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【等彌神社に刻まれた絆】なぜ棟方志功は奈良の歌碑に絵を刻んだのか?(奈良県桜井市)

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奈良県桜井市に鎮座する「等彌神社(とみじんじゃ)」は、神武天皇ゆかりの地とされる「鳥見山(とりみやま・とみやま)」をご神体とする古社です。

この歴史ある神社の境内に、日本の近現代文化史を彩る二人の偉大な才能、保田與重郎(やすだ よじゅうろう)棟方志功(むなかた しこう)の交流を刻んだ石碑が静かに佇んでいます。

これは、桜井市出身の文芸評論家・歌人である保田與重郎の歌に、世界的版画家・棟方志功が画(版画)を添えた、非常に文学的、美術的な価値を持つ歌碑として知られています。

この記事では、歌碑の芸術的な魅力と、成立の背景にある二人の精神的な絆を深く掘り下げていきます。

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古代の神域で出会う二人の巨匠の物語

保田與重郎の詩情が刻まれた歌碑

保田與重郎と棟方志功の交流を刻んだ歌碑は、等彌神社の境内に建つ恵比寿社の前にあります。

こちらの歌碑に刻まれているのは、保田與重郎の歌集『木丹木母集』に収められた、鳥見山を詠んだ一首です。

鳥見山の この面かのもを またかくし
時雨は 夜の雨となりけり

この歌は、鳥見山に降りかかる秋の時雨が、山の手前も向こう側もすべて覆い隠し、やがて夜になり、しとしとと降る夜の雨へと変わっていく情景を表現しています。

単なる風景描写ではなく、日本の古典詩歌、特に『万葉集』の精神に通じる「もののあはれ」や深い内省が込められており、読み手の心に静かに響きます。

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棟方志功の造形「生命力と石の調和」

この歌碑のもう一つの主役は、棟方志功が手掛けた版画を元にした「画」です。

棟方志功特有の、力強く太い線と、生命力がほとばしるような独特の造形美は、硬い石の上でもその迫力を失っていません。

この画は、保田與重郎の歌の持つ静かな精神世界と、棟方志功の情熱的な表現とが、見事に融合しています。まさに、近現代の芸術家同士の交流の証として、他に類を見ない作品です。

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歌碑建立の背景「棟方志功を支えた保田與重郎の存在」

この歌碑がこの地に建てられた背景には、保田與重郎による棟方志功への深い理解と、温かい支援がありました。

保田與重郎は、桜井で生まれ、古典文学や万葉集に深い関心を抱いた文芸評論家で、棟方志功がまだ世間的に認められていなかった頃から、彼の抜きん出た才能をいち早く見抜いた人物です。

保田は棟方の版画に「始原の生命が燃えあがるような」情熱を見て取り、棟方が不遇であった時代を通じて、精神的、経済的な援助を惜しみませんでした。

また保田は、自身の多くの著作の装幀(本の表紙デザイン)を棟方に依頼しました。これにより、棟方は版画家としてだけでなく、装幀家としての才能を世に知らしめるきっかけを得ました。

棟方は、保田との交流を通じて、奈良の歴史、風土、万葉集の精神といったものを深く学び、その後の作品にも大きな影響を与えたとされています。

この歌碑の画は、棟方志功が、自身の才能を信じ、支援し続けてくれた保田への感謝と敬意の念から、自ら進んで提供したものです。二人の芸術家・文人の間の真摯な信頼関係と、故郷奈良への愛が結実した、貴重な記念碑といえるでしょう。

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桜井市立図書館で出会う保田與重郎

歌碑が建つ等彌神社の向かいにある桜井市立図書館のロビーには、保田與重郎を紹介するコーナーが設けられています。

また、図書館内には、桜井ゆかりの資料を集めた「郷土資料室」が設けられています。

特に保田與重郎の功績を称えるコーナーが充実していて、著書や関連資料を通じて、桜井ゆかりの文人としての活動や万葉集への愛着が学べます。

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保田與重郎と棟方志功のもう一つの絆(巻向川畔の万葉歌碑)

桜井市内には、この等彌神社の歌碑の他に、棟方志功が関わったもう一つの石碑が存在します。それが、巻向川の畔に建つ万葉歌碑です。

これは「穴師川 川波立ちぬ巻向の 弓月が岳に 雲居立てるらし」(万葉集 巻7一1087 柿本人麻呂)という万葉歌を刻んだ碑ですが、ここに刻まれた力強い文字は、他ならぬ棟方志功によるものです。

保田與重郎は、日本の古典、特に万葉集の精神を深く追求した文人であり、奈良や巻向の地をこよなく愛していました。

棟方志功がこの万葉歌碑の揮毫を担った背景には、保田との交流を通じて、棟方自身も奈良の古代的な魅力や、万葉の心に深く共鳴し、その思いを「揮毫」という形でこの地に捧げたという経緯があります。

この二つの歌碑は、保田與重郎という共通の人物を介して、棟方志功の芸術が桜井の地に深く根付いた証しといえるでしょう。

※巻向川の畔に建つ歌碑の詳細については、別の記事でご紹介します。

まとめ「二つの歌碑が伝える桜井の物語」

等彌神社に佇むこの歌碑は、古代の歴史を伝える神社の空間で、近代の偉大な才能が交わり合った確かな証です。

この石碑は、日本の近代における芸術家たちの温かい相互扶助の精神、そして桜井の地が育んだ文化的な深さを静かに物語っています。

桜井市内には、この等彌神社の歌碑の他に、保田與重郎の歌碑が桜井市立図書館の前にも建っています。鳥見山をめぐる二つの歌碑から、桜井の歴史と文化の奥深さを感じ取ることができます。

桜井市立図書館前の歌碑についても詳しく知りたい方は、こちらの記事も合わせてご覧ください。

等彌神社は、神武天皇ゆかりの地、鳥見山を神体山とする桜井市屈指の古社です。その歴史や見どころについては、こちらの記事をご覧ください。アクセス方法や、駐車場の情報も載せています。

等彌神社を訪問される際は、古代の風景と、保田與重郎の歌、棟方志功の画が織りなす独自の美の世界を、ぜひご鑑賞ください。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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