【奈良県】富雄丸山古墳の棺内鏡がついに公開!橿原考古学研究所附属博物館で特別展示開催中

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古墳を見て歩きながら、古代に想いを馳せるのが好きなみくるです。

日本最大の円墳「富雄丸山古墳」。その姿を実際にこの目で見てきたばかりですが、今回、「奈良県立橿原考古学研究所附属博物館」その“核心”に迫る特別展示が始まりました。

特別公開 富雄丸山古墳 造出し埋葬施設 棺内鏡」です。

奈良県立橿原考古学研究所附属博物館「特別公開 富雄丸山古墳 造出し埋葬施設 棺内鏡」

古墳好きならずとも見逃せない、最新の発掘成果が公開されています。現地を歩いた記憶が新しい今こそ、この展示の意義がより深く感じられました。

この記事では、展示の模様をたっぷりとご紹介します。開催期間は、令和7年(2025年)8月1日(金)~8月17日(日)です

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奈良県立橿原考古学研究所附属博物館の特別展示

奈良県立橿原考古学研究所附属博物館の概要

奈良県立橿原考古学研究所附属博物館では、奈良県立橿原考古学研究所が1938年の創立以来行って来られた、発掘の出土資料を中心に展示が行われています。その展示数は約3700点にも及びます。

奈良県立橿原考古学研究所附属博物館

博物館の特色は、橿原考古学研究所の調査・研究報告と一体となっていて学芸活動として展示公開を行われていることです。展示は、発掘調査で出土した実物資料が中心で、常設展「大和の考古学」は日本考古学資料をもとに「目で見る日本の歴史」になっています。

奈良県立橿原考古学研究所附属博物館のエントランス

常設展のほか春秋2回の特別展、夏には発掘調査成果の速報展「大和を掘るが開催されます。映像ライブラリー、情報コーナー、休憩室など無料で利用できる施設もあります。

奈良県立橿原考古学研究所附属博物館については、こちらの記事で詳しくご紹介しています。

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特別公開 富雄丸山古墳 造出し埋葬施設 棺内鏡

「特別公開富雄丸山古墳 造出し埋葬施設 棺内鏡」の概要

日本最大の円墳である富雄丸山古墳(とみおまるやまこふん)では、昭和47年に橿原考古学研究所が、平成29年度から現在まで奈良市教育委員会が発掘調査を行っておられます。

令和4年度には木棺を被覆する粘土の中から、これまでに類例のない鼉龍文(だりゅうもん)盾形銅鏡蛇行剣(だこうけん)が出土し、話題となったことは、古代史ファンならずとも記憶に新しいことでしょう。

そして木棺の中からは、銅鏡(どうきょう)3面と竪櫛(たてぐし)が出土しました。

展示パネル「富雄丸山古墳(第7次調査)」

富雄丸山古墳の「造出し(つくりだし)埋葬施設」に納められていた木棺は、内部に立てられた2枚の仕切板によって棺内空間が3分割されていました。

  • 中央の主室…被葬者の遺体が納められていたと推定され、「竪櫛」が9点副葬されていたほか、水銀朱が散布されていた。
  • 北西の副室1…副葬品は未確認
  • 南東の副室2…長さ1.3メートルで、その南東端に立てられた小口板のすぐ横で「銅鏡3面」が出土。
    いずれも鏡面を上に向け、重ねた状態で副葬されていた。当埋葬施設は未盗掘であり、出土した副葬品はいずれも埋葬時の状態を保っていると考えられる。

今回の特別展では、応急的保存処置が終了した「棺内出土の銅鏡3面」が特別公開されています。
※蛇行剣・盾形銅鏡の展示はありません

未盗掘の埋葬施設が発見される例は少なく、古墳築造当時のままの様子が分かる貴重な例として、注目を集めています。

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「特別公開富雄丸山古墳 造出し埋葬施設 棺内鏡」の展示内容

前室のパネル展示で知る出土状況とクリーニング作業

特別展示室への入室に先立ち、エントランス前の「瑞山ホール」でのパネル展示で、「 造出し埋葬施設 棺内鏡」の発見直後の様子と、クリーニング作業について学びます。

「特別公開 富雄丸山古墳 棺内鏡」展示パネル(発見直後からクリーニングまで)

