大和古道の歴史散歩を楽しんでいるみくるです。
奈良県天理市に鎮座する「大和(おおやまと)神社」。 ここはかつて大海原を駆けた「戦艦大和」の守護神が祀られている、非常に縁の深い聖地です。

今回は、公式サイトでも詳しく紹介されている「戦艦大和と大和神社」の5つの絆、そして境内に立つ記念碑に込められた熱い想いをご紹介します。
戦艦大和ゆからりの神社「大和(おおやまと)神社」
「戦艦大和ゆかりの碑」に刻まれた2,736名の記憶
境内に立つ立派な御影石の石碑。実はこの石碑のサイズには、ある数字が隠されています。 それは、戦艦大和が最期を迎えた際の乗組員数と同じ「2,736mm」。

毎年8月7日には「戦艦大和みたま祭」が斎行され、この石碑は全国から寄せられた初穂料によって建立されました。石碑を前にすると、数字一つひとつに宿る命の重みが伝わってくるようです。
知っておきたい「大和神社と戦艦大和」5つの絆
大和神社の公式サイトや境内にある案内板では、大和神社と戦艦大和との深い結びつきが5つの項目で解説されています。

大和神社は戦艦大和ゆかりの神社です
- 御分霊の奉斎: 艦内神社には大和神社の神様が祀られていました。
- 遣唐使からの伝統: 万葉の昔より、航海安全の守護神として信仰されてきた歴史があります。
- 堂本印象画伯の守護神像: 艦長室に掲げられていた絵画のエピソードは、数奇な運命を感じさせます。
- 祖霊社への合祀: 殉職された2,736柱の御霊は、今も境内の祖霊社に大切に祀られています。
- スケールのシンクロ: 第一鳥居から第二鳥居までの距離は、戦艦大和の全長とほぼ同じ約270mで、幅は5倍。ここを歩くことは、巨大な戦艦の甲板を歩くことと同じなのです。

万葉の昔から続く「航海安全」の祈り――山上憶良の歌碑
「5つの絆」でも触れましたが、大和神社が航海の守護神として仰がれてきた歴史は、遠く万葉の時代まで遡ります。
遣唐使たちが捧げた「好去好来」の願い
境内には、万葉歌人・山上憶良(やまのうえのおくら)が詠んだ「好去好来(こうきょこうらい)」の歌碑が静かに佇んでいます。

万葉集(巻五)に記されたこの言葉は、命がけで海を渡る遣唐使一行の無事と、一日も早い帰還を願って贈られたもの。かつて異国の地を目指した人々は、この場所で大和神社の神々に航海の安全を託し、旅立っていきました。
「無事に行って、早く帰ってきてほしい」
その切実な祈りは、時代を超えて、戦艦大和の乗組員たち、そして大切な人の帰りを待つすべての人々の想いへと重なります。
万葉歌碑巡りの詳細は別記事にて
当サイト「みくるの森」で大切にしているテーマの一つである「万葉歌碑巡り」。 この大和神社の歌碑に込められた憶良の想いや、歌の背景については、また改めて「万葉歌碑巡りシリーズ」の別記事でじっくりと紐解いていきたいと思います。
悠久の時を超えて響く「好去好来」の調べ。その詳細を楽しみにお待ちいただければ嬉しいです。
歴史の鼓動に触れる「戦艦大和展示室」
境内の静寂に包まれた一角に、「戦艦大和展示室」があります。 ここには、かつて「大和」と共に海へ出た人々の記憶と、今の私たちが受け取るべきメッセージが静かに息づいています。

動き出しそうな精巧な模型と貴重な資料
展示室に一歩足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのは、戦艦大和の巨大な模型や当時の図面、そして乗組員の方々の遺品です。 日本が世界に誇った造船技術の結晶が、細部に至るまで緻密に再現されており、その圧倒的な存在感に思わず息を呑みます。

艦長室を彩った「戦艦大和守護神」の物語
「戦艦大和守護神」は大和神社の御分霊を祀るために海軍から依頼されたもので、実際に戦艦大和の「艦長室」に掲げられていたそうです。
激戦の直前に陸揚げされ、数奇な運命を辿って今は江田島に保管されているというその絵。艦長室という最も重要な場所で、神様が乗組員たちを静かに見守っていた……その事実に、大和神社と戦艦の切っても切れない絆を感じずにはいられません。
教科書ではない、一人の「人生」と向き合う時間
何よりも私の足を止め、胸を締め付けたのは、壁に掲げられた乗組員の方々の遺影でした。

