蘇我馬子の邸宅跡【島庄遺跡】庭園と方形の池がある大邸宅はのちの嶋宮「草壁皇子」も住まう

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蘇我馬子のお墓と言われる石舞台古墳を含めた西側には蘇我馬子の邸宅がありました。
「島庄遺跡」です。
庭園と方形の池がある大邸宅であったことが発掘調査で分かっています。

今回は「島庄遺跡」にかつてあった蘇我馬子の「嶋家」と、のちに草壁皇子の宮となった「嶋宮」をご紹介します。

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蘇我邸宅馬子の邸宅跡【島庄遺跡】

「島庄遺跡」は石舞台古墳を含めた西側に広がる苑池や邸宅・宮殿の遺跡です。

石舞台古墳
石舞台展望台から見る石舞台古墳

石舞台古墳の西側の広場とその隣の駐車場のあたり一帯と、飛鳥川を超えて東橘まで広範囲に広がっていたというので、大邸宅であったことが分かります。

巨大な古墳を築いた蘇我氏の権力のほどが伺えます。

写真の左手が石舞台古墳、右手が駐車場です。

島庄遺跡

広場の隣の駐車場の入口付近に説明板がありました。

島庄遺跡の説明板

ひび割れて読みづらくなっていますが、写真に撮ってみたらなんとか読めそうです。

島庄遺跡の解説文

古の彼方へ…万葉の池との出会いをもとめて 島庄遺跡(嶋宮推定地)

この遺跡には、数時期の遺構があります。
7世紀前半の遺構に、石積護岸を持った内法一辺の長さ42m、深さ2m、堤の幅10m、池底に玉石を貼った方形の池が検出され、この池の周囲からは、石組暗渠、苑池跡、掘立柱建物などの遺構が確認されています。

『日本書紀』の中に、「大臣(蘇我馬子)は蘇我稲目の子なり。(中略)飛鳥川の傍に家せり。乃ち庭の中に小なる池を開れり、扔りて小なる嶋を池の中に興く、故、時の人、嶋の大臣と曰う」とあり、嶋宮はこの蘇我馬子の邸宅跡に造られ、その後離宮になり、さらに東宮(皇太子)である草壁皇子の宮になったと考えられています。

島庄遺跡の説明板より

蘇我馬子は邸宅の庭園に島のある池を築いたので、「嶋の大臣しまのおとど」と呼ばれたのですね。

島庄遺跡の発掘調査の様子

見づらくなっている発掘調査の様子は明日香村の公式サイトで確認できます。
島庄遺跡調査速報 | 明日香村 公式ホームページ (asukamura.jp)

島庄遺跡は、1970年代に奈良県立橿原考古学研究所が調査を行って以来、30次にわたって発掘調査が行われてきました。また明日香村教育委員会では、平成15年度から三ヵ年計画で範囲確認のための発掘調査を行っており、主に石舞台古墳西側の駐車場(旧高市小学校跡地)やその北側の田、飛鳥川沿い東側の田などの地域において調査を進めてきました。

島庄遺跡調査続報5 | 明日香村 公式ホームページ (asukamura.jp)

方形池は9世紀までは存続し、現在も水田の畔の形状として遺存しています。

水田の畔として残る島庄遺跡の方形池

航空写真で畔の形状が確認できます。

畔の形状が確認できる航空写真

中島のある庭園は、桃をたくさん植えるなど道教の「神仙思想」が強く表されています。
桃の実は不老長寿をもたらすとされていました。

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草壁皇子の嶋宮と挽歌~嶋の宮勾の池の放ち鳥

蘇我氏の邸宅は、乙巳の変で蘇我本宗家が滅亡した後は官の没収地となったようです。

嶋皇祖母命しまのすめみおやのみこと糠手姫皇女ぬかでひめのひめみこ吉備姫皇女きびひめのこ)が居宅を営み、壬申の乱に先立ち、大海人皇子(天武天皇)が嶋宮に宿泊していました。
この記述が「嶋宮」の史料上の初出です。

十九日、吉野宮よしののみやに入られることになった。
左大臣蘇我赤兄臣ひだりのおとどそがのあかえのおみ右大臣中臣金連みぎのおとどなかとみのかねのむらじおよび大納言蘇賀果安臣おほいものまうすのつかさそがのはたやすのおみらがお見送りし、宇治うじまで行き、そこから引き返した。
ある人が言った。
「虎に翼をつけて野に放つようなものだ」
この夕方、嶋宮しまのみやへお着きになった。

『万葉集』の一連の挽歌(巻2-170~189)から、草壁皇子がこの嶋宮に居住していたことが分かります。

島の宮 勾の池の 放ち鳥
人目に恋ひて 池に潜かず

巻2-170 柿本人麻呂

草壁皇子は鳥を池に放し飼いにしていたと言われています。

こちらの記事で島庄を見下ろせる丘にある歌碑をご紹介しています。
草壁皇子の死を悼んで舎人が詠んだ歌です。
万葉歌碑巡り【草壁皇子の死を悼む歌】草壁皇子の宮殿「島の宮」の放ち鳥に寄せて

石舞台古墳の足元に眠る遺跡

巨大でインパクトのある石舞台古墳は目を引きますが、足元には蘇我馬子や草壁皇子の遺跡が眠っていました。

発掘調査では、島庄遺跡の7世紀代の遺構は、大きく4時期の変遷が見られました。
遺跡の変遷と、史料にみられる馬子の嶋家や二人の嶋皇祖母命の居宅、草壁皇子の嶋宮は年代的に重なります。

今は広場や水田になっているあたりに蘇我馬子の邸宅が広がり、草壁皇子が鳥を放し飼いにしていた池があったと想像してみるのも、明日香の楽しみ方のひとつだと思います。

島庄を見下ろせる丘からの眺め
島庄を見下ろせる丘からの眺め

飛鳥・藤原の地域全体が、博物館に保管された文化資産とは異なる国民的資産であり、まさしくそれが「飛鳥・藤原まるごと博物館」です。
もっと知りたい!【日本国はじまりの地】飛鳥・藤原まるごと博物館検定【世界遺産登録】をめざして

今回の記事は「飛鳥・藤原まるごと博物館検定」の公式テキストブックを参考にして構成しました。

島庄遺跡へのアクセス

奈良県高市郡明日香村島庄

詳しくはこちらの記事をご参照ください。

最後までお読み頂きありがとうございます。

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