重なり合って発見された3面の銅鏡は、上から順に「1号鏡」「2号鏡」「3号鏡」と名付けられました。

「特別公開 富雄丸山古墳 棺内鏡」展示パネル(発見直後からクリーニングまで)

銅鏡の防錆と表面保護のためベンゾトリアゾールを混合したアクリル樹脂を塗布し、ひび割れの拡大を防ぐために和紙で養生します。作業は『富雄丸山古墳の令和5年度発掘調査に係る共同調査研究に関する協定書』に基づき、奈良県立橿原考古学研究所が実施されました。

富雄丸山古墳 銅鏡の出土状況
富雄丸山古墳 銅鏡出土状況(奈良市公式サイト)

2025年3月17日には、出土状況を維持したままで現地公開が実施されました。

「特別公開 富雄丸山古墳 棺内鏡」展示パネル(発見直後からクリーニングまで)

注意深く行わたクリーニング作業の様子を拝見して、実物の銅鏡との対面への期待が高まります。

「特別公開 富雄丸山古墳 棺内鏡」展示パネル(発見直後からクリーニングまで)

先に公開された「鼉龍文盾形銅鏡」の作業状況も展示されていました。

「特別公開 富雄丸山古墳 棺内鏡」展示パネル(「鼉龍文盾形銅鏡」の作業状況)

鏡の表面の付着物を記録しならが土を除去する作業を「屋内発掘作業」が行われ、美しい状態で私たちの前に姿を表してくれること知り、感銘を受けました。

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ついに対面!3面の棺内鏡(銅鏡)

特別展示室の様子

「瑞山ホール」の見学後、受付にて観覧料を支払って「特別展示室」に入室します。

観覧料

  • 大人400円(350円)
  • 学生(大・高校生)300円(250円)
  • 小人(中・小学生)200円(150円)

※( )は20名以上の団体料金
※特別開催期間中は、常設展の観覧にも特別展入館料が必要です。

「特別公開 富雄丸山古墳 棺内鏡」

注目を集めている富雄丸山古墳で発見された鏡が初公開されるということで、多くの方が観覧に来られていました。

「特別公開 富雄丸山古墳 棺内鏡」の展示の様子
1号鏡「三角縁神獣鏡」

三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)」は、直径21.6㎝、重量961gの銅鏡です。鈕孔(ちゅうこう)の形状は長方形。縁部の断面形は三角形。

「特別公開 富雄丸山古墳 棺内鏡」展示パネル 1号鏡「三角縁神獣鏡」

同笵鏡(どうはんきょう)(鏡背面の文様が同じ鏡)は、桜井茶臼山(さくらいちゃうすやま)古墳(奈良県桜井市)と佐味田宝塚(さみだたからづか)古墳(同河合町)出土の2面が知られますが、前者は小片のみ、後者も欠損があるため、全体が遺存する例は初確認です。

1号鏡「三角縁神獣鏡」

2体の神像とそれぞれの両隣に脇侍(わきじ)を加え、獣像3体が描かれています。鈕の周囲には土の重みによりひびが生じています。

1号鏡「三角縁神獣鏡」

三角縁神獣鏡は国内で約600面が知られますが、発掘調査による三角縁神獣鏡の発見は平成23年(2011年)の高坂古墳群(埼玉県東松山市)以来13年ぶりです。

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2号鏡「虺龍文鏡」

虺龍文鏡(きりゅうもんきょう)」は、直径19.1㎝、重量844gの銅鏡です。虺龍文鏡の直径は、通常は10㎝前後で、国内で知られている虺龍文鏡40面のうち最大となります。

「特別公開 富雄丸山古墳 棺内鏡」展示パネル 2号鏡「虺龍文鏡」

鈕孔の形状は半円形で、鈕座(ちゅうざ)には四葉文があります。内区には4つの乳があり、間に虺龍文(きりゅうもん)と呼ばれる逆S字形のモチーフを配し、うち2個からは龍の前半身、他の2個からは虎の前半身が飛び出しています。