そこに並んでいるのは、歴史上の「人物」ではありません。 私たちと同じように笑い、悩み、大切な誰かを想いながら、明日を信じていた若き青年たちの姿です。
その一枚一枚の向こう側にある人生に想いを馳せたとき、戦艦大和の最期は、決して遠い昔の出来事ではないことを強く感じました。
私たちが生きる「今日」という日の重み
展示室の中で、私の心に深く、深く刻まれたメッセージがあります。
「若者よ 君たちが生きる今日という日は 死んだ戦友たちが生きたかった未来だ」

元乗組員の方が寄せられたこの言葉。 若くして海に散った青年たちの遺影を見つめた後でこの言葉に触れたとき、目頭が熱くなるのを抑えられませんでした。
私たちが何気なく過ごしている「今日」という一日は、彼らが命を懸けて守ろうとし、そして何よりも生きたかった、憧れの「未来」そのものだったのです。
歴史を学ぶということは、単に過去を記録することではなく、先人たちが繋いでくれたこの「未来」を、私たちがどう生きていくかを見つめ直すことなのだと、強く教えられた気がします。
塩谷栄一氏が奉納した「平和の几帳」
展示室の中には、前回の記事「日本画家・塩谷栄一氏が描く守護神たち」でもご紹介した、塩谷栄一氏が奉納された『戦艦大和の几帳』も飾られています。

東日本大震災という困難な時期に、「不幸な戦争を二度と繰り返さない」という不戦の誓いと、人々の平安を願って仕上げられたこの作品。
遺影たちの眼差しを優しく包み込むように置かれたその几帳は、過去の悲しみを受け止め、未来の平和を祈る、この神社の精神そのものを表しているようでした。
展示室を出て、特別な歴史を宿す「祖霊社」へ
展示室で、乗組員の方々の眼差しや「生きたかった未来」という言葉に触れた後、私が向かったのは「祖霊社(それいしゃ)」でした。

全国でも唯一無二の由緒を持つお社
実はこの祖霊社、非常に珍しい歴史を持っています。 明治時代、国家が神社の境内に祖霊社を建てることを許したのは、官幣大社の中でもここ大和神社だけだったそうです。さらに、今私たちが目の前にしているお社は、かつての大和神社本殿をそのまま移築したもの。
代々の祭祀を担ってきた方々、そして戦艦大和の英霊たちが、かつて神様がおられた尊いお社の中で、今は共に静かに守られているのです。
3,721柱の御魂が「大和の杜」で眠る
この社には、昭和28年に戦艦大和の2,736柱、昭和47年には巡洋艦矢矧(やはぎ)や駆逐艦8隻の英霊985柱が合祀されました。

展示室で向き合った、あの若き青年たちの魂。 過酷な海での戦いを経て、今は故郷・大和の杜で、かつての本殿という最も格調高い場所で安らかに鎮まっている……。そう思うと、冷たい冬の空気の中でも、どこか温かい安らぎのようなものを感じずにはいられませんでした。
今を生きる感謝を込めて
祖霊社の前に立ち、手を合わせます。 「君たちが生きる今日という日は、死んだ戦友たちが生きたかった未来だ」 展示室で見たその言葉を反芻しながら、私たちが享受している穏やかな日々への感謝を捧げました。
大和神社の長い参道を歩き、展示室で歴史の鼓動を聞き、最後にこの祖霊社で祈る。 この道のりは、今の自分を見つめ直し、明日への勇気を受け取るための大切な「儀式」のように感じられました。
まとめ:2,736名の想いと、私たちが生きる「未来」
大和神社の長い参道を歩き、展示室で歴史の鼓動に触れ、最後は祖霊社で静かに手を合わせる。この一連の道のりは、私にとって単なる「神社巡り」を超えた、忘れられない体験となりました。
特に、展示室で向き合った乗組員の方々の遺影。 教科書の中の出来事ではなく、今の私たちと同じように笑い、愛し、夢を抱いていた青年たちの眼差しは、今も私の胸に深く刻まれています。
彼らが命を懸けて守ろうとし、そして何よりも生きたかった未来。 それが、私たちが今生きている、この「今日」という日なのですね。
「若者よ 君たちが生きる今日という日は 死んだ戦友たちが生きたかった未来だ」
この言葉を胸に刻み、改めて大和神社のまっすぐな参道を見つめ直しました。
戦艦大和の守護神を祀るこの聖地は、過去を悲しむだけの場所ではなく、私たちが今ここに生きている奇跡を感謝し、「精一杯、明日を生きよう」という勇気を授けてくれる場所なのだと感じます。
もし、日々の生活で道に迷ったり、一歩踏み出す力が欲しくなったりしたときは、ぜひ大和神社の長い参道を歩いてみてください。
2,736名の祈りと共に、あなたの背中をそっと押してくれる「最強の守護神」が、そこにはいらっしゃいます。

大和神社へのアクセス方法や駐車場については、こちらの記事でご紹介しています。
最後までお読み頂きありがとうございます。

