マップを見ながら古代の史跡をめぐるのが好きなみくるです。
今回は橿原市観光協会さんの観光パンフレット「橿原まちあるきまっぷ~古代の官道、横大路を歩く」に掲載されているスポットをご紹介します。
歴史浪漫あふれる古代の官道を歩いてタイムトリップ気分。
古代の官道、横大路を歩く~橿原市観光
「橿原まちあるきまっぷ」に従って、近鉄大和八木駅からスタートするルートでご紹介します。
近鉄大和八木駅
近鉄大和八木駅は奈良県橿原市内膳町にある近畿日本鉄道(近鉄)の駅です。橿原市の玄関口になっています。
駅構内にて大阪線が橿原線をオーバークロスする構造になっていて、1階に改札・コンコースおよび橿原線ホームが、2階に大阪線ホームがあります。改札口は1か所のみです。
大和八木駅の見どころは、1階の橿原線ホームと2階の大阪線ホームが立体交差になっている駅そのものです。また橿原線の新ノ口駅と連絡する新ノ口連絡線も見どころです。
橿原市と(株)カプコンは、包括連携協定を締結していて、近鉄大和八木駅周辺には「ストリートファイター」の銅像やデザインマンホールなどが設置されています。
橿原市役所分庁舎 ミグランス
橿原市役所分庁舎 ミグランスは、大和八木駅南側の橿原市役所分庁舎とホテルなどから構成される複合施設です。
橿原市役所分庁舎、カンデオホテルズ奈良橿原のほか、1階には観光振興支援室とレストラン、4階コンベンションルーム、10階展望フロアがあります。
愛称「ミグランス」は、県内一の高さのビルである複合施設から空高く舞う『トビ』をイメージし、市章にもなっているトビの学名『Milvus migrans(ミルヴス ミグランス)』から名付けられたものです。
「日本国はじまりの地 橿原」の象徴であり、新しい時代に羽ばたいていくとの意味が込められています。
こちらの記事では、橿原市と記紀と金色の鵄(トビ)との関りについてご紹介しています。
東玄関前にはストリートファイターの「春麗」の銅像が建っています。
こちらの記事では、橿原市とストリートファイターとの関りについてご紹介しています。
橿原市観光交流センター「かしはらナビプラザ」
かしはらナビプラザは、2011年4月29日にオープンした施設です。中南和エリアの豊かな歴史や文化、自然を体感していただけるよう、さまざまな観光情報を発信されています。
育て支援、各種相談、男女共同参画、市民活動支援の場を併せ持つ複合施設として市民サービスの充実を図り、市民と観光客が憩い集える交流の場となることを目指しています。
玄関前にストリートファイターの「リュウ」の銅像が建っています。
➡日本国はじまりの地「橿原」でストリートファイターと出会う(奈良県橿原市)
横大路の大神宮灯篭
江戸時代に、伊勢神宮へ参籠する「おかげ参り」が流行し、伊勢神宮までの道先案内として街道筋に大神宮灯篭が設置されました。
この灯籠は、ここから東へ約200mのところにある「接待場」と伝承されている場所にあったものを移築したものです。
灯籠の竿(柱)に「明治八辛卯九月参宮接待連中」の銘文が刻まれています。1771年に設置されたようで、伊勢神宮参籠者を接待した場所であることが推測されます。
八木の接待場跡
江戸時代に流行した「おかげ参り」で伊勢へ向かう旅人、伊勢から戻る旅人で賑わいました。
当時、大和伊勢街道沿いでは八木が最大の宿場町であったこともあり、八木の人々は、こうした旅人に対して食事や湯茶の接待を行いました。ここがその接待を行った場所で「八木接待場」と呼ばれ、大切にされてきました。
八木札の辻交流館(東の平田家)市指定文化財
「下ツ道」と「横大路」との交差点である「八木札の辻」を挟んで西の平田家、東の平田家が向かい合って建っています。
いずれも江戸時代は旅籠で、東の平田家は18世紀後半~19世紀前半頃に建てられたと考えています。1階は接客と主人の居室、2階が宿泊施設として利用されてきました。改修を行い、現在は八木まちを散策する拠点として一般公開されています。
三輪神社
中ツ道と横大路の交差した場所に東面して鎮座する神社です。
境内南西隅の水路の中には、古代寺院の痕跡ではないかと伝わる面堂の礎石があります。
JR畝傍駅
畝傍駅は明治26年に、当時の大阪鉄道の駅として開業しました。現在の駅舎は昭和15年の紀元2600年祭に合わせて造られたものです。
畝傍駅は、かつては橿原神宮や神武天皇陵の最寄り駅で、参拝する皇族のために駅舎内に重厚な雰囲気が漂う貴賓室(非公開)がもうけられています。
近鉄大和八木駅へのアクセス
奈良県 橿原市内膳町5丁目1-2
こちらの記事では、橿原市のおすすめの観光スポットをまとめてご紹介しています。
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