2号鏡「虺龍文鏡」

外区に鋸歯文(きょしもん)が巡るのは類例の少ない特徴です。

2号鏡「虺龍文鏡」

縁部の一部が木棺底面に接しており、土の重みで細片が生じています。

3号鏡「画像鏡」

画像鏡(がぞうきょう)」は、直径19.6㎝、重量673gの銅鏡です。鈕孔の形状は半円形で、鈕座には連珠紋(れんじゅもん)があります。

「特別公開 富雄丸山古墳 棺内鏡」展示パネル 3号鏡「画像鏡」

内区には4つの乳があり、2体の神像(東王父西王母)のそれぞれに1体ずつ脇侍を配するほか、龍と虎を1体ずつ描く文様構成です。

3号鏡「画像鏡」

外区の連続三葉紋(さんようもん)は、画像鏡に見られる一般的な特徴です。

3号鏡「画像鏡」

3号鏡は一番下に置かれていたため、水銀朱が鏡背面に付着しているほか、木棺に押しつけられた結果、大きく2つの破片に分かれ、木棺底面に3号鏡の鈕と縁の痕跡がついていました。

三次元CG画像

文様がよく分かる三次元CG画像も展示されていました。

「特別公開 富雄丸山古墳 棺内鏡」展示パネル 三次元CG画像
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富雄丸山古墳の棺内鏡の概要

4世紀後半に築造された「富雄丸山古墳(とみおまるやまこふん)」は、直径109mの円丘部に造出しが付属する「造出し付き円墳」です。

富雄丸山古墳「現地案内板」
富雄丸山古墳 現地解説板

奈良市教育委員会が実施した発掘調査で、造出し上段中央に埋葬施設(粘土槨ねんどかく)が見つかりました。

富雄丸山古墳「造出し粘土槨の遺物出土状況」
造出し粘土槨の遺物出土状況(奈良市公式サイト)

内部には木棺が納められており、2枚の仕切り板で3分割された棺内空間のうち、南東側にある副室2の中に、銅鏡3面がいずれも鏡面を上に向け、上から1・2・3号鏡の順に重ねて副葬されていました。

富雄丸山古墳「銅鏡出土状況」
富雄丸山古墳 銅鏡出土状況(奈良市公式サイト)

富雄丸山古墳の棺内鏡の意義

棺内に副葬された3面はいずれも直径20㎝前後の大型鏡です。古墳時代前期には、有力者の実力や関係性に応じて倭王権が大小の銅鏡を配り分けたと考えられており、棺外の被覆粘土の中に副葬された鼉龍文盾形銅鏡(だりゅうもんけいどうきょう)と合わせて、大型鏡を多く副葬する当埋葬施設の被葬者が倭王権に重視された有力者であったことを示しています。

「特別公開 富雄丸山古墳 棺内鏡」展示パネル(棺内鏡の意義)

1号鏡は、3世紀中ごろ(魏の時代)、2号鏡は紀元前1世紀末~後1世紀前半(前漢~新の時代)、3号鏡は2世紀末~3世紀前半(後漢の時代)に中国で制作されたと考えられ、古墳が築造された時代を最大で400年ほど遡ります。

これは、銅鏡が長期にわたって流通し、保有されたことを示しており、古墳出土銅鏡がどのように扱われたのかを論じる上で需要な資料です。

銅鏡が中国で制作されたのち、どのような経緯で日本列島にもたらされ、富雄丸山古墳の被葬者が入手するにいたったのか、その経路が注目されます。

特別公開はいつまで?

今回ご紹介した「特別公開 富雄丸山古墳 造出し埋葬施設 棺内鏡」は、令和7年(2025年)8月1日(土)~8月17日(土)まで開催されています。

保存処理のための樹脂でコーティングしていない、ありのままの状態が見られる最初で最後の展示です。ぜひ、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館まで足をお運び下さいね。

奈良県立橿原考古学研究所附属博物館の利用案内とアクセス方法については、こちらでご紹介しています。

富雄丸山古墳とセットで見ると展示の深みが倍増!

もしまだ富雄丸山古墳をご覧になっていない方は、現地を先に訪れられることをおすすめしたいのですが、会期が短いので、私が富雄丸山古墳に行ってまとめた現地レポートをぜひ見て下さいね。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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