪が次々と降りつづけていました(入江の海の青、富士の裾野の緑、そして山頂の雪の白さ。雄大で美しいなぁ)
(語義)
田子の浦…駿河国(現在の静岡県)の海岸
打出でて…(広い場所に)出て
白妙の…「白妙」はコウゾ類の木の皮の繊維で織った純白の布のこと。富士に掛かる枕詞
降りつつ…いままさに降りつつある、という継続の意
山部赤人(生没年不詳)奈良時代に活躍した歌人で後世「歌聖」と称された。聖武天皇(第45代天皇。在位724-749)の頃の宮廷歌人か。正式な歴史書にその名が見られないことから、下級官吏であったとみられる。三十六歌仙の一人。
奈良県橿原市所蔵の「百人一首絵馬」です。右から4番目が山部赤人。
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紀貫之は古今集の序で赤人を柿本人麻呂と並ぶ「歌聖」として讃えています。
素朴な『万葉集』と繊細な『新古今集』
幽玄を主題に置いた『新古今集』の中から採られた一首です。
最初に採られた『万葉集』では
田子の浦ゆ うち出でてみれば
真白にそ
富士の高嶺に 雪は降りける
万葉集 巻3-318 山部赤人
(現代語訳)
田子の浦を過ぎ、広い場所に出て眺めてみると、真白に、富士山の山頂に雪が降っていることよ。
となっています。
「白妙の」は布の白さに例えた表現ですが、『万葉集』の方は「真白にそ」となっていて、より直接的な言い方になっています。最後の「ける」も「降ってるなあ」というような、今初めて気が付いた感動を示す表現になっていて素朴な感じがします。
一方、『新古今集』に採られた方は、表現がずっと繊細で、「降りつつ」のように時間の流れが消えたような幻想的な情景となっています。
男ぶり、素朴さの『万葉集』と、都会的で幽玄、繊細な『新古今集』の違いが分かる一首です。
『万葉集』の歌風を「ますらおぶり」と言います。「益荒男振り」と書き、男性的でおおらかな歌風を言います。対して古今集以降の歌風を「たおやめぶり」と言います。「手弱女振り」と書き、女性的で優美な歌風を言います。
素朴でおおらかな感じがするので『万葉集』が好きなんだと思います。
山部赤人の歌と「文邉の不二」
「古典まめ知識」のコーナーでは、「和歌と浮世絵」について解説されています。
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葛飾北斎の「文邉の不二」です。
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「文邉の不二」は文学に現れた富士という意味でしょうか。山部赤人の田子の浦の歌を描いたものと言われています。左側に座る歌仙風の人物は、山部赤人を表現するものです。
蔦屋重三郎と葛飾北斎
2025年(令和7年)のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の主人公「蔦屋重三郎」は、江戸時代中期に大衆文学や浮世絵のベストセラーを数多く手がけた出版人でした。
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この時代を代表する浮世絵師・葛飾北斎の画才に目を付け、挿絵で大成するきっかけを作ったのは蔦屋重三郎でした。
二人が知り合ったのは、葛飾北斎がまだ「勝川春郎」という名前で活動していた若い頃です。北斎は10代後半から勝川派で修行を始め、美人画や役者絵の制作に取り組んでいました。
蔦屋はその才能を早くから見抜き、自身の出版事業に北斎を起用しました。蔦屋が手掛けた挿絵や版画に北斎の作品が使われたことで、北斎の名は徐々に広がりました。
葛飾北斎『百人一首うばが絵解』
葛飾北斎は『百人一首うばが絵解』というシリーズ絵を描いています。「百人一首」の歌の意味を、姥(乳母)が分かりやすく絵解きをするという趣旨のもとで制作されたものです。
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ちょうど「べらぼう」の視聴を通して、江戸時代の文学や浮世絵に興味を持ち始めた折に、葛飾北斎が[ 百人一首を浮世絵にしていたことを知り、さらに興味を持ちました。
こちらのサイトで『百人一首うばが絵解』の32種類の画像と、百人一首を合わせて紹介されています。
使用したなぞり書きの本
なぞりがき百人一首 ユーキャン学び出版(2020/10/23)
本の内容についてはこちらの記事で詳しくご紹介しています。
➡堂鳩でなぞる【なぞりがき百人一首】1番/天智天皇【万年筆のある毎日】
使用した万年筆インク
黒を愉しむ万年筆インク6色セットつき 万年筆のある毎日
今回は「オカピ」でなぞりました。暖かみのある綺麗な茶色のインクです。
こちらの記事で詳しくご紹介しています。
➡ガラスペン【黒を愉しむ万年筆インク6色セットつき 万年筆のある毎日】レビュー
ガラスペンで愉しむなぞり書き
なぞり書きに使っている万年筆インクとなぞり書きの本のまとめページを作っています。
最後までお読み頂きありがとうございます。