万葉集と百人一首が好きなみくるです。
『なぞりがき百人一首』をガラスペンとインクでなぞって、和歌の世界を楽しんでいます。
『なぞりがき百人一首』は和歌の世界をなぞりがきで体感できる本です。
ただ何となく「雅び~」と思っていた和歌の世界も、意味や時代背景を知ることで身近に感じ、グッとおもしろくなりました。
今回は、12番/僧正遍照をご紹介します。私が住む奈良県にゆかりの深い人物です。
なぞりがき百人一首
12番/僧正遍照
『百人一首』12番の僧正遍照の歌は、まだ出家する前に詠まれた歌です。
天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ
乙女の姿 しばしとどめむ
12番/僧正遍照
(現代語訳)
天に吹く風よ、雲の切れ目を閉ざしておくれ。天女のごとく美しき人を、いましばらく見ていたいので(舞姫は天女のごとく美しいなぁ)
(語義)
雲の通ひ路…雲の切れ目。天女が天地を行き来する通路と考えられていた。
乙女…天女のこと。本作では五節舞を舞う女性を天女に喩えている。
僧正遍照は、俗名を良岑宗貞といい、桓武天皇の皇孫で大納言安世の子供でした。
僧正遍照(816-890)平安前期の僧侶・歌人。俗名は良岑宗貞。桓武天皇の孫。仁明天皇(第54代天皇。在位833-850)蔵人頭を務めたが、天皇崩御を機に出家。円仁・円珍に師事、僧正にまでなる。三十六歌仙の一人にも数えられる。
天女たちの舞姿を描いた一首。「古今集」 の詞書に「五節の舞姫を見て詠める」とあります。
僧正遍昭は美男で人柄も良く、女性に人気があったそうです。
五節の舞と「光る君へ」
「五節の舞」とは陰暦11月中旬に行われる新嘗祭の翌日、「豊明節会」の宴の後に公家や国司の家から選ばれた未婚の美しい娘5人が踊る舞楽のことです。
NHK大河ドラマ「光る君へ」第4回「五節の舞姫」で、まひろが倫子からの依頼で、花山天皇の前で披露したのが「五節の舞」でした。
◆◇撮影現場の様子をお届け◇◆
— 大河ドラマ「光る君へ」(2024年) (@nhk_hikarukimie) June 8, 2023
京都市内でクランクインした「#光る君へ」。
その後、岩手県奥州市でロケを行いました!#紫式部(まひろ)が「五節の舞」に出席し、姫たちとともに舞を披露する場面など、若き日のまひろのシーンなどを撮影しました。#吉高由里子 pic.twitter.com/qOOSMnWCao
この撮影でクランクイン。吉高由里子さん、さぞ緊張されたでしょうね。ため息が出るほど美しいシーンでした。
「古典まめ知識」のコーナーに新嘗祭と五節舞の解説があります。
新嘗祭と五節舞
1年の恵みの感謝を神にささげる神事、新嘗祭(天皇即位の年は大嘗祭)。五節舞は、その祭りの後の饗宴(豊明節会)において、奈良時代より伝わる宮廷歌謡・大歌に合わせ、4~5人の舞姫によって舞われます。
舞の由来は天武天皇がまだ皇子の頃、天女が吉野の空に現れて、袖を5回振ったという故事にあるといいます。女性が舞うというのは、雅楽においては唯一この五節舞のみで、宮中では女性が男性に姿を見せることが少なかった平安時代、とくに注目された宮廷行事のひとつでした。
「光る君へ」第4回「五節の舞姫」の場面写真です。
美男子の僧正遍昭はどなたを見初めたのでしょう。宮仕では蔵人頭(天皇秘書官の最高位)にまで登り詰め、出家してからは僧正(僧官の最高位)にまでなった優秀な人でした。
「蔵人頭」といった官職名や、宮中行事など、和歌を鑑賞するのに役立つ知識を、「光る君へ」で得られました。
僧正遍照と奈良県天理市
僧正遍照は出家後、奈良県天理市にあった良因寺の僧となり、一時居を構えていました。
天理市の山の辺の道に僧正遍照の歌碑が建っています。
さとはあれて 人はふりにし やどなれや
庭もまがきも 秋ののらなる
『古今和歌集』巻第4 僧正遍照
また、良因寺があった地に建っている厳島神社の境内には、僧正遍照と小野小町が交わした歌が刻まれた歌碑が建っています。
僧正遍照と小野小町は恋仲にあったと言われています。
なぞり書きに使用したガラスペンとインク
「COCOUNITYガラスペンセット」から、風を感じるブルーのインクでなぞりました。
COCOUNITYガラスペンセット
使用したなぞり書きの本
なぞりがき百人一首 ユーキャン学び出版(2020/10/23)
本の内容についてはこちらの記事で詳しくご紹介しています。
➡堂鳩でなぞる【なぞりがき百人一首】1番/天智天皇
ガラスペンで愉しむなぞり書き
なぞり書きに使っている万年筆インクとなぞり書きの本のまとめページを作っています。
最後までお読み頂きありがとうございます。